木曜日, 6月 24, 2021
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デジタルはリアルの対義語か?平田尚也が目指す新しい彫刻の「場所」をめぐって。

ネット上から収集した素材を、仮想空間上にアッサンブラージュして制作される平田尚也の作品は、彼曰く「彫刻」として成立している。「あくまでもトラディショナルな彫刻をやっている」という彼の、厚さも重さもない、空間上に固定されることが存在要件でもあった彫刻をアップデートするその方法論や作品について話してもらった。

平田さんは仮想空間における彫刻作品を制作していますね。厚みや重さの無い、従来の空間的な尺度が無い彫刻作品です。ご自身の活動は、あくまで「彫刻家」という認識なんですよね。
-意識的なことで言えば、自分のことは彫刻家であり美術家と呼んでいます。主眼を置いているのは”形”を追求し彫刻史の現代的な見解を考察することです。実際にやっていることは、少なくとも私の中では、これまで彫刻をやって来た人たちと変わらないと思っています。形はつくっているけれど、でもそのアプローチが仮想空間の世界であるという点しか違いがない。


預言者
33 × 27.5cm

彫刻というと物質や空間の制限を受けるジャンルと連想しますが、そのフィルターは邪魔にならなかったのですか?
-現在のスタイルのように映像でアウトプットする理由は、正直、最初は定まっていなかった。定まっていない時は、大方いつも情報量の不足から来る。色々と本を読んだり、あとは教わった先生が「彫刻とは時間と空間を伴うもの」と仰っていて。その時間化と空間化を彫刻の要素とするならば、私のやっていることは彫刻の条件を満たしているなと。現在の作品のアウトプットは映像や平面としてやっているのですが、その映像という出力の仕方が、自身の彫刻表現を考える時には合っていると思いますね。

ですが、その仮想空間における彫刻というアイディアはどこから出たんでしょうか。
-デジタルでやり始めたのは、だいたい学部4年ごろから。当時のちょっとグレた先輩が3DCGソフトで遊んでいるのを見かけ、すぐさま「これだ」と思いました。当時の自分が抱えていたものを解決できると思ったし、何よりこれは彫刻がつくれると直感しました。
でも、実はそれに先行して実写映像でやっていた時期があるんですよ。通っていた学校では3年生になると自由な制作期間が与えられるんですが、その時に困ったのが素材の問題で。つまり素材を入手する資金がなかった。彫刻はお金がかかるし、その問題に直面した時、自分が扱いたい素材はほとんど除外されてしまったんです。


DINER
33 × 36.6cm

その打開策が、映像だった?
-そう、まさに。少しうろ覚えですが、当時影響を受けたマシュー・バーニーが自分の映像作品を彫刻と呼んでいて「なるほど」と。つまり彫刻性さえ保てればアウトプットに制限することはなかったんです。それで試してはみたんですが、しかしクオリティが低かった。失望しましたね、自分に。同時にこれではダメだと思った。もともと海外のアーティストに憧れていたし、自分もそのレベルの作品をつくっていきたかったので。そうこうしている中で出会ったのが件の3DCGソフトだったので、まさに「これだ」でしたね。

平田さんの作品はオンライン上から素材集め、つまりデジタルな既製品をコラージュ的に構成使用して制作されますね。その点は、ご自身の何の意図と結びついていますか。
-意図というより、最初は方法の問題だったんですよ。自分としては従来の彫刻家とやっていることは変わらないつもりでいますが、でもデジタルで彫刻を制作すると、あくまで見え方や見せ方の話ですが、既存の映画やゲームとの線引きが難しくなってくる。つまり、どうやって現代アートの文脈上で作品を成立させていくかが課題でした。


Ouija #2 (The Grantham Tomb)
118.9 × W 84.1cm

しかも彫刻作品として。
-そう、その方法が既製品を寄せ集める、つまりアッサンブラージュだった。実際の場合、使用した素材は物質として元の場所からなくなってしまうけれど、でもデジタルの場合は基本コピーだから無くならない。使用した素材が、この世界のどこかでは残っている。それが面白い。私の作品は、つまり世界のどこかで、いつ誰が作成したのか分からないものの寄せ集めなんですよ。ある意味で、それは現代の情報の結晶のように思えるんです。そこに気がついてからはコンテキストの構築は難しくなくなりましたね。

