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FALSE SPACES:FALSE SPACESとは何かを問う

TOKAS Project Vol.2 “FALSE SPACES”

TSUDA Michiko, “Journey”, NG Tsz-Kwan “Solitude Cinema Ver.3” Installation View, FALSE SPACES, 2019

東京芸術劇場本郷にて 東京を代表するアートセンターの一つであるTOKAS本郷では、展覧会を開催しています。 “FALSE SPACES” “FALSE SPACES “は、TOKAS Project Vol.2で企画された。 関係者によると、2018年から始まったTOKAS Projectは番組として 思索的に芸術や社会などに光を当てることを目的とした 多文化の視点からのテーマを、国際的な活動との連携を図りながら、世界に向けて発信していきます。 アーティスト、キュレーター、アートセンター、文化団体。

TOKAS「FALSE SPACES」では、ホンとコラボ。 香港を拠点に活動するインディペンデント・キュレーターのIP Yuk-Yiu氏と香港芸術センター(HKAC)が共同で開催する展覧会。 本展では、主に日本と香港のメディアアートに焦点を当てています。 をベースにしたアーティストたちと キュレーターIP Yuk-Yiuとキュレーターチームの共同キュレーションにより 本展では、日本人アーティストのITO Ryusuke, TSUDAの3名が展示されます。 Michiko, NAGATA Kosuke、香港からの3人のアーティストNG Tsz-Kwan, Stella SO そして WAREです。

日本と香港の現代アートシーンにおけるメディアアートの鑑賞が「FALSE SPACES」を通じて可能になったことで、一つの作品といえるでしょう。 この秋、日本の現代アートシーンで最も見応えのある展覧会のひとつです。また、キュレーションの面でも充実しているため、メディアアートだけでなく、「空間」をテーマにした展覧会となっています。

大都市である東京や香港は空間の問題に直面しています。それは、ジェントリフィケーションの問題であったり、過疎化の収束の問題であったりする。このような都市に共通する問題から、「空間」という概念を広げていくことができます。本展では「空間」に焦点を当て、多くの言説やアイデア、疑問を投げかけてきました。そのため、本展では、都市の場所をめぐる現実的な問題から、「空間」という概念そのものまで、「空間」を探究させています。展示作品の中には、実際の場所や文化が作品を通して見えてくるものもありますが、同時に「空間」という概念が再解釈され、仮想空間のような非実在の場所へと変換されていきます。

ITO Ryusuke, “Naturalism”, Installation View, FALSE SPACES, 2019

逆説的に「FALSE SPACES」というタイトルは、空間の特徴である「多様性」を指摘しているように見えます。メディアアートには多様性があり、空間にも多様性がある。メディアアートには、写真、映像、インスタレーションなどがある。同様に、「空間」には実用的な空間、課題、さらには抽象的な空間も含まれます。このように、メディアアートと空間という2つの大きな特徴を結びつけることで、展覧会の内容を豊かにし、面白い展覧会にすることができます。さらに、「東京」「香港」「都市」「メディアアート」「空間」の5つのコンセプトに注目していただければ、より楽しい鑑賞が可能となります。 FALSE SPACES」展は10月12日から11月10日まで開催されます。また、関連プログラムとして、2020年2月に開催される香港アートセンターのシンポジウムでは、その後の展覧会も予定されています。

NAGATA Kosuke, Installation View, FALSE SPACES, 2019

FALSE SPACES- TOKAS Projct Vol.2

  • 日程:2019年10月12日(土)~11月10日(日)
  • 時間: 11時~19時
  • 休館日:月曜日(10/14、11/4を除く)、10/15(火)、11/5(火)
  • 入場無料

記事を書いた人:Jeongeun Jo
韓国出身、日本在住。東京藝術大学大学院美術研究科を卒業したTRiCERAのメンバーの一人。彼女自身もアーティストとして活動しています。

Shinzo Okuokahttps://www.tricera.net/
1992年東京都出身。大学でインド哲学を学んだ後出版社に勤務し、アート雑誌と神社専門誌の副編集長として雑誌及び書籍の企画・編集に携わる。2019年にスタートアップ企業である株式会社TRiCERAに参加、日本初の現代アート専門の越境ECの開発及びアーティストのマネジメント、自社オウンドメディアの立ち上げを担当する。特技は速筆で、雑誌時代には1ヶ月で約150ページを1人で取材・執筆した。

