木曜日, 5月 26, 2022
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誠実さと自己投影の絵画について。Yuta Okudaインタビュー

「自分のやっていることに嘘はない」とyuta okudaは語る。細密画と墨を用いるペインターである彼に、真摯さを何よりも最も尊ぶという制作姿勢を始め、その作品について話を聞いた。

細密画の技法をベースにした生き物のペインティングが多い印象ですが、まずは作品について簡単にご説明願えますか?
-自分の作品は全て、無意識の自己投影と自己解釈がベースになっています。無意識のレベルで生き物たちの単体の作品を思い浮かべ、それを意識レベルでコンセプトワーク、例えば般若やマリリンや狛犬などにしていきます。
無意識で描きたい題材は、常に花や生きもので、そこから美と醜、愛と嫉妬、生と死など相反する二つのテーマを1枚の中に表現しています。モチーフは常に生きものたちで『beautiful foodchain』コンセプトに、自然の摂理の美しさを描いています。
作品の表現手法は年々、ここ数年で、線のみの計算された細密画から、墨のにじみを使った偶然性を線画で活かした作品へと変化してきていますね。環境や心の変化が大きく影響だと思うのですが。それから細かい線画を描く理由は、おそらく気質だろうと思いますね。

Marilyn monroe
530×530, 2017, pigment ink /Kent Paper

デザイナー出身だそうですが、アーティストになったきっかけは?
-きっかけは色々とありますが、第一には、きっとアーティストになりたい気持ちが強かったからだと思います。デザイナーとアーティストとでは、全く性質が違いますから。
デザイナーとしての私は「柄に力を入れる」類の、非常にクリエイティブ志向の強いタイプでした。でも商業デザイナーに個性は求められない。決まったデザインを、決まった通りに、決まったスケジュールでこなしていくことが必要。それが、思ったよりもストレスだった。だからスタートは「ただ自分の描きたい絵を描きたい」という、本当にそれだけだったと思います。

そうして、すぐに絵を描き始めたのですか?
-いいえ、最初は自宅で描いているだけでした。ストレス発散の意味合いが強かったですね。ただひたすら描く。今見返すと、その頃の絵は、すごく密度が高く見える。必死というか、鬼気迫る印象という方が近いのかな。本当にストレス発散だったし、負の感情を吐き出している感じでしたね。人に見せることなんか考えても見ませんでしたね。全く、これっぽちも。言わば毒素ですから、自分の(笑)。

それでも発表活動をされた、つまりプロのアーティストとしてスタートを切ったわけですよね。
-認めてくれた人たちがいたんです、私の絵を。自分のネガティブが丸出しになった絵を「いいね」と言ってくれる人たちがいた。驚きでしたね。驚きだったし、有り体に言えば、気持ちが良かった。商業デザイナーでは、そんなこと絶対にないですから。ファッションでは取り繕いをしていたけど、絵画は裸。その部分を見せて、評価してもらえたことが嬉しかった。そんな時期に友人のアーティストを見たりして、その姿に嫉妬し、「自分も」と考えました。アーティストを目指したいと思ったのは、だから嫉妬心かも。それでもやるならプロとして、趣味ではなく、生半可な気持ちは捨てようと思っていました。やるなら、徹底的にやろうと。

Whale
1167×910, 2019年
pigment ink・gold foil・Brass foil ・Japanese ink /Kent Paper

作品は自己投影的と仰っていましたね。制作のプロセスは、当初から「無意識→意識」のように定まっていたのですか?
-最初の頃は、もうひたすら描く、に尽きますね。平均したら1日15時間くらいかな。3日間描いて半日寝るとか、とにかく吐き出そうと思って。溜まっていたもの、湧いてくるものを全部吐き出したら、ようやくコンセプトが見えてきた。それが「自己投影」。
ファッションとは逆ですね。そっちではコンセプトメークが先にあって、そこから組み立てていましたけど、私がアートでやっているのは自分自身を発見していくこと、つまり一番正直な自分を出すこと。どれだけ裸になれるか、どうやってその部分を引き出すかが重要になってくる。自分の経験がどういった形でアウトプットされるか、それを見てみたいんです。