平田さんがデジタルにリアリティを感じられるのは世代的に、ネットの成長が並走的だったこともあるでしょうか。
-確かに私にとっては石とか木材の方が距離があるかもしれない。自分自身を含めて私の世代は、ネットと同時に育ってきた。ある時代の人たちにとっては自然や都市がそうであったように。生まれた頃からテレビゲームがあるし、インターネットがあって、オンラインの世界が構築されている世代だった。だからバーチャルには親しみが持てるし、それは並列的な存在として扱える。鉄や石と同じ列で見ることが出来る素材なんです。


Ouija #5 (Penelope)
118.9 × 84.1cm

その素材が存在する場所が、つまり鉄などとは違うだけで。
-まさにその通り。私が扱う素材は、木材などとは違う場所、違う次元に存在している。情報として世界中のネットという場所に所在している。その点だけなんです。作品へのアプローチやそれ自体の成り立ちは、あくまで伝統に沿っているつもりですが、でも仮想空間やその他デジタルな用語や方法はけっこう時事的だし、そこだけ切り取られてしまう傾向にはありますけど。

実際の空間と仮想空間では、存在する情報が違いますよね。重さや手触りなどがそうですが、その点から見た場合の平田さんの彫刻作品のアップデートはどこにありますか。
-アップデートかどうかはともかく、私の作品には厚みが全くない。私の彫刻は内側が虚無なんですよ。これは今までにはあり得なかったこと。厚みを伴わない彫刻なんて無かった。その分というか、彫刻にとって重要なポイントである表面性にフォーカスする必要もありますが、存在の仕方として新しい局面に立つことは出来ると思うし、そうしたいと思いますね。私の作品の本体は仮想空間にあって、展示されているアウトプットされた平面や映像はそのアバターであり、プラトン的に言えばイデアの投影。複数要素を抑えた上で、形をつくる人として何が追求できるかが、つまり今後の課題になるでしょうね。

アーティストページはこちらから:https://www.tricera.net/artist/8100587

Shinzo Okuokahttps://www.tricera.net/
1992年東京都出身。大学でインド哲学を学んだ後出版社に勤務し、アート雑誌と神社専門誌の副編集長として雑誌及び書籍の企画・編集に携わる。2019年にスタートアップ企業である株式会社TRiCERAに参加、日本初の現代アート専門の越境ECの開発及びアーティストのマネジメント、自社オウンドメディアの立ち上げを担当する。特技は速筆で、雑誌時代には1ヶ月で約150ページを1人で取材・執筆した。

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私たちの目にうつる生活は、とてつもなく鮮やかだ。 ただ、普段の生活の中、色彩に意識的であるのはアーティストやデザイナーくらいではないか。 ここで一旦、色が我々に与える影響を考えてみよう。 例えば赤はアドレナリンの分泌を促進し、黄色はリンパ機能に影響を与えるという。真偽のほどはともかく、色彩がもたらす生理的もしくは心理的機能への影響は、例えば広告などで積極的に応用されている。広告の用途にしたがって、つまりその狙いの違いによって色を使い分けるのだ。 ではアートの世界ではどうだろう? 中でも青は特別と言われ、心理学的には「鎮静」を促すとされるこの色は、例えば印象派の作品では青がよく使われていたし、中世では王族を表す色でもあった。かのイブ・クラインも青に魅せられ、自分だけの色「インターナショナル・クライン・ブルー(IKB)」をも作りだした。青は落ち着きの色であり、高貴の色であるのだ。 もちろんアートにとって色彩は無くてはならないガジェットの一つ。明るさや暗さ、豪華さや清らかさ、特定の色はそれぞれに暗喩するイメージがあり、画家が思い描く世界をアプトプットする重要な手段だ。 日南田の作品もまさにそうだろう。クレヨンとアクリル絵の具、ジェッソをベースに塗り重ねる彼女の作品は、壮大なスケールであることが多く、使用される色は青系統が多い。 作品の詳細はこちらから  ロサンゼルス、トリノ、マイアミ、モンテカルロ、パリなど世界を旅しながら作品を発表してきたアーティストユニット Delta N.Aの作品は、現代人が抱える二項対立がメインのテーマだ。明度の低い青の利用は、うっすらと幻想的な色調、そして思考を促すようなゆったりとした時間へ誘ってくれる。 作品の詳細はこちらから  高橋浩規は日本のデリケートな四季を細やかに描き出すアーティストだ。岩絵具の素材としての美しさを出来るだけ活かすように、色彩の透明感や鮮度を保つことに細心の注意を払っている。岩絵具由来の色彩から紡がれる情緒溢れる画面は、どっしりとした深みのある、けれども決して野暮ったくない仕上がりである。  深みのある青で描かれるもっとも日本的なモチーフの一つ、富士山、そして天の川を自宅の椅子に腰をかけてゆっくりじっくりと、時間をかけて眺めてみるのもいいだろう。 作品の詳細はこちらから アートはモチーフや素材、筆致やコンテクストなど無数の構成要素から成る。しかし、生活と密接な作品を選ぶ際には、色を意識してみることだ。

