水曜日, 6月 29, 2022
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自宅にアート 〜お洒落な飾り方 簡単ガイド〜

アートは空間に命を吹き込む

映画館を出て現実に戻って来た時、もしくは休暇から帰ってきた時の爽快感を覚えているだろうか?自宅にオリジナルの作品を飾るのも実はそれらと同様の効果があり、つまりはマンネリ化した退屈から開放し、活気を充填してくれるのだ。

突然にウィズコロナ時代へ突入し、自宅環境が整っていなかったことに気付いた読者も多いであろう。労働に食事、またリラックスも全てこなすには未整備の、我々の「新基地」をアップグレードするのも時に適う。意外やも知れぬが、アートは持ってこいなのである。

もし印刷された複製アートを持っているなら、代わりにオリジナル、原画の力を体感する最高のタイミングであるし、所蔵歴ゼロでも問題ない。スタートするには最善の時だ。

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head hunt by Hiroki Kanayama
詳細はこちらから
小さくてカラフルな作品をデスク近くに飾れば、活気のあるワークスペースに

なぜ原画・オリジナルなのか?

オリジナル作品には、映画俳優のような其々の個性やカリスマ性がある。その細部には、アーティストの旅路が記録され、例えば油絵であれば、絵の具の層に、また色の相互作用や感情的な筆致がその物語を語ってくれる。つまり原画には今も生きたエネルギーが宿るのだ。

選ぶのが難しそう?

部屋に飾るアートの選び方は、必ずしも複雑ではない。簡単な5つのステップで見ていこう。

最初の3ステップ

先ずは、部屋の目的を考えることから始まる。例えば、筆者なら「リビングルーム・歓迎の雰囲気」「ダイニングルーム・高揚感」「ベッドルーム・落ち着き」「キッズルーム・創造性」などを想像する。この目的別の雰囲気ゴールが北極星の様にアートとインテリアとの合わせ方を道案内してくれる。

第二に、スタイルを考慮するのも不可欠だ。分かり易く言うと、いくら有名なジャン=フランソワ・ミレーの「落穂拾い」も、モダンなスタイルのコーヒーテーブルと黒革のソファが置かれたリビングルームとは、とてもスタイルが合わない。代わりに、洗練された雰囲気で統一したければ、飾る作品にもスタイリッシュなものを選ぶのは言うまでもない。

第三のステップは、カラー・コーディネーション。難しそうに聞こえるかも知れないが、気構えの必要はなく、以下の様な質問を自問すればすぐにに解きほぐせる。「お気に入りのラグやカーテンにソファの色、あるいは床の色は?」「存在感が強いのはどの色?」等。そして、答えは「一貫性」であっさり解決。色のペアリングを意識するだけで、簡単にまとまって見えるようになる。 

ここで、もう一つ例を挙げておさらいしてみよう。上の写真の部屋は、①くつろいだ雰囲気のリビングルーム、②スタイルは、家具のデザインと素材から判断するに、カジュアルでナチュラル。③の色合わせは、いくつかの色が見当り複雑そうに見える。だが、淡い色調のアートと部屋は、青みがかったグレーが主体となり、クッションの黄色、木の素材の茶色と言う色の共通点で繋がっている。それ抜きでは散漫に見えかねない部屋も、この作品によってかえって調和が取れているのがよく分かる。

第四ステップ:お楽しみの役者探し

場面は整ったので、楽しいアート探しの時間である。ひとつ一つの作品は個性的であり、役者の様に、所持者のキャラクターを表現するものだ。先に挙げた例では、リビングの軽快な絵からオーナーの温厚な人柄が想像できるだろう。自分に合った作品は見れば自然とピンと来るものなので、ここでは理屈よりも、心を自由にして直感的に探してもらいたい。例えば私なら、大胆な色使いと違素材のミックスに、創造的でのびのびとした個性を感じるから子供部屋には下の作品を選ぶ、と言った具合だ

最終ステップ:空間をマスターする

仕上げは部屋の理解である。大都市では贅沢な広さは中々取れず、こう言うと信じられないかも知れないが、アートを加えることで、限られた空間を「視覚的に拡張」することができる。その理由は、目の錯覚にある。空間に平行線を加えることで、広がりを感じることができるのだ。ソファの上など、横に開いた空間には横長の長方形の作品、廊下のような狭い空間には、縦長のものを吊るしてみるのがオススメだ。この行き止まり小路の様なダイニングルームは、タペストリーが無ければ窮屈に見えてしまう所を、縦ラインの強調で奥行きを演出している。(ちなみに、これもまたカラー・コーディネーションの好例なので参考まで。)

色も空間認識に一役買い、淡い色合いや風景のアートワークは、一般的に拡張効果を後押しする。一方で、濃く又は鮮やかな色合いは目の注意を集中させる。 例えば、小さな寝室にシンプルな色配分の風景画を置くと途端に、深呼吸したくなる様なスペースの広がりを感じるだろう。

どこで探すのか?

我々は実に便利な時代に生きている。アートギャラリーを訪れるのは敷居が高く感じる場合でも、オンラインのマーケットプレイスがあるので心配無用。一般的に、価格やスタイルの範囲は従来のギャラリーよりも広範囲に渡り、便利なフィルターやキーワード検索で自由に閲覧できる。探せます。TRiCERA.NETもその一つで、東京を拠点に、若手からベテランまであらゆるステージのアーティストを世界各国から紹介している。アート業界のデジタル化が進む恩恵で、新たなお気に入りのアートを発掘するのは未だかつてなく身近となった。

ArtClipでは、趣味コレクターであり、自身もアーティストであるアメリカ人顧客とのインタビュー記事も掲載の予定だ。彼女のTRiCERAでのショッピング体験や、自宅にアートを購入する理由、どうやって選ぶのか等が紹介されているので、興味のある方々はニュースレターの購読をどうぞお忘れなく。 