ですが、ご自身の経験をベースにしているとインプットが大変じゃありませんか?
-最初の3年で尽きましたね(笑)。30年の人生が、3年で底を突いた。でも、それは上澄の30年だと思っています。もっと掘り下げられると思うんです。自分の本質が何か、自分のベースが何か、この3年で自分の30年を振り返ることが出来た。3年かけて、ようやく自分が分かってきた気がするんです。だから、これから色んなものを取り入れ、新しくつくっていく。今は第二のスタートに立っている気分ですね。

wisdom
743×607, 2019, pigment ink /Kent Paper

最近では初期の細密画に加え、墨などを使用した作品も増えました。その変化は意図的なものですか?
-私の作品は、やはり、私自身と連動しているから変わりはする。物質的にも精神的にも、昔と全く同じような絵を描けと言われても、それはすごく難しい。変わりはするけど、でも言えることは、今自分がやっていることに嘘がないということ。本当に疑問が湧かないんですね。さっきも話に出ましたけど、私の絵はいかに裸になれるか、自分に正直になれるかが重要。だから、それを基準に考えるのであれば、今やっていることに間違いがないことは断言できると思います。
一方で制作や技法のことを言えば、まず大作や多作の点が課題ですね。以前は絵を描いて食べれること自体が幸せでしたが、今は目標をより上に置いているせいもあり、今後は作品の点数にも気を付けていきたい。他にも、例えば素材については常にアップデートをかけるように心がけていますね。水彩も試したし、銅版も油彩も、日本画も、あとは粘土など色々と試した。その結果、自分の性質に合うのが墨だなと。

A beautiful foodchain
1167×1167, 2017, pigment ink /Kent Paper

3年間の制作と発表という形でご自身の整理整頓をして、新しい目標と課題も見えてきて、今は次のステップを目指されると。その目標は、もう具体的に見えているんですか?
-私の作品は自己投影なので、やはり、将来のビジョンの全てがはっきりとはしていません。言えることは、それでも自分に嘘はないということ。制作では裸でありたいし、正直でありたい。だから自ずと出て来る自分の経験を活かしたいですね。
先ほども少し出ましたが、私の絵は、無意識のレベルで言えば常に花や生きもの、その美と醜や生と死に言及しています。自分の見たいもの、見ようとしているもの、絵画として描きたい者が少しずつ明確になってきている。ようやく空っぽに慣れたので、これからは様々な経験を取り入れ、それを絵画に練り上げていく仕事が待っていると思います。多分、絵はどんどん変わっていく。今の私と、絵を描き始めた当初の私は違う。だから昔のような切羽詰まった雰囲気ではないかもしれません。でも、変わる部分があることが悪いとは思わないんです。むしろ環境や自分の変化を理解しつつ、取り入れつつ、いかに自分だけの絵画を描いていくかを考えていきたい。どう変わっても、私の場合は自分の活動に嘘がなく、疑問がなく、正直であるならば大丈夫なんです。私にとって絵は一番の裸の部分、正直な部分を見せることですから。

Shinzo Okuokahttps://www.tricera.net/
1992年東京都出身。大学でインド哲学を学んだ後出版社に勤務し、アート雑誌と神社専門誌の副編集長として雑誌及び書籍の企画・編集に携わる。2019年にスタートアップ企業である株式会社TRiCERAに参加、日本初の現代アート専門の越境ECの開発及びアーティストのマネジメント、自社オウンドメディアの立ち上げを担当する。特技は速筆で、雑誌時代には1ヶ月で約150ページを1人で取材・執筆した。