日本のアートを買うべき理由」を他のアジアのアートマーケットの統計と比較してみる

世界の美術市場における統計の比較から見た日本美術の大きな価値 世界第3位のGDPを誇る日本のアート市場は、その規模が小さく、アートシーンでは意外と知られていない事実です。そのため、日本のアート市場は過小評価されています。しかし、株式市場と同じように、日本のアート市場に投資することには大きな価値があるということになります。 アート東京協会が発表したデータによると、2016年の日本からの美術品輸出額は約350億円で、世界の美術品市場に占めるシェアは米国が40%、中国が20%であるのに対し、日本は3.1%となっています。このことから、日本のアート市場の上昇の可能性が見えてきました。 では、どのような芸術、どのアーティストに投資すべきなのか、と悩むかもしれません。一般的には、リスクが低いという理由から、有名なアーティストだけに注目しがちです。しかし、有名な作品への投資は、若くてあまり知られていないアーティストの作品を購入するよりも、はるかにリスクが高くなります。例えば、アジアで最も人気のあるアートジャンルの一つである韓国式モノクロームムーブメント「淡彩華」については、以下の統計によると、最近の世界のアート市場での変動率を示しています。 上のデータチャートは、「淡彩華」を代表する6組のアーティスト、キム・ファンキ、イ・ウファン、チョン・サンファ、パク・ソボ、ユン・ヒョングン、ハ・チョンヒョンのデータを基にしています。 アート投資家が有名ジャンル・有名アーティストに投資する理由:トレード性 有名アーティストに「イズム」で投資する人が多い傾向の理由は、トレード性をベースにした安全性が一番の理由です。しかし、上記のチャートを見てもわかるように、有名なジャンルやアーティストに投資しても安全性が高いとは言えません。最近では、「流行」だけに注目しないように、美術史的価値をもっと掘り下げようとする試みが前面に出てきています。そのため、「この『イズム』は、私たちの社会やアイデンティティ、時代を本気で表しているのか」という声が高まっています。このような流れは、主流の作品の中にある「信頼に値する価値」が不安、無担保の資産に変わることを意味している。 しかし、比較的知名度の低いアーティストの作品は、アーティストとしてのキャリアを辞めない限り、価格が大幅に上昇する可能性が高く、芸術的価値が発掘される可能性があります。また、日本の美術市場が過小評価されていたことを考えれば、日本の若手アーティストや知名度の低いアーティストであっても、芸術的価値を持ったアイデンティティーを求めて活動しているアーティストに投資することは、楽観的に評価されてもおかしくない。 世界のアート市場で20%のシェアを占めていた中国のバブルは、韓国の「淡彩華」のようにゆっくりと崩壊していくだろう。すでに成長してきた他のアジア市場と比較して、日本の美術市場は成長の可能性があり、安全であることが示されています。 TRiCERA.netは、展覧会やアワードを通じ、日本から世界に名を馳せている新進気鋭の才能と世界をつなぐことを目的に設立されました。あなたのポートフォリオのために一点もののアートを手に入れたいとお考えの方は、100名を超えるアーティストの中から、将来的に大きなリターンをもたらす可能性のある作品を探してみてはいかがでしょうか。 記事を書いた人:Jeongeun Jo韓国出身、日本在住。東京藝術大学大学院美術研究科を卒業したTRiCERAのメンバーの一人。アーティストとしても活動しています。