Shinzo Okuokahttps://www.tricera.net/
1992年東京都出身。大学でインド哲学を学んだ後出版社に勤務し、アート雑誌と神社専門誌の副編集長として雑誌及び書籍の企画・編集に携わる。2019年にスタートアップ企業である株式会社TRiCERAに参加、日本初の現代アート専門の越境ECの開発及びアーティストのマネジメント、自社オウンドメディアの立ち上げを担当する。特技は速筆で、雑誌時代には1ヶ月で約150ページを1人で取材・執筆した。

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指先と紙、そしてアーティスト。-ペーパーアート・ストーリー part 2-

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現代に残された「絵画を描く」こととは何か – 東麻奈美 インタビュー

美少女フィギュアや玩具をモチーフに、回転という動きを通し時間をキャンバスに閉じ込める東麻奈美。時間というシンプルで古典的な絵画テーマ、油彩画という絵画技法、そして現代の日本文化の一端を象徴する美少女フィギュアを組み合わせる東の作品は、絵画というメディアのレパートリーの広さ、そして現代において絵画を描くことの可能性をストレートに物語る。今回は制作の背景、これまでのキャリアについて話を聞いた。 東さんはこれまでに回転させた美少女フィギュアをモチーフにしながら時間や運動性を示唆するペインティングを制作してきましたが、テーマとしては未来派など西洋的な流れも感じさせます。まずは現在の作品について伺えますか?  もともと学生の頃から絵画に動きを閉じ込めることをしたくて、最初はブレとか揺れ、そういうものを納めようと取り組んでいました。当時はフィギュアではなくおもちゃだったり、本物のメリーゴーランドを長時間露光で撮影したものをベースに描いていました。  ただ当時描いていたのはどちらかと言うと抽象絵画。考えていたコンセプトでは自分の技量のなさもありどうしても表現しきれなくてかなり迷走していました。その中で、コマ撮りアニメのようにして回転を表現したりする実験をしていたんですが、実は私がアニメや漫画好きと言うこともあり、「フィギュアを回転させ、それをモチーフにしたらどうか」と。そしたらこれがハマったんですね。目に見える物理的な回転だけじゃなく、キュビスムや未来派の人たちがやっていたことを現代のモチーフに変えてやることで過去から未来にかけての時間の流れとしての回転が表現できる、と思いました。 抽象絵画を描いていたというのは少し意外でした。 今の作風からは意外に思われるかもしれません(笑)。これは私自身の問題というか、どちらかと言えば自分のコンプレックスに根差していて。というのも、私は絵がものすごく下手(苦笑)。とにかく「描く」ということが苦手なんです。高校の予備校から大学の初期の頃は真面目に絵画をやってみようとしてたんですけど、やっぱり描けない。油絵の描き方がさっぱりわからないんです。周りは楽しんで描いているし、まっさらなキャンバスに楽しそうに向き合っている。でも私にはそれが出来なくて、ただ色を扱うのは好きだったのである意味では逃避する先として抽象を選んでいた風ふしもあるんですよね。結局それも難しかったんですけど(笑)。 MERRY GO ROUND (ツインテール) 29.7 × 42cm, Giclee Printing on paper, edition:50 作品はこちらから 今はフィギュラティブな絵画を制作されています。真反対の方向ですよね。  今の制作方法にたどり着いたことですね、転機としては。ある種の解放に近い感覚です。今はモチーフになるフィギュアをターンテーブルに乗せて回転させ、写真を撮り、パソコン上で合成しながら絵画に落とし込んでいくんですが、つまり最初に描くものを定めることで、そもそも「何を描いたらいいか?」のような疑問を生まないようにした。設計図を用意してから描けばいいんだ、と。その点に気づけたことは私のような人間が絵画をやっていくためには大きい発見でした。 コンセプトやモチーフをしっかり定めてから描くことは自分の趣味性や感情を隔てる意味もありますか? あるかもしれない…というより、ありますますね。そもそも自己表現がすごく苦手な人間なんですよ。無軌道に作品を描けるタイプではない。きっちりしていて、真面目すぎるくらいに真面目というか。自由奔放に出来ないからこそしっかり設計して描くんですね。最近はそれもいいなと思っていて。感情や内発的で物語的な作品の良さもありますけど、私の場合は極限まで自己性を無くして、極限まで純粋に造形性を追求していくことかな、と。使用するフィギュアも自分の趣味とは極力離れたものを使う。自分の趣味とか感情が混入することを防ぎたいからで、本当に、純粋な意味でフィギュアの造形性をテーマにしたい。作品も究極的には目で見て、面白いと思ってくれたらそれでいいと思っていて。 嫌な言い方になるかも分かりませんが、端正な造形性を持った東さんの作品の場合、デジタルとアクチュアルな絵画の境が難しくなりませんか?あくまでも油彩を使用した絵画であることが東さんの作品にとっての一つの生命線な気もしていますが。  確かに「CGでいいじゃん」と思われてしまうかもですが、でも実物を見たときの筆跡や手で描いていることの痕跡も面白さの要素だとは思うんですね。その点こそ私がわざわざ油絵を続けていることの意地というか。やっぱり絵画の物質感は好きだし、その物質に対するこだわりのあるなしがイラストレーションと絵画を区分するとは考えています。 Installation view from MASATAKA contemporary こだわりの点で言えば、もう一つはコンセプトですね。東さんは時間や動きを平面に落とし込もうとしている。その考えはいつ頃から?  もしかしたら個人的な性質に根差しているかもしれなくて、私はものが劣化していく様が耐えられないんですね。ものが古くなったり、汚くなったりすることが耐えられない。ひとによっては古いものに愛着が湧いたり、革製品なんかは使い込むことで愛着を感じることもあると思うんですが、私は袋から出した新品の状態がピークだし、そのままを保ちたい。傷ついたり汚れたりなんて辛すぎるというか。だからモチーフに使うフィギュアも必ず新品を使うんですけど、最近は絵画にすることで閉じ込めているふしがある。 絵に関するバックグラウンドを聞かせてください。絵画を見始めた、あとは描き始めたのは小さい頃から? 本格的にというか、美術の歴史を意識しながら見始めたのは大学に入ってからですが、描き始めたのはもっと前ですね。実は母が漫画家をしていて、と言っても高校生の頃から私を産むまでのごく短い時期ですが。そのせいか「いずれは私も漫画家にならなきゃいけない」とずっと思っていて。強要されたわけでもないし、他に理由があったわけでもないんですけど、漠然とそう思っていたんですね。で、小さい頃からはずっとを漫画を描き続けていて、でも投稿するとか、雑誌で発表するとかいうレベルでは全然なく、趣味の域を出ないものでしたね。でも途中で自然と「自分は漫画を描きたいわけじゃないな」と気づき、むしろやりたいのは一枚の絵だろうと。 フィギュアを絵画に引用する点では、そのままの形でないにせよ、サブカルチャーの背景を感じる点ではあります。当時の絵画シーンは意識していましたか? 確かに漫画とか、あとはアニメですよね、その辺りのカルチャーを引用した絵画の流れも認識はしていましたが、でも私の場合はもっと個人的なものだったように思います。まっさらのキャンバスに描けない、だから何か設計図を用意する、だったら自分にとって身近なフィギュアをモチーフにしよう、という流れ。だから現代アートの文脈云々を意識してここに至ったというよりは、自分の中にある絵画との自然なやりとりの延長線上にあると思います。 活動を重ねてきて感じること、自身の作品について考える部分はありますか? 作品に対してもそうですが、最近はよく活動そのものについて考えますね。特に活動を続けるということについて。というのも、大学を卒業してみんな描くことをやめてしまうから。続けていてもやめていく。それは個々人の事情から止むを得ないことだと思うんですけど、でも学生時代はみんな同じアトリエで描いて、一緒に切磋琢磨していたと思うんですよ。でも今は一人で描いているし、同級生の作家も少なくなってきた。さっきもお話ししましたけど、私は自分自身が作家に向いているとは思えないんですよね。真面目で、設計図を用意しないと絵を描けないし、普通の家庭に育って特に変わったバックグラウンドがあるわけでもない。周りにはもっと絵を楽しんで描いている、もっと作家というあり方に向いている人がたくさんいる中、でも彼女たちはいろいろな事情から作家をやめて、なぜか自分だけが残っている。すごく不思議な状況だと思うんですよ。だからこそ意地になっているのかもしれない。意地の一言ですね(笑)。「とにかく続けよう」と。ずっと絵が下手だったけど大学院まで行って続けているわけで、その先に何があるかわからないけど、描き続ける先に何かがあるかもしれない。描くこともそうですけど、描き続けることは、多分もっと孤独な戦いなんでしょうね。 プロフィール1988年神奈川県横浜市生まれ。2013年女子美術大学大学院美術研究領域美術専攻修士課程修了。美少女フィギュアや玩具をモチーフに、回転という動きを通し時間をキャンバスに閉じ込める制作を行う。2013年福沢一郎賞受賞。主な展示に「メークリヒカイト4」レントゲンヴェルケ(2013)、「未来展」日動画廊(2016)、「ICON」MASATAKA CONTEMPORARY(2019)など。その他、NYや香港など多数のアートフェアに出品。