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さめほしは1997年東京都出身、2020年に武蔵野美術大学油絵学科油絵専攻卒のペインター。2016年頃からアクリルとペンを使い、デフォルメされた少女の顔や体を破裂・溶解させ、その崩壊と形成を繰り返す姿を描いてきた。「可愛いものは崩されても可愛さを保ち続ける」というさめほしに、今回は作品の背景やこれまでの歩みについて話を聞いた。 さめほしさんは生成と崩壊をテーマにした女の子の顔をメインに描かれていますね。顔や目の大きさをデフォルメした顔もそうですが、加えてそれを意図的に崩している。その点にからお話を伺えますか?  感覚的な話になってしまい恐縮なのですが、モチーフについて言えば、一番の理由としては可愛さ。小さい頃からプリンセスのような女の子を描いていることが好きだったんですけれど、両親の影響から90年代頃のアニメを見たりゲームをすることが多くて、その中でデフォルメされたキャラクターを好きになっていったんです。 作品の傾向のせいか、よく「アニメが好きなの?」と言われるのですけれど、実際にはそこまでアニメや漫画というジャンル自体に強い思い入れはなくて、むしろ頭身の低い、デフォルメされた女の子の可愛らしさ自体が好きなんです。 一方では可愛いさだけじゃなく、その可愛らしさが崩れている状態にも関心が強くて。可愛いのに、その可愛らしさが溶けるように崩れていっている状態。その「もう元には戻らない」ということが余計にその美徳を強めるというか、これは感覚的なことなのですけれど、その様子にすごく惹かれるんです。 加虐的な趣味というわけではなく、バラバラになったり破裂していたり、崩壊した可愛らしさにも別の可愛らしさがあると思っていて、むしろ「可愛い」というものを単純化されないカタチで表現できるのではないかな、とは考えています。 クリスマスケーキ 2020年 29.7 × 42cm Giclee Printing on paper edition:50 さめほしによる限定エディションプリントはこちら 顔だけでなく、身体そのものの形状も崩れている絵画もありますね。「可愛いらしさの崩壊」以外にも変形する身体にも関心がありますか?  おっしゃる通り、キャラクター化された女の子以外やその崩壊以外に、そもそも顔がぐちゃぐちゃしていたり体がバラバラになっていたり、あとは硬いものが柔らかいものに衝突して弾け飛んでいる様子とか、グロテスクなものが好きというわけではないのですけれど、そういう様相が綺麗だなとは思っていて。 AKIRAという作品に登場人物の1人の体が変形していくシーンがあるのですけれど、特にそこが好きで。むしろそこしか見てないくらい(笑)。きっと途中経過というか、例えば魔法少女の変身シーンのように動いている状態が好きなのかもしれません。 そういうわけで形が変わっていく身体については昔から「いつか描いてみたい」程度には思っていたんですが、実際のきっかけとしては愛☆まどんなさんの作品に出会ってからですね。  愛☆まどんなも融解的な色使いをされますけど、崩壊性はそこから。 ええ、そうですね。「ああ、これだ」と氷塊することが多くて、これも発見というか、何かが揃った感覚が自分の中にあったのですけれど、そこからは女の子の顔とか体を崩壊させた絵に取り組むようになりました。 United 2015年 116.7×91cm キャンバスにトレーシングペーパー・油絵具・ペン 現在の絵画を形成するうえで参照した作家さんは他にもいますか? あとは大槻香奈さんですね。最近の作家さんから影響を受けることが多いのですが、大槻さんはデフォルメされた女の子の顔のパーツの配置がすごく卓越していると思うし、縦長の目の描き方はとても参考になります。 どちらも影響力が強い作家さんですけど、その影響下から自由であることは大変ではなかったですか? いや、それが本当にそうで。ただでさえ影響されやすいというか、流されやすいというか、自分自身の性格的にも模倣に走って行きがちなところがあるので悩みました。 でもお二人とも特徴的ではあるので、例えば愛☆まどんなさんの異色肌の女の子、影の色に蛍光色を使うこと、あとは目の中に文字を入れるなど視覚的に独特な部分について自分の中で使用を禁じたり、「これはしない」などルールを設けることで追従をしないように心がけましたね。 デフォルメされた女の子、身体や顔の崩壊性以外にも、さめほしさんの作品は線描や絵具の質感も特徴の一つだと思うんですが、こちらも他にルーツがありますか?  その二点については自分の好みかもしれません。もともと線をひくという行為自体がすごく好きで、細い線を描いていたくて今の絵を描き始めたようなものかもしれないです。何も考えずとも引いていると自然と作品が出来上がってくる線の不思議さも好きだし、無意識で線を引いている時間なんかすごく好き。 絵具についても、やはり物質としての安心感は好みです。昔は絵具をもりもりにして画面をボコボコさせていたんですけど、でも私の作品は近くで見ると荒っぽさが目立っていて、そこは少し気にしていて。よく「デジタルの方がいいよ」とか「写真の方がいい」とは言われるし、今は表面の仕上げにやすりを使ったりしています。 でも物質感は大事? ...