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鈴木潤~芸術が脈打つ~生命を宿すボールペン画。

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アウトサイダー・アートとは1972年に美術評論家のロジャー・カーディナルによって提唱されたこの概念。言い換えるならば、正規の美術教育を受けていないアーティストによって制作されたアートを指すテクニカルタームと言える。  型破りで自由なスタイルのアウトサイダー・アートについて、本記事ではACMギャラリーが取り扱う作家を紹介していく。 藤橋貴之/Takayuki Fujihashi 1963年生まれ。20歳になって、新明塾の仲間と出会い絵を描く楽しさを知りながら、自分の世界を広げる。 20代、30代は染色、クリーニング屋さんなどで実社会経験も積み、真面目で着実な仕事ぶりは評価される。その後、一時期工房ソラに入所、さおり織や陶芸の絵付けなどでその造形感覚を発揮する。現在は自立を目指して一人暮らしをしている。 作家の詳細はこちら 神楽谷/Kaguratani 1971年生まれ 岡山県津山市在住。常に自分の興味のあるものにアンテナを張っており、興味あることを形にしたいという思いは強く、油絵、水彩画、デザイン、オブジェなど、興味の赴くままに作品を作っていく。いくつもの作品が同時進行で制作されており、アトリエには制作途中の作品が多くある。 作家の詳細はこちらから XL 1967年生まれ。2006年より「NPO法人スウィング」に所属。中学卒業後、左官屋に就職するも激しい「いじめ」にあい速攻で退職、推定15年に及ぶ引きこもり生活を経験する。芸術創作活動「オレたちひょうげん族」、京都人力交通案内「アナタの行き先、教えます。」等、多方面に渡ってスウィングの「仕事」を中心的に牽引中。 作家の詳細はこちらから 寺井良介/Terai Ryosuke 1985年生まれ。野球への情熱は、動物や身の回りにあるものを次々と野球の世界に引き込んでいく。一見すると無関係に思えるものも、元をたどると実は野球を発端に飛躍している。 作家の詳細はこちらから 松本寛庸/Hironobu Matsumoto 1991年生まれ。2〜3歳の頃から絵を描き始め、3歳で高機能自閉症と診断された。彼の作品は、その時の興味や関心を反映したものが多く、自分の考えるイメージに変えて描く。色鉛筆も300本、水性ペンも100本ほどの中から迷うことなく色を選ぶ。定規や消しゴムや修正液などは一切使わず、緻密で繊細で色彩豊かな作品が多い。 作家の詳細はこちらから 世界で評価の兆しが見える日本初アウトサイダー・アート。奇妙にも思える作品は、しかしその内面性故にボーダレスなパワーを持つのだろう。