ローカルでありグローバルであること-ミャンマー現代アートシーン-

ミャンマーにおける現代アートの流れ 近年ではArt Basel Hong Kongが「インサイト部門」を設け、アジアやアジア太平洋地域のアートシーンの紹介に努めているように、西欧のそれとは異なったアジア独特の土着的とも言うべきシーンの解明とプレゼンスに注目が集まっています。 ミャンマーのアート、特にローカルな民族絵画や民芸のそれとは一線を画したコンテンポラリーのアートシーンを見るためには、逆説的もしくは皮肉的にも、ミャンマーの土着的な文化とその社会的なヒストリーを無視することは出来ません。 1948年にイギリスの植民地支配から独立したミャンマーでは不安定ながらも民主主義と文化教育のスキームが構築されましたが、一方では少数民族問題や政治的な内部対立による政治基盤の不安定性から1962年にクーデターが勃発し、それに伴う軍政は1988年の民主化運動まで長期に渡って継続しました。 軍政下における美術活動の制約はアートの国内における認知と市民権の獲得に逆風として影響をもたらしましたが、民主化運動に伴い、1979年に現代アートの運動が誕生することになります。 現在のヤンゴン大学にて自主的な美術研究に勤しんでいた約20名の学生らによって結成された「ガンゴー・ヴィレッジ」は、ミャンマーにおいて展開された最初の現代美術運動であり、当時は西欧の抽象表現主義を独自解釈した作品をメインに生育された、つまり西欧のアートシーンとの接続を最初に築いた運動でもあります。 とはいえ軍政の影響が消え去らないミャンマーにおいてアートコミュニティは厚遇されることはなく、その後もままならない成長をしながらも、90年代に入ると学生らを中心とした流れは大学の外部に発表と活動を求め、90年には「モダン・アート90」に、2000年に「ニュー・ゼロ・アートグループ」の結成に結びつき、グローバルをその舞台とするアーティストの輩出を支えました。 ミャンマーのアートシーンをグローバルに-River galleryの試み- ギャラリーの詳細はこちらから River Galleryは今年で14年目を迎える、これまで国際舞台をメインのフィールドとして活動を広げてきた現代アートのギャラリー。 40名以上のアーティストが参加するRiverは、検閲体制の残る時代から、如何にしてアーティストを国外のコレクターをはじめグローバルなシーンへ受容させるかを試行錯誤してきました。 アーティストは西欧のコンテキストに耐え得る要素を保持しつつ、一方ではミャンマーのアートであることを証明する土着性や時代性、そしてミャンマーという国の歴史性を背景にした作品をプレゼンスすることが出来、その意味ではブラックボックスと化しているアジアのアートシーンとヒストリーの多くを明らかにする力を持っていると言えるでしょう。 TRiCERAでは今回、River Galleryに所属するアーティストから10名を紹介しますが、例えば〈僧侶の記憶シリーズ〉を手がけるペインターであるダウェイ・トゥートゥー(Dawei Tu Tu, 1972〜)は、「ミャンマーの生活背景としての仏教、そして僧侶の存在をほのめかしたかった」と語るようにミャンマーにおいて広く支持を集める仏教的な物事の捉え方や存在のあり方を俯瞰し、色彩的な重層化のテクニックによって絵画化し、ミャンマーの文化のいったんを展望させます。 作品の詳細はこちらから 一方でミャンマーの絵画史に流れる抽象性を汲み取り、新しいアングルをもたらすター・ジー(Thar Gyi, 1966〜)は、自らの作品を「非絵画」と形容します。ミャンマーの寺院街を訪れた時に見た田園風景に着想を得た彼は、国内の絵画において徴用されてきた内的なリズムの表現に「畝」のような造形性を加えることによって直接性を持たない、しかしミャンマーの美術そして抽象絵画の歴史における特殊なポジショニングを獲得しています。 作品の詳細はこちらから 今回TRiCERAでは、このようなミャンマー国内のアートの流れと西欧のアートシーンとの特異点であるかのような作品をもたらすアーティストを支えるRiver Galleryから絵画を中心に49点を紹介します。エスニックでありながら普遍性を備えるミャンマーアートの試みと歴史の歩みを、是非ともお楽しみ下さい。 ダウェイ・トゥートゥー(Dawei Tu Tu, 1972〜)ミャンマー出身のトゥートゥーは、これまで97年からミャンマー国内の展示に参加し、イギリスやシンガポールなど国外を舞台に活動してきました。ミャンマー・アジアン・アート・アワードでは2007年から3年間連続でベスト・ペインティング・オブ・ザ・イヤーを受賞した彼の作品は、近年では〈僧侶の記憶〉と題したごく限定された色彩を使用した明暗のコントラストをはっきりさせた絵画によって「ミャンマーにおける精神生活のバックグラウンド」を示唆しています。 作品の詳細はこちらから キョウ・リン(Kyaw Lin, 1975〜)オーストラリアやパリ、香港など幅広い地域で活動するリンは、フラットで抑揚のきいた色彩によるブロックを、ミャンマーの風景をベースに構造化する作品で知られています。とはいえそれは風景画のように物質的な対象への明示をさけ、あくまでも日常的な生活における感情や自然の機微を表現し、鑑賞する人へその発見を促します。 作品の詳細はこちらから ター・ジー(Thar Gyi, 1966〜)「非絵画」をキーワードにするジーは、ミャンマーの田園風景に見出される畝の造形性を絵画に盛り込み、ドメスティックな抽象絵画の歴史に新しいアングルをもたらします。ミャンマーにおいて絵画はいかなる展開をしていたかについて、彼はジェスチャーのようにそれとなく言及し、ビジュアルアーツの精髄と絵画的なアカデミズムを一度に実現します。 作品の詳細はこちらから