Keisuke Tsuchida: 鉛筆画による精神表現

私はいつまでも自分の心の中にある真実を表現するアーティストでありたいと思います。 <a href="https://www.tricera.net/drawing/id81000490012" 新進気鋭の作家、Keisuke Tsuchidaが同世代の作家たちと異なるのは、繊細で縦長の線と22種類のグラファイトのパレットを駆使した作品へのアプローチである。鉛筆画といえばリアリズムが流行っていますが、Tsuchidaは決して空想的な魅力を捨ててはいません。彼の作品は、喜びや幸せから同情、そして悲しみまで、純粋な感情の個人的な旅を呼び起こすことを目的としています。 今回のインタビューでは、Tsuchidaの想像力の源流、主流のリアリズムからの分岐点、作風の根底にある強さの精神についてお話を伺いました。このインタビューは、長さとわかりやすさのために翻訳し、軽く編集しています。 無から有を生み出す モノクロームで幻想的な世界を探る 無形の精神を物理的な形で表現する Keisuke Tsuchidaの鉛筆画はどこで買う? 無から有を生み出す それが幼い頃の憧れだったので、彼のようなアーティストになりたいと思った瞬間でした。 アーティストとしての自分をどのように発見したのですか? 私は昔から無から有を生み出すことに興味があり、それを実現するためには絵を描くことが自然な流れでした。 子供の頃はテレビゲームが流行っていて、特にロールプレイングゲームとそのストーリーに惹かれていました。また、ゲームに影響を受けたファンタジー小説「Tales from Earthsea」や、人気ゲームを原作とした小説「Ys」なども読んでいました。 私の記憶に鮮明に残っているのは、学校の図書館で見つけた日本のグラフィックノベルAkiraです。Tales from Earthseaもそうでしたが、その複雑さは理解できませんでしたが、だからこそ不思議な面白さがあり、大好きでした。この感覚、物語の中の謎と複雑さの興奮が、私の作品の根幹にあると思っています。 <a href="https://www.tricera.net/drawing/id81000490014" 高校卒業後、普通の会社に就職しましたが、自分の中で何かがおかしいと感じ、自分の人生に疑問を感じることが多くありました。ある日、アルフォンス・ミュシャの作品展を見て、アルフォンス・ミュシャの作品を見て、彼の美意識や技術、考え方の伝え方に驚愕しました。彼のようなアーティストになりたいと思ったのは、子供の頃からの夢だったんです。結局、会社を辞めて一人前のアーティストになることを決意しました。 なぜ鉛筆画をメディアに選んだのですか? 会社を辞めた後、美術学校で学びました。その間、自分のスタイルを模索し続け、様々なアプローチを試みました。様々なアートの形や技法を試しているうちに、「アート」という概念や自分の考えにとらわれすぎていることに気がつきました。そこで、自分の心の中にあるものを描くことを大切にしながら、一番シンプルな鉛筆と紙の形に戻ることを決意しました。 あなたの人生で最も影響を受けたアーティストや作品を教えてください。 それがアルフォンス・ミュシャとノーマン・ロックウェルだろう。どちらのアーティストもシンプルな作風で、根底に強いメッセージ性を持っています。私もいつか彼らのようなアーティストになることを目指しています。 モノクロームで幻想的な世界を探る ...私は感情の深さを表現することを心がけています。哀愁に満ちた表情の中に、優しさと喜びを感じることができるかもしれません。... <a href="https://www.tricera.net/drawing/id81000490006" Susumu Kinoshitaのような黒鉛筆作家のリアリズムが人気を集める中、Kinoshitaの作品はファンタジーな世界観や物語が際立っていますね。独自の作風で目指しているものは何でしょうか? どんな小説でも、読者は文章を通して登場人物の顔や風景を自由に想像することになりますが、私の作品はそれとは正反対です。鑑賞者は作品を通して物語や感情を想像することができます。 また、少しでも見る人の力になれればいいなと思っています。強くメッセージ性を主張しないアートや、余計な説教をするのではなく、悲嘆に暮れている時に静かにそばにいる人のように、心の支えになるようなアートを作りたいです。 だからこそ、私は感情の深さを表現することを心がけています。悲しみの原因の一つは、大切な思い出を失うことだと思うからです。悲しみの中にも優しい心を持ったキャラクターがいたり、孤独や苦難が囁かれる中にも喜びの場面があったり、そんな深みのある世界を描きたいと思っています。 あなたがアートで表現したいメッセージは何ですか? 私が作りたいのは物の精神ですが、それは形のないものです。だからこそ、余計なものを一切排除し、光と影だけを残した最もシンプルな表現方法のひとつであるデッサンに魅力を感じています。