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「パンさえあれば、ほとんど悲しみは耐えられる」スペインの小説家で『ドン・キホーテ』の著者であるセルバンデスはこう語ったが、パンや白米にそれほどまでに万能薬と言えるかどうかは別にして、確かに食事は、言うまでもなく人間にとってなくてはならない存在だろう。 作品の詳細はこちらから 一食欠けばイライラが募り、一週間も飲まず食わずを続ければ死に至る。一方で「食事」という行為は、人間社会における重要な役割も果たしてきた。 例えば古代ギリシャ最強の軍事国家と目されたスパルタは「共同で食事すること」に重きを置いていた。食事を共にすることが団結力を高めると信じていたからだ。 他にも「食のルール」もある。もちろん個人の好み(例えば「夜は炭水化物を食べない」など)に限らず、例えばイスラーム教では豚肉が、ヒンドゥー教では牛肉を食べることが禁じられているし、あるいは仏教では午前中の食事だけが許された派閥もあるし、宗教によっては食事に厳密なルールを課すこともある。 果たして人間にとって重要であるように見える食物や食事だが、アートの世界ではどうだろうか?人間は、自分たちにとってウェイトの重いこの事柄を、いったいどのように造形化して来ただろうか? 例として絵画で見てみよう。絵画には具象画と抽象画、そしてその中間という、ざっくりしたタイプがある。Airaの場合はその最後の分類になるだろうが、ポップアート的な画面世界のこの作品は、多様な色彩を用いて葡萄をイメージ化し、その果物が元々備えていたフォルムから自由な形状になっている。 作品の詳細はこちらから 「美味しそうな作品」という意味ではどうだろうか。中島健太の描いている寿司は、エロティックに食欲を刺激するリアリズムの手法が使われている。18世紀の文筆家レッシングは『ラオコーン』で「絵画は、適切な瞬間を捉えるべき」と言った。中島の寿司は、まさに職人が握り、客に差し出された瞬間の、つまり、もっとも美味な瞬間を捉えているというべきだろうか。 作品の詳細はこちらから 弁当という食事の形態も興味深い。一般的に、食事とは自宅もしくはレストランで腰を下ろして実地される行為を指す。だが出先で食料調達が困難な場合などは弁当という、ポータブル式の料理形態を用いることが日本や台湾では古くからあった。733カロリーと20gのタンパク質が含有が示されている、Shintakuのペインティングがまさにそうだ。戯れにこれを「誰かが、誰かのために作った弁当」と解釈してみようするとストーリーが見えて来るだろう。こんな風に、喧嘩の翌朝は米だけが箱に詰められているかもしれないし、その反対であればこの作品のように時間と具材がふんだんに使われた弁当に巡り合えるかもしれない。ある意味で弁当は、無言の、食物を介したコミニケーションとも言える。 作品の詳細はこちらから そもそも「食事をする」とはどういうことか。極端なミニマリストと動物は別にして、人間にとっては「食事」と「栄養摂取」は別だ。好きなものを、好きな時に、好きな場所で、好きな方法で食べる。人間固有の快楽。もしくは、人間固有の遊戯かもしれない。 作品の詳細はこちらから 極端に個人の好みやこだわりが反映される「食事」という行為は、ある意味、その人となりを表現する方法だ。一方、アートを買うことは、アーティストの才能やアイディアの買うことでもある。食物や食事を描いている作品を買うことは、それに加えて、そのアーティストの生活を覗き見ることでもあるかもしれない。

soryo solo exhibition

個展開催記念 期間限定販売ページ このサイトはsoryoの期間限定オンライン販売サイトです。 下記の作品からお好きなものを選んでいただき、ご購入ください。 こちらのサイトではクレジット決済のみとなります。 *決済画面で作品番号を必ずご記入ください。 soryo A1サイズ(サイン付き限定30部)額なし : 10,000円(税抜き) 送料込み soryo A1サイズ(サイン付き限定30部)額付き:20,000円(税抜き)送料込み 額の色:ホワイト、ブラック、シルバー、ゴールドからお選びいただけます。決済ページで色の指定をお願い致します。 展示作品 soryo A1サイズ(サイン付き限定30部)額なし : 10,000円(税抜き) 送料込み soryo A1サイズ(サイン付き限定30部)額付き:20,000円(税抜き)送料込み 額の色:ホワイト、ブラック、シルバー、ゴールドからお選びいただけます。決済ページで色の指定をお願い致します。 About soryo -ソウリョ- 東京都八丈島出身。神主の資格を得るため上京し、その際、裏原宿の文化に触れる。 横尾忠則現代美術館の作品群や、高校時代の恩師から譲り受けた靉光の作品集、小学校高学年の時期にやり込んだ RPG テレビゲームの世界観に影響を受ける。日々のストレスから精神衛生を保つため、iPhone でのグラフィック作りを続けながら、今に至る。 2017 年 7 月 アイドルの顔から「輪郭」「目元」「鼻」「口元」の 4 パーツを切り取り 福笑いの技法で架空のアイドル少女を作り出す個展【GIRLS】 2018 年 8 月...

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「アーティストは作品とインスピレーションの間に立つ存在」浅間明日美インタビュー