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画家とキャンバスと向こう側

「画家という位置と、キャンバスという位置と、その向こう側という位置に向けていくつもの層を体感しながら、その向こう側に手を届かせたいというか、向こう側を見てみたい」 キャンバスを切り開き、ステンドグラスや鉱物などをコラージュ的に画面へと配置していく画家 佐々木成美。複数のマテリアルによって重層化した彼女の絵画世界は、本人曰く「あくまでもキャンバスを掘り進める作業」に近いという。 今回、代官山のLOKO GALLERYにて大学院卒業後初となる個展が開催されたことを機に話を聞いてみた。 Tulip, Night Oil on Canvas/Ceramics, 42× 33cm, 2018 まずは今回の個展と作品について簡単に説明して頂けますか? -構成としては、この1年半ほどやってきた中から選りすぐった作品を中心に並べました。大学を出たのが1年半ほど前で、そこからの個展も初めてだったこともあったので。 作品の方は、そもそも「これは彫刻なのか、立体なのか、絵画なのか」とよく言われるんですけど、私の中では絵画として描いてるし、発表していて。これまでずっと絵を描き続けてきて、絵画とは何なのかについて、もう一度自分の中で丁寧に探ってきた期間があって、あまり意識はしていなかったのですけれど、今回はそれが作品とか展示として外に出てきたのかな、という印象です。 編まれた芝 Oil on Canvas/Stone, 50 × 32.5cm, 2018 それは描くという行為そのものをですか? それとコラージュ的要素が目立つ作品だと思うのですが、これもその結果として出てきたものですか? えっと…、キャンバスを切ったりコラージュのように何か組み合わせたりする方向へ決定的に変わったのは2017年ぐらいです。そのタイミングで、実は半年ほどフランスに留学していた時期があって、そこが結構大きな起点になっていて。 そもそも近代の芸術を研究しにいったんですけど、中でも宗教施設にすごく興味が沸いて。向こうはキリスト教の教会もあればイスラムの寺院もあって、それからユダヤ教もあって、色んな情勢からミックスされた施設もあって。そういう所で装飾美術を見ることに興味があったんですけど、いくつか行くうちに何か強烈に、ひとが生きる上で求める、或いは求めざるを得ない精神構造とそれに伴ってくる産物っていうものが、それぞれは当たり前だけどイコールで…ということに夢中になって。描くことというのは、まだ上手く言葉には出来ないんですけど、もしかしたらそういう欲求に近いのかもしれないなと。でも、その欲求が達成されるにはそれだけじゃなくて、なにか違う、こう…自分の手に負えない大きな力が働くように、待たなければいけないというのは、本当によく感じました。それで作品が変わってきたかな。 その結果からキャンバスを切ったりが始まったということですか? -そうですね。具体的に因果関係みたいなのは言葉に出来ていないのですけど、最初は組み合わせることからはじめて、それこそある種の装飾のようにキャンバスを埋めるみたいな行為を、色んな素材で。 素材にもバリエーションがあるようで、それでいて共通項があるようですが。 そうですね、その素材も、一応は自然に近いものを選んでいます。木とか陶器とか、あとはガラスですね、ステンドガラス。そういうものが混ざった状態というか、それはいつもいいわけじゃなくて、全然よくないなと思うこともあるんですけど、その組み合わせをしながら自分で待っているということをしていて。キャンバスを切るようになったのはそれからなんですけど。 それは、その混ざった状態に対しての対処法として? -描いてて待てなくなるというか。どうしようもない、飽和した状態に絵を描いているとなることがあって。で、それをどうにか大きくひっくり返すようなことがしたい…というか、ひっくり返したい欲求を持つときにキャンバスを切るんですけど…。 でも、切るとめちゃくちゃ驚くんですよ、自分でも。自分で切ってるのに(笑)。あ、切っちゃったって。 それでも切ると強いというか、戻れない感じがして。一気に世界が変わってしまったような、それこそ天変地異が起こったなと思うんです。そうした一つの状況が壊れちゃうような、本当に丸きり変わってしまうようなことがあるけれど、でもそれが大きなきっかけになるというか。ゼロになるわけではなくて、こう…、ある形のあったものが壊れて現状回復されつつも違う要素が組み込まれていくし、それによって絵の中の組み換えが活性化してくる。でも、その天変地異的な状況を何とかしていく中で立ち現れてくる絵画というのが、もちろんそれは自分が求めているものだけれど、でも自分が求めている以上に美しかったりする。で、その状態自体が、私はすごくこの世界そのものに似ているなと思うところがあって。世界というのも色んな規模があって、すごく大きなところでいうと宇宙構造に似ていてと思うこともあれば、その問題を縮小して、いまこうして話している対人関係にも世界というものはあるなと。その関係とか在り方っていうのを、私は絵を描く時に分かっていきたいと思う。 コラージュに話が戻しますが、こうした重層性を持たせるのは、意識して? -制作中は意識しないんですけど、確かに私の作品はすごく重なっている、層になっていることが多いし、描いた結果を見てみると「あ、大事なんだな」と思うことは多いですね。