鉛筆アートは影を描くことで光を暗示する。私のようなシンプルなアートには、様々な解釈があります。私は自分の考えや考えを押し付けるのではなく、誰もがどこかで共感できるような核心的なものを表現したいと思っています。 最近流行のリアリズムを追うのではなく、自分のスタイルを確立することを重視したのはなぜですか? 鉛筆画の主流になってきたリアリズム。このジャンルのディテールや影の描写はとても素晴らしいのですが、現実世界から題材を描くということには興味がありませんでした。むしろ、自分の中から湧き上がってくるインスピレーションで描く方が好きなんです。何もないところから何かを生み出すという発想が好きなだけだと思います。 鉛筆画は他のどの媒体よりも何を表現できるのでしょうか? 間近で見ると、実際に一本一本の線を見ることができ、見る角度によって作品の印象が変わります。作家のタッチを観察することで、作家の情熱や心意気を感じることができます。 鉛筆アートは、道具や素材が身近なものでありながら、自分が思いつくものを何でも表現できる無限の可能性を秘めているという点で、とても特別なものだと思います。また、そのシンプルさが好きです。子供の頃に使っていた鉛筆が、後になっても機能しているような。 絵を描く以外に、どこでインスピレーションを得ていますか? ゲーム、アニメ、映画、グラフィックノベル、ファンタジー小説、音楽。今よりも80年代、90年代の文化が好き。滑らかで高解像度のゲームよりもピクセル化されたゲームの方が好きだし、CGIアニメよりも手描きのセルアニメの方が好きだし、バックグラウンドノイズの入ったカセットテープの方が好きだ。これらの過去のものが私に与えてくれる温かい感覚が好きで、ノスタルジーが私の創造性を刺激してくれるのです。 <a href="https://www.tricera.net/drawing/id81000490010" 無形の精神を物理的な形で表現する ...精神は、私が芸術を通して表現しようとしていることの核心です。 あなたの作品には、被写体と周囲の余白との間に強いコントラストがあるように見えますが、これは意識的な判断なのでしょうか?これは意識的な判断なのでしょうか? 私の作品の中には、意図的にディテールと周囲の空間のダイナミクスを弄るものもありますが、意図しない結果になってしまうこともあります。私が意識的にこのデザインの要素を作品に取り入れるのは、空虚さを「描きたい」からであり、言い換えれば、空虚な空間を際立たせるために描いているのだと思います。 私の作品における意図しないコントラストは、背景なしで被写体を描きたいというインスピレーションから来ています。背景を描かないのは、見る人の想像力に任せたいからです。私の作品の中にはシンプルすぎると思われるものもあるかもしれませんが、アイデアが被写体に完全にフィットするものでない限り、通常は背景は描きません。私の作品のほとんどは、背景があるもので、そのインスピレーションは被写体と密接に結びついています。 あなたのスタイルは、他の同世代の人たちと比べて、より地に足の着いた、のんびりとした感じがしますね。作品を通してどのような感情を呼び起こしたいですか? 私の画風に強く影響を与えた二人の人物についてお話しましょう。 学生時代、クラスメイトからどんなにひどい目に遭っても、いつも笑顔で反撃しない友人がいました。面白いことに、それが起こったときに激怒したのは私でした。いじめに加担する人と違って、自分のルールを守り、喧嘩をしない強さを持っていた友人を尊敬していました。 もう一人の友人は、クラス全員から無口扱いされて無視されていた私を助けてくれました。普通に話しかけてくれたのは彼だけで、彼のおかげで学校での孤独な時間を乗り切ることができました。 この二人の友人の中には、権威や目立つことによってもたらされる強さではなく、彼らの精神の中に真の強さがあると感じました。私が芸術を通して表現しようとしていることの核心には、同じ精神があります。 <a href="https://www.tricera.net/drawing/id81000490001" アートは洗練されたものでなければならないという考えにとらわれて、自分の考えた「洗練されたアート」を作ろうとした時期がありました。しかし、その考えを追求した結果、自分の表現したいもの、つまり、本当の精神の強さから遠ざかってしまったのです。 時々、生と死といった哲学的な概念を題材にすることがあります。例えば、2011年に日本を襲った東日本大震災の時には、追悼の気持ちを込めて描いた。でも、そういうテーマは不自然な感じがするので、今後もメインにはしないつもりです。日常の中にある感情や思いを描きたい。自分の心の中にある本当のことを表現するアーティストであり続けたいと思っています。 Keisuke Tsuchidaの鉛筆画はどこで買う? 私たちは、土田圭介の鉛筆画作品を世界中どこでも購入できることを誇りに思っています。彼の作品をはじめ、他の日本の現代美術家の作品もご覧ください。