アーティストの紹介はこちらから 刺繍の方法論で制作する浅間明日美は、自身のことを「器」と形容する。「インスピレーションを忠実に作品化することが大切」と話す彼女の制作スタイルは、自身でもシャーマン的と呼んでいるが、だからこそ混じり気のない純度を保っているのかもしれない。 刺繍をメインにした作品が多い印象ですが、元々刺繍は学ばれていたのでしょか? -いいえ、最初はドローイングから始めました。しかも独学でスタートしたんです。元々はイラストレーターとして活動していて、そこから自分の表現をやってみたいと思うようになり、クライアントワークではない、アートの方へ進みました。 刺繍へ移ったのは、子供の病気がきっかけ。その間は活動を休止していたのですが、でも制作はしたかったし、表現もしたかった。でも中々ペインティングの時間と場所の捻出は難しい。どうにか生活に地続な方法で制作が出来ないかと考えてたどり着いたのが刺繍だったんですね。 Honkadori Bacchus, 33×33cm 作品の詳細はこちらから 生活の中で無理なく出来る美術的表現が、つまり刺繍だったと。刺繍も独学ですか? -そうですね。だから、たまにワークショップを依頼されることもあるのですが、正直教えることが出来ない(笑)。自分なりのルールややり方はありますけど、特に体系化されているわけではないんです。あくまで自分の生活圏で出来る表現を探していった結果たどり着いた方法なので、いわゆる刺繍を学んだ人のやり方とは、きっと違うかもしれません。加えて、私の中では、あくまで美術の表現方法だということも大切で。だから工芸とか手芸になりたくはないと思っています。 「刺繍という方法を使ったアートワーク」である以上、美術家としての視点やスタンスがマストになりますよね。その辺りはどう考えていらっしゃいますか? -私の制作は、どちらかというとインスピレーション型なんですね。シャーマン的と言うとおかしいかもしれませんが、まさに「降ってくる」という感覚。モチーフが頭に降ってきて、それをどれだけ丹念に、作品として外に出すことが出来るか。それが私の制作のスタイルなんですね。 Honkadori Giuliano, 33×33cm 作品の詳細はこちらから つまり浅間さんにとってアーティストは、インスピレーションと作品の間に立つ存在なんですね。 -あくまで私の場合ですけど、そうですね。でも、だからこそ私自身の精神状態はすごく大事で。個人的に、作品は目に見えない部分、例えば作り手の精神状態による変化を受けてしまうと思っているので。だから、自分の精神状態が安定しない時には絶対に制作しない。必ず作品に反映されてしまうと思うので。朝も禊をしてから制作をするんですけど、そうしてインスピレーションをどれだけ純度の高い状態で受け取ることが出来るか、どれだけ純度の高い状態で作品化できるかが重要になってくるので。自我が入ってしまうと濁ってしまう。 昔は「アーティストじゃなくてシャーマンだね」と言われてコンプレックスに感じていましたけど、今は気にならない。むしろアイデンティティになっているのかなと。私の場合、自分の頭で考えるよりずっといい作品が出来ますから。 制作の流れとしては「思いつく」→「スケッチ」→「キャンバスに刺繍」といった感じなのですが、あまり気をてらったり、妙な意識は挟まないようにしています。 Enlightenment, 33×33cm 作品の詳細はこちらから 最後にお聞きしますが、これまで作品制作続けてきて、変わった部分や変えていきたい点はありますか? -基本的には無いかもしれません。私の作品には原型があるので、いかにそれを丁寧に掬い上げることができるかが勝負なので。だからずっと気をつけているし、大事にしている点は、やはり自分の心身ですね。具合悪かったり精神的に悪かったりすると、濁るじゃないですけど、良い作品は出来ない。いい器になっておくことが大事なんです。 アーティストのページはこちらから

ベッドサイドにもアートを-注目したい立体作品たち-

家のどこにアートを置くか、それはもちろんひとの自由だが、例えばベッドサイドに置いてみるのはどうだろうか。サイドボードの住人といえば時計やライト、メガネや水、もしくは読みかけの本が多いかもしれないが、その寝る時そして起きる時に目に付く場所に作品を置いてみるのも生活の刺激になりはしないだろうか。おはようからおやすみまで、1日をアートではじめ、アートで閉めてみる生活ははいかがだろう? Atsushi Kaneoya 作家の詳細はこちらから 日暮勇一 / Yuichi Higure 作家の詳細はこちらから 南村遊/Yu Namura 作家の詳細はこちらから セリア・デブラ / Celia Debras 作家の詳細はこちらから 小倉真 / Shin Ogura 作家の詳細はこちらから 山本恵海 / Megumi Yamamoto 作家の詳細はこちらから Saeka Komatsu 作家の詳細はこちらから