というのも、キャンバスって絵を描く前に見ると、白くて壁みたいに見えるんですよ。何か幕というか、何かが隠してある幕のようにも見える。で、その描く時になにを求めているのかというと、多分、私の中ではキャンバスの奥に何かがあるんじゃないかと。 …描く時に触ることがあるんですけど、キャンバスを。白いし何もないし、でもその奥にその何かがあって、何かに繋がるかもしれないと感じる。その奥側に行きたいんだけれども、でもキャンバスっていう壁がすごく厚くて。 そこに行くためのアプローチを続けていくんですけど、そういう時に奥行きっていう構造はすごく重要で。 画家という位置と、キャンバスという位置と、その向こう側という位置に向けていくつもの層を体感しながら、その向こう側に手を届かせたいというか、向こう側を見たい。 だから、ちょっと掘り進めている感じに近い。このキャンバス材を突き破って向こう側に到達したいと思うので、だから結果として重層的にならざるを得ないところはあるかな。 掘りすすめる/重層化させるにあたって、自然に近い素材を選ぶのが重要? -単純に素材との相性もあるんですけど、石とか土にすごい興味があって。…凄く抽象的な言い方ですけど、石とか土のどうにもならない感じというか、どうにもならないけれど、石とかは時間が経っても変わらないようでありながら磨くと姿形を変える、石が石を産むっていうこともあるし、その沢山の可能性というか、意味というか、石にしても木にしても、それぞれが秘めている力がある気がして想像力が膨らみやすいなと。 ガラスについて言えば、使うようになったのも教会を見に行っていた影響なんですけれど、 ステンドグラスってキャンバスみたいに壁に設置されていて、空に向かって立っていて、ステンドグラスの奥側からくる光によって照らされて色彩がこちら側にやってくるっていう、それに何とも言えない情動が湧き上がる仕組みがあるなって思って。 かつ壁画の人に聞いたんですけど、ステンドグラスを切るのってシスターの修行にもなっているらしくて、何かの霊性を秘めながら切ったり貼ったりしていくっていう成り立ちも気になるところで。その機能もそうだし、その背景自体にも意味がある気がして、私の中では特別な素材ですね。 例えば《柔軟なコスモス》等はどこか風景画にも感じられるのですが、そこに先程のたどり着きたいとおっしゃっていた『キャンバスの向こう側』を想定することは可能ですか? -正直、まだ私の言葉ではうまく表現できていなくて。何か凄く…、タッチしたいんだけど何かは分からなくて、明確に私の言葉では言えなくて、便宜上ギャラリーの方から『形而上的なもの』と形容してもらったんですけど、私の中ではまだしっくり来ていなくて でも風景というのはひとつ、的を得ていて…、個展タイトルが「・/♯ La la la la la la...

アートの外、そして中。アウトサイダー・アートの作家たち

アウトサイダー・アートとは1972年に美術評論家のロジャー・カーディナルによって提唱されたこの概念。言い換えるならば、正規の美術教育を受けていないアーティストによって制作されたアートを指すテクニカルタームと言える。  型破りで自由なスタイルのアウトサイダー・アートについて、本記事ではACMギャラリーが取り扱う作家を紹介していく。 藤橋貴之/Takayuki Fujihashi 1963年生まれ。20歳になって、新明塾の仲間と出会い絵を描く楽しさを知りながら、自分の世界を広げる。 20代、30代は染色、クリーニング屋さんなどで実社会経験も積み、真面目で着実な仕事ぶりは評価される。その後、一時期工房ソラに入所、さおり織や陶芸の絵付けなどでその造形感覚を発揮する。現在は自立を目指して一人暮らしをしている。 作家の詳細はこちら 神楽谷/Kaguratani 1971年生まれ 岡山県津山市在住。常に自分の興味のあるものにアンテナを張っており、興味あることを形にしたいという思いは強く、油絵、水彩画、デザイン、オブジェなど、興味の赴くままに作品を作っていく。いくつもの作品が同時進行で制作されており、アトリエには制作途中の作品が多くある。 作家の詳細はこちらから XL 1967年生まれ。2006年より「NPO法人スウィング」に所属。中学卒業後、左官屋に就職するも激しい「いじめ」にあい速攻で退職、推定15年に及ぶ引きこもり生活を経験する。芸術創作活動「オレたちひょうげん族」、京都人力交通案内「アナタの行き先、教えます。」等、多方面に渡ってスウィングの「仕事」を中心的に牽引中。 作家の詳細はこちらから 寺井良介/Terai Ryosuke 1985年生まれ。野球への情熱は、動物や身の回りにあるものを次々と野球の世界に引き込んでいく。一見すると無関係に思えるものも、元をたどると実は野球を発端に飛躍している。 作家の詳細はこちらから 松本寛庸/Hironobu Matsumoto 1991年生まれ。2〜3歳の頃から絵を描き始め、3歳で高機能自閉症と診断された。彼の作品は、その時の興味や関心を反映したものが多く、自分の考えるイメージに変えて描く。色鉛筆も300本、水性ペンも100本ほどの中から迷うことなく色を選ぶ。定規や消しゴムや修正液などは一切使わず、緻密で繊細で色彩豊かな作品が多い。 作家の詳細はこちらから 世界で評価の兆しが見える日本初アウトサイダー・アート。奇妙にも思える作品は、しかしその内面性故にボーダレスなパワーを持つのだろう。

