日曜日, 1月 23, 2022
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本橋孝祐によるレンチキュラー限定エディションプリントを150部限定で発売。

THE KING OF SILENCE

¥ 15,000(税抜)


エディション:150
サイズ:H420 × W297mm
技法:アクリルレンズにレンチキュラープリント
額装:オリジナルアクリルフレーム(+ ¥10,000)

※写真のフレームは参考であり、現物ではありません。
©︎KOSUKE MOTOHASI/TRiCERA, inc. All Rights Resaved


この度TRiCERAは本橋孝祐による限定エディションプリント《THE KING OF SILENCE》 を150部限定で発売致します。

本橋は1989年兵庫県出身。2013年頃からアートワークを開始し、これまで東京やNYで活動を行ってきました。一貫して「現代において生死の問題に取り組むとはどういうことか」と問いを立てる本橋は、制作を通して作品と鑑賞者の対峙によって起こるリレーショナルな化学反応とその意味について探求して来ました。

今回はレンチキュラー仕様のプリンティングを行い、三方向から異なる見え方がする工夫を施し、あたかも移ろいやすい現象世界のように常に変化する作品に仕上げました。

生と死を直向きに突き詰める本橋の作品に流れる鼓動の一端を、この機会にぜひお楽しみ下さい。



【販売に関する諸注意】
(1) 作品はサイン/エディションナンバー入り証明書が付属します。
(2) エディションナンバーは選択出来ません。
(3) 作品発送は購入より約2週間から1ヶ月のお時間を頂きます。
(4)お客様の受取拒否等による再配達に必要な料金はお客様のご負担となります。
(5)作品の販売期間は2020年12月8日より2021年1月8日になります。

Shinzo Okuokahttps://www.tricera.net/
1992年東京都出身。大学でインド哲学を学んだ後出版社に勤務し、アート雑誌と神社専門誌の副編集長として雑誌及び書籍の企画・編集に携わる。2019年にスタートアップ企業である株式会社TRiCERAに参加、日本初の現代アート専門の越境ECの開発及びアーティストのマネジメント、自社オウンドメディアの立ち上げを担当する。特技は速筆で、雑誌時代には1ヶ月で約150ページを1人で取材・執筆した。

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抽象絵画によく聞かれる「美術館やギャラリーの壁には良いけど、自宅には向かなさそう」という偏見とは裏腹に、実は、あなたの部屋をテイスト良く飾るのにはうってつけのアートである。単体だとやや難易度高めに見えがちなアブストラクトだが、部屋との調和を図るのは具象的な作品よりもとても簡単だ。一度実例を見れば、お気に入りの作品を自宅の壁に掛ける日常を瞬時に想像できるであろう。 ほら、この通り。 (写真や説明をクリックで詳細閲覧へ) まだ納得行かない方の為に、もちろん実例写真は更に用意してある。こちらからシリーズのpart.1をスクロールして頂きたい。 未定義の真実を求めて; 家で愉しむ抽象画 – 前編 パート1を読んだなら、知的な存在として人類が、万事に説明を求めることを理解されたであろう。だからこそ「未知のもの」や「説明のつかないもの」に史上疑問を抱き、空想してきた。そして今、その探求は現代美術へと変貌を遂げる。 抽象芸術の万能さ。 抽象芸術が理想的なホーム・デコレーションである理由はたくさんある。例えばひとつ、抽象画は具象絵画のように、それ自身や、その部屋を定義しないと言うこと。ホテルの部屋に飾られている絵や写真のイマイチな趣味を批判した経験は誰でも少なからずあろうかと察する。それは、その特定の何かがあなたの好みではなかったから。一方で、抽象的なものの理解と好みは抽象的である。なんやねんそれ、と突っ込みたくなるようなこの理由が大いに寄与して、どんなテイストのどんなスタイルの部屋にでも、意外と不自然なく飾ることができるのだ。 自分の好みに自信を持って!...