不確実な時代にとってのアートの意義を追求する。アーティスト本橋孝祐インタビュー

1989年兵庫県出身の本橋孝祐は、これまで美術を「ひとにとって一つの確認の儀式」として人類特有の営みと位置付けて制作を行ってきた。ペインティングや立体、インスタレーションなど様々なアプローチを取りながらも、そこには一貫して作品と鑑賞者のリレーショナルな意味性を探求する視点を根底に持ち続け、独自の視覚言語を提示してきた本橋にとって制作することの意義、これまでの歩みについて話を聞いた。 本橋孝祐 本橋さんは「死」や「生」などをテーマの一つにした作品を制作されていますが、アートを始めたきっかけから伺ってもいいですか?-アーティストとして活動し始めたのは2013年頃からです。自分は独学で描いていますが「アーティストとして作品をつくる」と初めてキャンバスを買ったのが2013年、それから2年後に1回目の個展をしました。活動のきっかけは、幼い頃の阪神淡路大震災や自分自身の事故など「死」に関連した体験を重ねたことだと思います。例えば誰しも「あなたは明日死にます」と言われたら自分の財産や知識を人に残そうとすると思うのですが、同じように自分の中にあるエネルギーを誰かに残したくなりました。それがアーティスト活動の始まりです。例えるならUSBドライブのように、エネルギーを自分の外に出して、誰かに繋げたかったんだと思います。 《無碍》2020, オイル・キャンバス , 1,167×727mm 方法としては文章とか歌とかあると思うんですが、どうしてアートを?-そこは難しいですね(笑)。昔から絵を描くことが好きだったからだと思います。 絵以外では何に興味があったんですか?-社会心理学や精神分析、あとは国際援助などに興味がありました。大学では心理学を勉強していて、大学を出たら国連で働こうと思っていた時期もありました。心理学に興味を持ったのは中学生の頃。家族が精神疾患を患って、そのときにひとの幸不幸がものの見方に左右されるんだなって。だったら心理学を勉強すれば人を幸せにできるんじゃないかと考えたのが理由です。多分、小さい頃から人に共感しがちで、自分と他人や世の中との境界線が曖昧というか。だから自分と他人両方セットで幸せになりたいみたいな。学生の頃には同年代の人のカウンセリングをしたり、学生サロンみたいなものにも呼ばれて「愛とは何か」みたいな話もしていた頃もありました(笑)。でも考えていくとそれってビジネスじゃないよなと思って。生業にするイメージは持てませんでした。 そこからアートの方へ?-ネガティブな要素もポジティブな要素もありますが、前者でいえば普通に働くことには向いてなかったのだと思います。自分の納得していないルールを守ることが出来ないし、じゃあ自分の生まれてきた意味や、自分が神様で「本橋孝祐」という人間を最大限に有効活用するにはどうすれは良いかなど考えた時、自分が一番没頭できて、意味があると信じられることをしよう、ということでアートに。 《Universal Composition》2020, アクリル・キャンバス , 1,620×1,303, Installation view at elephantSTUDIO 作品制作をする中で感じること、発見することはありましたか?-「アート=自己表現」だと思っていましたが、やっていく中でその感覚は変わっていきました。ルイス・カーンという優れた建築家が「芸術の最も美しい部分は作者個人に所属しない」と言っているのですが、それにとても共感していて、自分というより、自分の手を通して世の中や人間が絵を描いてるという感覚が強くなってきています。今は鑑賞する人が信じられるというか、ある種、心の拠り所になるような作品をつくりたいと思っています。今の時代、特に東京は、変化の速度がものすごいですよね。世の中の様子や価値観がコロコロ変わる。そうやって加速すればするほど、普遍的なものが人間の心の拠り所として必要なんじゃないかなと思っています。もちろん僕自身にとっても。だから普遍的な作品を作りたいと思っています。 制作を始めた頃は「これじゃないな」と納得できない作品ばかり描いていました。どれも素直じゃないというか、説得力を持たない。翌朝見て「駄作だな」と思ってしまう。説得力を持たない作品は、きっと嘘ついてるからなんだと思います。実は結構色んなことを気にしてしまう方で、自分の年齢や周りの人間との社会的な関係、自分が生きている時代のことや性別など。それを忘れて描いてみようと腹を括った時にはいい作品ができました。「何年後経ってもこれは真実だと思えるな」と自分の腹に落ちる作品が。 人生そのものをテーマにした作品が多いですが、それは「普遍的なものをつくりたい」という気持ちから?-そうですね、それはあるかもしれません。普遍性や、真実性が大切だと思っています作品を買った人は毎日見ることになるし、その作品に嘘があったら嫌だと思う。アートは鑑賞する人のパースペクティブというか、ものの見方を提供する側面があります。「今すぐ死んだ方がいいですよ」というメッセージを込めた絵があったら、見る人はそれを否応なしに受け止めてしまいます。真実味がないものをやると世の中に対して害でしかないと自分は思っていて、信じても差し支えないもの、受け入れることで現実と調和するようなものを作品にしたいと思っています。 《光の地蔵(orange,blue,green,purple)》2020, アクリル・木材 , 1,300×450mm その中でも生や死にまつわる作品が多いですよね。-多分、そこに関する問題が一番切実だからだと思います。今年なんか特にそうですが、地球全体が2020年ほど「死」に対して意識的になったことってないんじゃないでしょうか。自分の知人のパートナーも亡くなったんですが、世の中的にも身近な人が亡くなったり、自分の命が危ぶまれる怖さを感じたり、それはなんとなく社会全体で共通している感覚だと思います。パソコンのディスプレイやテレビの向こうで悲惨なニュースがずっと流れていて、でも世間としてはそれを経済やライフスタイルの問題として取り扱うわけですが、みんな心の底では「誰かが死んでしまった」という思いを消化しきれずにいるんじゃないか。そういう空気感があったのが2020年なのかなって。それに対して、つまり死んだ人はどこに行くのか、死をどう受け入れるべきなのかという問いって宗教の問題ですが、現代の生活では個々人が一人でどう解釈するかっていう事に全て委ねられている気がしていて。アーティストとして生死の分断にどう取り組むべきかと。今度個展をするんですが、そこでは「生きている自分たち」にフォーカスしようと思っています。岡本太郎は「芸術とは生きることだ」って言っているけど、そもそも生きていることって一つの特権で。だから個展では身体性の強い作品というか、生命を謳歌することをテーマにした作品と、もう一方で「死んだ人はどこに行ったんだろう」という素朴な疑問を扱おうと考えています。 《Bloom》2020, オイル・木 , 1,303×894mm 制作を続ける中でモチベーションになる目標などはありますか?自分の手も何かを感じる心も、全部つくるためにある気がしています。だからある意味制作は、与えられた身体や命に対する敬意で、ちゃんと使っていきたいです。あとはおこがましいかもしれませんが、単純に自分の関わる人を出来るだけ幸せしたいし、出来るだけ多くの人に関わっていきたいと思っています。 本橋孝祐の作品はこちらから