Delta N.A – 芸術の自由の中の二つの魂

1つのキャンバスに2つの異なる魂をマージ - また、Delta N.Aとして知られているデュオアーティストネバエポックとアレッサンドロ-ヴィニョーラは、同じキャンバスに一緒に彼らの感情的な融合を表現する能力を開発しました。 心理学者としてのキャリアをスタートさせた時に、アートは自分たちに喜びを与えてくれるものだと気付いたという。それ以来、肖像画や具象作品を制作し、2008年には初の個展を開催し、世界に向けて作品を発表する勇気を与えてくれました。国際的な現代アートシーンに自分たちの作品を持ち込み、ヨーロッパ、アメリカ、アジアのギャラリーや美術館でグループ展や個展を多数開催。以来、彼らの作品は多くのプライベート・パブリック・コレクションに収蔵されています。 Delta N.Aの表現は、人間や自然の象徴的な構造物に幾何学的なサインが重なったユニークなものです。彼らのアーティスティックなインスピレーションは、現代人の内なる二項対立から解き明かされます。 See More Of Delta N.A's Artworks

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Feature Post

上床加奈 / 中島健太 / 野田怜眞による版画作品

TRiCERA人気作家による版画販売 先行予約はこちらhttps://forms.gle/tugNmB9D1QEhPLSq5 この度、TRiCERAではフジテレビのWEBメディア「フジテレビュー」に登場したアーティスト 上床加奈、中島健太、野田怜眞の3名のアーティストの版画作品を予約抽選販売致します。【販売に関する諸注意】(1) 作品にアーティスト直筆サイン、エディションナンバー入り。(2) 数量限定のため、在庫が無くなり次第販売は終了となります。(3) エディションナンバーは選択出来ません。(4) 作品の配送は本発売(2020年10月15日予定)より約2週間から1ヶ月のお時間を頂きます。(5) 下記の作品の仕様は制作前のものであり変更が生じる場合がございます。(6) お一人様一作品あたり2点までご予約いただくことが可能です。 上床 加奈《Blood 6》 アーティスト:上床 加奈 Kana Uwatoko タイトル : Blood 6 エディション:30 イメージサイズ(作品の図の大きさ):176 × 700mm シートサイズ(用紙の大きさ):196 × 720mmジクレープリント・ホログラム加工...

富士山と絵画の蜜月関係

 現在の静岡県と山梨県の間に聳える世界遺産「富士山」。  日本一の高さを誇るこの山は古来より、神仙が宿る山として崇められていた。それは、日本一の山であると同時に、圧倒的に美しい稜線を誇っているからに他ならない。また一方で、噴煙を上げる火の山として畏怖の念を抱かせる存在だったことも一つの要因だろう。  さて、周知の通り富士山は日本画でも人気の題材であった。しかし、現在でもただの自然の一部ではなく、一つの山に宗教性、芸術性を見出してきた日本人の自然観や文化観は衰えていないようだ。本記事では富士山を描くアーティストを紹介する。 中島健太/Kenta Nakajima 作家の詳細はこちらから やまゆりの/Yurino Yama 作家の詳細はこちらから 麻生彩花/Ayaka Aso 作家の詳細はこちらから YUKIMI 作家の詳細はこちらから 高橋浩規/Hiroki Takahashi 作家の詳細はこちらから 松崎大輔/Daisuke Kawai 作家の詳細はこちらから 河合眞平/Shinpei Kawai 作家の詳細はこちらから deTaka 作家の詳細はこちらから  同一のモチーフでいえば、富士山以上長い間繰り返し描かれたものはないのではないだろうか。しかし、それでも飽きがこないのは日本画誇る美しき霊峰とアーティストのなせる業なのだろう。