市野勝磯: 伝統から現代美術への一歩を踏み出す

"丹波焼ならではの素朴で自然な土を活かしたい" 市野勝磯 兵庫県にある「日本六古窯」の一つである丹波焼を作り続けている市野家の7代目、市野勝磯さん。今から約850年前の平安時代末期に発祥した陶器です。 1926年、日本の哲学者・柳宗悦とその仲間たちによって「民藝」と呼ばれる日本の民芸運動が始まりました。これまで美術史からほとんど無視されてきた日本の日常的な美術品や、無名の職人が作った陶器や織物、漆器などの工芸品を世界に紹介しようというもので、柳宗悦は「民藝」と呼ばれた。柳は300点の丹波焼を収集し、その美しさを伝える書物を執筆しました。柳宗悦の努力により、90年前、食器としての丹波焼の歴史がよみがえりました。丹波焼の技術を現代美術として取り入れた新しいスタイルの焼き物を発表する市野勝磯の取り組みは、柳宗悦の「民藝」運動を継続させるものとなるでしょう。 丹波焼の歴史-丹波焼職人の一族 粘土でアートを作る 丹波焼を通じた表現 シンプルな食器から現代アートまで 市野勝磯の作品を購入する場所 歴史-丹波焼職人の一族 炭酸化した「みずさし」 by 市野勝磯 丹波焼の長い歴史とは? 丹波焼の歴史は約850年前にさかのぼり、その起源は平安時代末期にまでさかのぼります。谷間の山間に窯を作り、実用的な食器を作っていました。常に時代が求める焼き物を作りながら、新しいことに挑戦し続けながら、家族に受け継がれてきました。この貴重な歴史を感じます。この時代にしか作れない、この時代にしか作れない、自分にしか作れない、自分だけの焼き物を作れるように努力しています。 20代で陶芸の修行を始める前は何をしていたのですか? 先生に洋画を習っていました。彫刻も1年間勉強していました。私が通っていた大学は美術学校ではなく、関西学院大学で経済学を専攻していました。 丹波焼の伝統的な職人の家系に生まれ、ご先祖様の跡を継いで丹波焼の作家になられたわけですが、なぜこの道を選ばれたのですか? 子供の頃は、焼き物はいつも身の回りにあったもので、あまり興味がありませんでした。しかし、20代の頃、東京で陶器を使った作品を作っている作家さんに師事しました。それに触発されて、故郷の丹波の窯で現代の焼き物を作ってみようと思いました。以来、制作を続けています。 粘土を使った作品制作 丹波焼の特徴は? 素朴な風合いの素朴な土が特徴です。丹波焼は、時代の流れとともに制約が少なく、自由に形を変えていきました。歴史的な丹波焼には、作られた時代のニーズが反映されています。丹波焼の特徴は、時代の流れを反映した焼き物であることです。 炭酸八角の「水無月」(茶道用の水入れ)市野勝磯作 丹波焼はなぜ焼き物の生産で栄えたのか?丹波焼の粘土は他の粘土とどう違うのでしょうか? この辺りは焼き物に適した粘土が豊富にあったからだと思います。鉄分の多い山間部の土です。 いつも使っている粘土はどんな感じですか? 私の作品に使っている粘土は、コップやお椀の仕上げにも使えるので、表面がとても滑らかで肌触りが良いです。 丹波焼を通しての表現 丹波焼で表現したいこと、丹波焼だからこそ表現できることを教えてください。 存在感のある、形にこだわった焼き物を作りたいです。丹波焼ならではの素朴で自然な土を活かしたいですね。もともと丹波は重厚感があり、丈夫で頑丈な焼き物という特徴がありました。丹波の土に白土を塗っています(鉄分の多い土はそのまま焼くと赤茶けた色になってしまいます)。 長年続けているのは、炭焼きという炭を使った焼き方にこだわっています。素朴で軽やかな感じがします。一言では言い表せませんが、ジャズの軽快な音にも負けない丹波焼を目指しています。 海外の美術愛好家に丹波焼を紹介する場合、国内のファンに紹介する場合と比べて、どのような点に力を入れていますか? 自然で素朴な土の丹波焼という日本のスタイルにこだわりたいですね。実用性よりも、丹波焼そのものの存在感を大切にして、際立たせたいですね。 食器や花器であれば、食べ物を載せた食器や、花を入れた花器を見せることで、焼き物の存在感をアピールしていきたいと思います。 しかし、形を重視した陶芸の場合(もちろん花器や茶道具も含まれます)は、作家の制作意図やアイデアが重要だと思います。時代の変化にも耐えうる、タイムレスな力が必要だと思います。 今回初めて海外に進出しました。これからは、このような陶器作りに力を入れていきたいと思っています。 丹波焼を買った人にはどう感じてもらいたいですか? 土のぬくもりを感じて、いつまでもそばに置いておきたいと思ってもらいたいですね。 市野勝磯氏による土のイメージ シンプルな食器から現代アートまで これまで日本では貴重な伝統工芸品とされてきた丹波焼。現代アートの存在によって、やきものの歴史はどのように変化していくのでしょうか。また、新たな挑戦とは何でしょうか。 実用的な用途ではなく、海外では家を飾るために使われている焼き物が、新たな需要を生み出しています。また、作品の扱い方も変わってきますし、技術やデザインも洗練されてくると思います。丹波のギャラリーにも丹波の作品が増えてくると思いますし、また違ったお客さんが来てくれると思います。 他の作家から影響を受けたことや、自分のモットーはありますか? 東京で師事した板橋弘美先生に影響を受けています。 陶芸の勉強だけでなく、美術展にも足を運んでインスピレーションを得ています。自分の心に忠実な焼き物を目指しています。完成した作品を分析してアイデアを得ることが多いです。改良点を探して、次の作品をイメージしています。 今後の予定はありますか? 丹波焼を海外に広めていきたいですね。海外の展示会で作品を発表する機会があればいいですね。 市野勝磯さんの作品を購入できる場所 TRiCERAでは、市野勝磯のユニークな作品を数多く展示しています。他の日本の若手アーティストの作品に興味がある方は、コンテンポラリーアートのページをご覧ください。