自然現象の可視化、人間の感覚への刺激

赤松 音呂「メテオン」(ミヅマアートギャラリー) 'メテオン'は5月29日から6月29日まで開催中。神奈川を拠点に活動する赤松ネロの作品が、東京・市ヶ谷田町のミヅマアートギャラリーで展示されます。 目に見えない自然現象である地磁気の効果を主に研究している赤松。しかし、この目に見えない現象を、独自の方法論で表現しています。 自然現象を具現化することで、彼の作品は視覚、音、時間、体験を中心とした作品となり、現象学的な体験となる。 本展では、熱気化の原理を利用した「メテオン」と、地磁気の存在によって流動的に回転するインスタレーション作品「チジキグモ」の新作2点を発表します。 赤松 音呂とミヅマアートギャラリーの声明によると、人間は第六感として磁気を感じる可能性があることが近年の研究で明らかになっています。赤松はこの「地磁気」というテーマを作品に取り入れています。 熱の気化の原理や地磁気の影響を可視化した作品でありながら、五感で自由に作品や展示を感じてほしいと考えています。私たちの第六感とは何なのかはわからないかもしれませんが、本能的に何かの現象を感じることがあり、それを第六感としたいと考えています。赤松が扱うテーマを押し付けることはありません。 赤松の自動で動くインスタレーション作品は、微妙な音を出しながら動作します。目や耳といった人間の五感を刺激する作品は、私たちを目覚めさせてくれます。赤松が探求する自然現象を感じることができるかどうかは別として、慌ただしい生活の中ではなかなか感じることのできない「五感で覚醒する」という体験をしてみるのもいいかもしれません。 記事を書いた人:Jeongeun Jo韓国出身、日本在住。東京藝術大学大学院美術研究科を卒業したTRiCERAのメンバーの一人。アーティストとしても活動しています。

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