現代に残された「絵画を描く」こととは何か – 東麻奈美 インタビュー

美少女フィギュアや玩具をモチーフに、回転という動きを通し時間をキャンバスに閉じ込める東麻奈美。時間というシンプルで古典的な絵画テーマ、油彩画という絵画技法、そして現代の日本文化の一端を象徴する美少女フィギュアを組み合わせる東の作品は、絵画というメディアのレパートリーの広さ、そして現代において絵画を描くことの可能性をストレートに物語る。今回は制作の背景、これまでのキャリアについて話を聞いた。 東さんはこれまでに回転させた美少女フィギュアをモチーフにしながら時間や運動性を示唆するペインティングを制作してきましたが、テーマとしては未来派など西洋的な流れも感じさせます。まずは現在の作品について伺えますか?  もともと学生の頃から絵画に動きを閉じ込めることをしたくて、最初はブレとか揺れ、そういうものを納めようと取り組んでいました。当時はフィギュアではなくおもちゃだったり、本物のメリーゴーランドを長時間露光で撮影したものをベースに描いていました。  ただ当時描いていたのはどちらかと言うと抽象絵画。考えていたコンセプトでは自分の技量のなさもありどうしても表現しきれなくてかなり迷走していました。その中で、コマ撮りアニメのようにして回転を表現したりする実験をしていたんですが、実は私がアニメや漫画好きと言うこともあり、「フィギュアを回転させ、それをモチーフにしたらどうか」と。そしたらこれがハマったんですね。目に見える物理的な回転だけじゃなく、キュビスムや未来派の人たちがやっていたことを現代のモチーフに変えてやることで過去から未来にかけての時間の流れとしての回転が表現できる、と思いました。 抽象絵画を描いていたというのは少し意外でした。 今の作風からは意外に思われるかもしれません(笑)。これは私自身の問題というか、どちらかと言えば自分のコンプレックスに根差していて。というのも、私は絵がものすごく下手(苦笑)。とにかく「描く」ということが苦手なんです。高校の予備校から大学の初期の頃は真面目に絵画をやってみようとしてたんですけど、やっぱり描けない。油絵の描き方がさっぱりわからないんです。周りは楽しんで描いているし、まっさらなキャンバスに楽しそうに向き合っている。でも私にはそれが出来なくて、ただ色を扱うのは好きだったのである意味では逃避する先として抽象を選んでいた風ふしもあるんですよね。結局それも難しかったんですけど(笑)。 MERRY GO ROUND (ツインテール) 29.7 × 42cm, Giclee Printing on paper, edition:50 作品はこちらから 今はフィギュラティブな絵画を制作されています。真反対の方向ですよね。  今の制作方法にたどり着いたことですね、転機としては。ある種の解放に近い感覚です。今はモチーフになるフィギュアをターンテーブルに乗せて回転させ、写真を撮り、パソコン上で合成しながら絵画に落とし込んでいくんですが、つまり最初に描くものを定めることで、そもそも「何を描いたらいいか?」のような疑問を生まないようにした。設計図を用意してから描けばいいんだ、と。その点に気づけたことは私のような人間が絵画をやっていくためには大きい発見でした。 コンセプトやモチーフをしっかり定めてから描くことは自分の趣味性や感情を隔てる意味もありますか? あるかもしれない…というより、ありますますね。そもそも自己表現がすごく苦手な人間なんですよ。無軌道に作品を描けるタイプではない。きっちりしていて、真面目すぎるくらいに真面目というか。自由奔放に出来ないからこそしっかり設計して描くんですね。最近はそれもいいなと思っていて。感情や内発的で物語的な作品の良さもありますけど、私の場合は極限まで自己性を無くして、極限まで純粋に造形性を追求していくことかな、と。使用するフィギュアも自分の趣味とは極力離れたものを使う。