中国でアートのチャリティーオークションが開催。コロナ禍でアートは何ができるか?

 アートは人間の役に立つか?  あらゆる考え方ができるだろうが、実際的な機能を考えれば役に立たないと考えることもできる。この頃のニュースで忙しなく流れていたように表現するならば「不要不急」といったところであろう。  コロナ禍において、日本では文化・芸術に携わる職業者に対し国が補助金を与えることについて批判する声が小さくない。「文化芸術不要不急説」が横行しているのだ。ドイツを筆頭に世界各国が文化・芸術に手厚い支援を行う昨今、日本は逆行する情勢にあるのだ。ただ我々日本人が知らなければならないのは、現在のような有事の際に、アートは思わぬ形で社会に役立つ、ということである。  アメリカのアートマガジン”ArtReview”によれば、中国の美術館や文化団体から成るグループが、コロナウイルスのパンデミックの影響を受けた100以上の学校に予防衛生用品を提供することを決定したという。資金源は「Standing Together Through Thick and Thin」と題した一連のチャリティーオークションはHOW美術館、Yitiao、Modern Media Group(ArtReviewとArtReview Asiaが加盟している)、ART021、そして中国国内外の80以上の主要なアート機関やギャラリー(Hauser & Wirth、Edouard Malingue、BANK、Perrotin、Lissonを含む)によって開始された。寄贈された美術品、版画、希少な収集品の売却益は慈善団体である「上海宋慶齢基金会」が子供用マスク、デジタル体温計、消毒剤、その他の保護物質を購入するために使用される。   Yitiaoオンラインプラットフォームを介して行われるオークションは、3月2日(エディション、版画、収集品)、3月3日(現代美術I)と3月4日(現代美術II)に開始され、それぞれ2日間続く。He Xun、aaajiao、Yin Xiuzhen、Lorna Simpson、Gregor Hildebrandt、Esther Mahlanguなど錚々たるメンバーの作品がすでに寄贈されているが、オークションはさらに個人のアーティストやパトロン、企業からの寄贈も募っている。   募金活動の声明の中で、主催者は「伝染病で確認された患者の数が増加している背景には、非感染者の貧しい生活があります。この流行に直面して、私たちは最前線で繰り広げられる医療の戦いを行っている人々に敬意を表します。ウイルスと闘うための勇気ある努力は、私たちをより安全な位置に置くためのものです。私たちは芸術を通じて、困難な現在に芸術が勇気を奮い立たせる力を持っていることを示し、この大きな不安の時代を経て、より良い生活への憧れを抱くことができるように、私たちのやらなければならないことを遂行したいと考えています」と述べた。    先日、緊急事態宣言が解除されたものの「with コロナ」の生活は今後も続き、引きこもりがちな生活はしばらく続きそうだ。その際、我々を楽しませてくれるゲームや漫画、テレビといったエンタメも、自分の作品に人生を費やしたアーティストやそれを支援する者によって培われた文化・芸術という強固な地盤があったからこそ生まれたのだ。  アートのように「不要不急」なものにこそ、人生の豊かさが潜んでいるのではないだろうか。 参照元: https://artreview.com/news-27-february-2020-auctions-coronavirus-pandemic/ Copyright the ArtReview 

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