ishii-nobuo: 遅咲きの驚異、世界に笑顔を届けます。

インスタグラムで52kの熱狂的なファンを築いたアーティストの割には、ishii-nobuoについての情報は多くは知られていない。何のフォローもせずに、質の高い作品を毎日投稿することで、彼の魅力を物語っている。晩成型であることは間違いないが、眠っていた火山が噴火して大量のマグマを噴出しているようなものかもしれない。彼の創造性は衰えることなく、今もなお開花し続けている。 しかし、多作であることも、老いても子供のような天才であることの一因に過ぎない。絵付け、不条理な焼き物、昔ながらの焼き物など、彼のユーモラスなモチーフや様々な手法を表現する際には、ishii-nobuoの無邪気な好奇心が鍵を握っているからだ。一見風変わりでエキセントリックな彼のユーモアのセンスは、セクシャルなジョークでも、彼の中にある10代の少年の甘いロマンチシズムとバランスが取れていて、それが受け入れられているのである。 ishiiの墨と紙を使った画法もさることながら、筆致は清らかで自由である。作家自身が楽しんで制作したものであってこそ、鑑賞者は作品を楽しむことができる、とishiiは考えている。だからこそ、私たちは彼の作品を見て安心して笑うことができるのだろう。それは私たちにとっても、おそらく彼にとっても、癌との闘いの中でのカタルシス体験なのだろう。彼は日々、52K以上のファンの心をアートで解放しているのだ。 TRiCERA.Netでishii-nobuoの他の作品を見るにはこちらをクリックしてください。 P.S. 彼のファンの皆さんが日本語を理解してくれるといいのですが、タイトルによってはオヤジギャグになっているものもあるので、それを見ている以上に彼の作品を評価してくれると思います。 See You16 x 22 cm 日本語のタイトルは「ジャー・ネ」で、英語の「See ya」のようなカジュアルな敬語を意味します。「Jar」(といってもティーポットですが)という言葉を使って遊び、「See ya」と言っている二人の男を左右に描いています。 Where am I?37 x 26 cm https://www.instagram.com/p/B9dgr9uJF7t/?utm_source=ig_web_copy_link https://www.instagram.com/p/B3iqawTJ0aV/?utm_source=ig_web_copy_link https://www.instagram.com/p/BwLIpVCJnnK/?utm_source=ig_web_copy_link このような楽しい発見をもっと知りたい方は、ArtClipのニュースレターの購読をお忘れなく!

小山登美夫ギャラリーでのVarda Caivano’s個展

Varda Caivano,"Untitled", 2019, water-based oil paint (gouache and ink) on linen, 90.9 x 57.6 cm (frame: 150.9 x 117.6 cm), ©Varda Caivano, Courtesy of...

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