Keisuke Tsuchida: 鉛筆画による精神表現

私はいつまでも自分の心の中にある真実を表現するアーティストでありたいと思います。 <a href="https://www.tricera.net/drawing/id81000490012" 新進気鋭の作家、Keisuke Tsuchidaが同世代の作家たちと異なるのは、繊細で縦長の線と22種類のグラファイトのパレットを駆使した作品へのアプローチである。鉛筆画といえばリアリズムが流行っていますが、Tsuchidaは決して空想的な魅力を捨ててはいません。彼の作品は、喜びや幸せから同情、そして悲しみまで、純粋な感情の個人的な旅を呼び起こすことを目的としています。 今回のインタビューでは、Tsuchidaの想像力の源流、主流のリアリズムからの分岐点、作風の根底にある強さの精神についてお話を伺いました。このインタビューは、長さとわかりやすさのために翻訳し、軽く編集しています。 無から有を生み出す モノクロームで幻想的な世界を探る 無形の精神を物理的な形で表現する Keisuke Tsuchidaの鉛筆画はどこで買う? 無から有を生み出す それが幼い頃の憧れだったので、彼のようなアーティストになりたいと思った瞬間でした。 アーティストとしての自分をどのように発見したのですか? 私は昔から無から有を生み出すことに興味があり、それを実現するためには絵を描くことが自然な流れでした。 子供の頃はテレビゲームが流行っていて、特にロールプレイングゲームとそのストーリーに惹かれていました。また、ゲームに影響を受けたファンタジー小説「Tales from Earthsea」や、人気ゲームを原作とした小説「Ys」なども読んでいました。 私の記憶に鮮明に残っているのは、学校の図書館で見つけた日本のグラフィックノベルAkiraです。Tales from Earthseaもそうでしたが、その複雑さは理解できませんでしたが、だからこそ不思議な面白さがあり、大好きでした。この感覚、物語の中の謎と複雑さの興奮が、私の作品の根幹にあると思っています。 <a href="https://www.tricera.net/drawing/id81000490014" 高校卒業後、普通の会社に就職しましたが、自分の中で何かがおかしいと感じ、自分の人生に疑問を感じることが多くありました。ある日、アルフォンス・ミュシャの作品展を見て、アルフォンス・ミュシャの作品を見て、彼の美意識や技術、考え方の伝え方に驚愕しました。彼のようなアーティストになりたいと思ったのは、子供の頃からの夢だったんです。結局、会社を辞めて一人前のアーティストになることを決意しました。 なぜ鉛筆画をメディアに選んだのですか? 会社を辞めた後、美術学校で学びました。その間、自分のスタイルを模索し続け、様々なアプローチを試みました。様々なアートの形や技法を試しているうちに、「アート」という概念や自分の考えにとらわれすぎていることに気がつきました。そこで、自分の心の中にあるものを描くことを大切にしながら、一番シンプルな鉛筆と紙の形に戻ることを決意しました。 あなたの人生で最も影響を受けたアーティストや作品を教えてください。 それがアルフォンス・ミュシャとノーマン・ロックウェルだろう。どちらのアーティストもシンプルな作風で、根底に強いメッセージ性を持っています。私もいつか彼らのようなアーティストになることを目指しています。 モノクロームで幻想的な世界を探る ...私は感情の深さを表現することを心がけています。哀愁に満ちた表情の中に、優しさと喜びを感じることができるかもしれません。... <a href="https://www.tricera.net/drawing/id81000490006" Susumu Kinoshitaのような黒鉛筆作家のリアリズムが人気を集める中、Kinoshitaの作品はファンタジーな世界観や物語が際立っていますね。独自の作風で目指しているものは何でしょうか? どんな小説でも、読者は文章を通して登場人物の顔や風景を自由に想像することになりますが、私の作品はそれとは正反対です。鑑賞者は作品を通して物語や感情を想像することができます。 また、少しでも見る人の力になれればいいなと思っています。強くメッセージ性を主張しないアートや、余計な説教をするのではなく、悲嘆に暮れている時に静かにそばにいる人のように、心の支えになるようなアートを作りたいです。 だからこそ、私は感情の深さを表現することを心がけています。悲しみの原因の一つは、大切な思い出を失うことだと思うからです。悲しみの中にも優しい心を持ったキャラクターがいたり、孤独や苦難が囁かれる中にも喜びの場面があったり、そんな深みのある世界を描きたいと思っています。 あなたがアートで表現したいメッセージは何ですか? 私が作りたいのは物の精神ですが、それは形のないものです。だからこそ、余計なものを一切排除し、光と影だけを残した最もシンプルな表現方法のひとつであるデッサンに魅力を感じています。鉛筆アートは影を描くことで光を暗示する。私のようなシンプルなアートには、様々な解釈があります。私は自分の考えや考えを押し付けるのではなく、誰もがどこかで共感できるような核心的なものを表現したいと思っています。 最近流行のリアリズムを追うのではなく、自分のスタイルを確立することを重視したのはなぜですか? 鉛筆画の主流になってきたリアリズム。このジャンルのディテールや影の描写はとても素晴らしいのですが、現実世界から題材を描くということには興味がありませんでした。むしろ、自分の中から湧き上がってくるインスピレーションで描く方が好きなんです。何もないところから何かを生み出すという発想が好きなだけだと思います。 鉛筆画は他のどの媒体よりも何を表現できるのでしょうか? 間近で見ると、実際に一本一本の線を見ることができ、見る角度によって作品の印象が変わります。作家のタッチを観察することで、作家の情熱や心意気を感じることができます。 鉛筆アートは、道具や素材が身近なものでありながら、自分が思いつくものを何でも表現できる無限の可能性を秘めているという点で、とても特別なものだと思います。また、そのシンプルさが好きです。子供の頃に使っていた鉛筆が、後になっても機能しているような。 絵を描く以外に、どこでインスピレーションを得ていますか? ゲーム、アニメ、映画、グラフィックノベル、ファンタジー小説、音楽。今よりも80年代、90年代の文化が好き。滑らかで高解像度のゲームよりもピクセル化されたゲームの方が好きだし、CGIアニメよりも手描きのセルアニメの方が好きだし、バックグラウンドノイズの入ったカセットテープの方が好きだ。これらの過去のものが私に与えてくれる温かい感覚が好きで、ノスタルジーが私の創造性を刺激してくれるのです。 <a href="https://www.tricera.net/drawing/id81000490010" 無形の精神を物理的な形で表現する ...精神は、私が芸術を通して表現しようとしていることの核心です。 あなたの作品には、被写体と周囲の余白との間に強いコントラストがあるように見えますが、これは意識的な判断なのでしょうか?これは意識的な判断なのでしょうか? 私の作品の中には、意図的にディテールと周囲の空間のダイナミクスを弄るものもありますが、意図しない結果になってしまうこともあります。私が意識的にこのデザインの要素を作品に取り入れるのは、空虚さを「描きたい」からであり、言い換えれば、空虚な空間を際立たせるために描いているのだと思います。 私の作品における意図しないコントラストは、背景なしで被写体を描きたいというインスピレーションから来ています。背景を描かないのは、見る人の想像力に任せたいからです。私の作品の中にはシンプルすぎると思われるものもあるかもしれませんが、アイデアが被写体に完全にフィットするものでない限り、通常は背景は描きません。私の作品のほとんどは、背景があるもので、そのインスピレーションは被写体と密接に結びついています。 あなたのスタイルは、他の同世代の人たちと比べて、より地に足の着いた、のんびりとした感じがしますね。作品を通してどのような感情を呼び起こしたいですか? 私の画風に強く影響を与えた二人の人物についてお話しましょう。 学生時代、クラスメイトからどんなにひどい目に遭っても、いつも笑顔で反撃しない友人がいました。面白いことに、それが起こったときに激怒したのは私でした。いじめに加担する人と違って、自分のルールを守り、喧嘩をしない強さを持っていた友人を尊敬していました。 もう一人の友人は、クラス全員から無口扱いされて無視されていた私を助けてくれました。普通に話しかけてくれたのは彼だけで、彼のおかげで学校での孤独な時間を乗り切ることができました。 この二人の友人の中には、権威や目立つことによってもたらされる強さではなく、彼らの精神の中に真の強さがあると感じました。私が芸術を通して表現しようとしていることの核心には、同じ精神があります。 <a href="https://www.tricera.net/drawing/id81000490001" アートは洗練されたものでなければならないという考えにとらわれて、自分の考えた「洗練されたアート」を作ろうとした時期がありました。しかし、その考えを追求した結果、自分の表現したいもの、つまり、本当の精神の強さから遠ざかってしまったのです。 時々、生と死といった哲学的な概念を題材にすることがあります。例えば、2011年に日本を襲った東日本大震災の時には、追悼の気持ちを込めて描いた。でも、そういうテーマは不自然な感じがするので、今後もメインにはしないつもりです。日常の中にある感情や思いを描きたい。自分の心の中にある本当のことを表現するアーティストであり続けたいと思っています。 Keisuke Tsuchidaの鉛筆画はどこで買う? 私たちは、土田圭介の鉛筆画作品を世界中どこでも購入できることを誇りに思っています。彼の作品をはじめ、他の日本の現代美術家の作品もご覧ください。

ポケモンと似ている?−ペーパーアート・ストーリー Part3 完 –

解は、どちらも進化する、と。この記事は、ペーパーアートのシリーズの最終章(現時点で)であり、まずパート1&2をおさらいしてから、その進化について見るとしよう。あるいは、リンク先に飛んでみると更に面白いであろう。 パート1 - 我々が子供の頃には知っていて遊んでいたはずの紙が持つ魅力も、「大人になる」過程で忘れ、つまらない物体と変わってしまう。しかし、「紙はアートを内包するメディアムであるだけでなく、創造性の魔法を唱える素材そのものとなりうる」ことを教えてくれる紙作家らによってその魅力を再発見できる。 パート2- 4000年以上に及ぶ人間と紙との関係への追憶は、ペーパーレス時代になっても一夜にして消えるものではない。厚さ1ミリにも満たない紙は、その発展とともに信じられないほどの芸術性を宿してきた。紙は植物に由来し、生物学的なエネルギーを持つ。この有機的エネルギーこそが「芸術家と芸術を、芸術と私たちを結ぶ触媒として繋いでいる 」のだ。 今回は、ペーパーアートのまた違った一面が見るとしよう。その進化は、想像力を超えて成長するポケモンのように、我々を驚かせるやもしれぬ。しかし、アートを愛する私たちとしては「目指せ〇〇マスター!」と、つい興奮に背を押される。 進化タイプ1「ニョロボン」原点を忘れない おたまじゃくしのようなポケモン、ニョロモを捕まえたときは、緑色のカエルのような姿に進化すると確信していたものだ。しかし、最終形態であるニョロボンは青くて渦巻きを腹につけたままで、要するにオタマジャクシのままだった。同様にペーパーアートの中にも、その起源に強く忠実で、紙の原始的な存在感を声高にするものがある。オランダのグラフィックデザイナーであり、庭の設計士でもあるStuidoMieは、「PaperWork」と呼ばれるシリーズを制作している。その名の通りに、実質的に紙片と紙のみで作られる単純さにも関わらず、その見事な芸術性の進化は見る者を打ちのめす力がある。 抽象とミニマリズムのDNAから進化したと見える彼女の作品は、変貌の小さいニョロモ–ニョロボンの系譜に感じた「要素を徹底的に削ぎ落とした中にこそインパクトがあるのではないか」という問いかけを鑑賞者に残す。彼女の作品はアートの既成概念的な構造や美学にジャブを入れるようである。ミニマリスティック・アートの巨匠フランク・ステラは「目に見たものを見たままに(理解せよ)」と言うが、私は彼女の作品を庭の設計士的、自然環境的な側面から解釈せずにはいられない。(そして彼女の作品を見ているとなぜか、アメリカの前衛作曲家ジョン・ケージの音楽が耳に聞こえてくる。) もし一度でも迷路庭園に足を踏み入れたことがあれば、パターンを認識しようとしている間に、形や影に目が錯乱される事に気付いたであろう。また、植物を育てていると、その成長や天候の変化をいくら分析しても、予測できない事態に遭遇する。StudioMieの作品では、構造的に配置された紙片が生み出す不確かな影と、人工的迷路から自然森の中に迷い込む様な予測困難さを体験できる。彼女は、コロナウイルスのロックダウン中に「パターンやシステムが予期せず不安定になるとどうなるのだろうか?システムは回復するのか、変身するのか、それとも衰退するのか?」と自問し、それをPW024 / faltering patternのシンプルながら力強い作品に昇華させることに成功している。 進化タイプ2 「ギャラドス」 バリバリの肉体改造 2種類目は、無力に跳ね回るコイキングから空飛ぶ水竜、ギャラドスへの劇的なジャンプをみる様に、大村洋二朗の作品も、同じDNA(この場合は紙)からどうやって進化したのか頭をひねらされる。生命力に溢れる彼の作品だが、信じられないことに、彼の彫刻の才無くしてはただの紙切れなのだ。サイケデリックな色のトカゲは今にも獲物を捕らえんばかりの勢いで、六枚羽根のトンボは星散りばむ銀河へと舞い立つ。数々の賞を受賞した彼の想像力と技術によって、それらは驚異のペーパーアート変種へと成長を遂げた。 もちろん、古典的なキャタピーからバタフリーのような進化タイプもあるが、この広大で多種多様なアート界であなたのお気に入りを見つけて集める楽しさを、あえて奪いたくはない。自分なりの図鑑完成、〇〇マスターを是非目指して頂きたい所だ。 更なる楽しい発見のためにも、ArtClipニュースレターの購読をお忘れなく!

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