自分の趣味とか感情が混入することを防ぎたいからで、本当に、純粋な意味でフィギュアの造形性をテーマにしたい。作品も究極的には目で見て、面白いと思ってくれたらそれでいいと思っていて。 嫌な言い方になるかも分かりませんが、端正な造形性を持った東さんの作品の場合、デジタルとアクチュアルな絵画の境が難しくなりませんか?あくまでも油彩を使用した絵画であることが東さんの作品にとっての一つの生命線な気もしていますが。  確かに「CGでいいじゃん」と思われてしまうかもですが、でも実物を見たときの筆跡や手で描いていることの痕跡も面白さの要素だとは思うんですね。その点こそ私がわざわざ油絵を続けていることの意地というか。やっぱり絵画の物質感は好きだし、その物質に対するこだわりのあるなしがイラストレーションと絵画を区分するとは考えています。 Installation view from MASATAKA contemporary こだわりの点で言えば、もう一つはコンセプトですね。東さんは時間や動きを平面に落とし込もうとしている。その考えはいつ頃から?  もしかしたら個人的な性質に根差しているかもしれなくて、私はものが劣化していく様が耐えられないんですね。ものが古くなったり、汚くなったりすることが耐えられない。ひとによっては古いものに愛着が湧いたり、革製品なんかは使い込むことで愛着を感じることもあると思うんですが、私は袋から出した新品の状態がピークだし、そのままを保ちたい。傷ついたり汚れたりなんて辛すぎるというか。だからモチーフに使うフィギュアも必ず新品を使うんですけど、最近は絵画にすることで閉じ込めているふしがある。 絵に関するバックグラウンドを聞かせてください。絵画を見始めた、あとは描き始めたのは小さい頃から? 本格的にというか、美術の歴史を意識しながら見始めたのは大学に入ってからですが、描き始めたのはもっと前ですね。実は母が漫画家をしていて、と言っても高校生の頃から私を産むまでのごく短い時期ですが。そのせいか「いずれは私も漫画家にならなきゃいけない」とずっと思っていて。強要されたわけでもないし、他に理由があったわけでもないんですけど、漠然とそう思っていたんですね。で、小さい頃からはずっとを漫画を描き続けていて、でも投稿するとか、雑誌で発表するとかいうレベルでは全然なく、趣味の域を出ないものでしたね。でも途中で自然と「自分は漫画を描きたいわけじゃないな」と気づき、むしろやりたいのは一枚の絵だろうと。 フィギュアを絵画に引用する点では、そのままの形でないにせよ、サブカルチャーの背景を感じる点ではあります。当時の絵画シーンは意識していましたか? 確かに漫画とか、あとはアニメですよね、その辺りのカルチャーを引用した絵画の流れも認識はしていましたが、でも私の場合はもっと個人的なものだったように思います。まっさらのキャンバスに描けない、だから何か設計図を用意する、だったら自分にとって身近なフィギュアをモチーフにしよう、という流れ。だから現代アートの文脈云々を意識してここに至ったというよりは、自分の中にある絵画との自然なやりとりの延長線上にあると思います。 活動を重ねてきて感じること、自身の作品について考える部分はありますか? 作品に対してもそうですが、最近はよく活動そのものについて考えますね。特に活動を続けるということについて。というのも、大学を卒業してみんな描くことをやめてしまうから。続けていてもやめていく。それは個々人の事情から止むを得ないことだと思うんですけど、でも学生時代はみんな同じアトリエで描いて、一緒に切磋琢磨していたと思うんですよ。でも今は一人で描いているし、同級生の作家も少なくなってきた。さっきもお話ししましたけど、私は自分自身が作家に向いているとは思えないんですよね。真面目で、設計図を用意しないと絵を描けないし、普通の家庭に育って特に変わったバックグラウンドがあるわけでもない。周りにはもっと絵を楽しんで描いている、もっと作家というあり方に向いている人がたくさんいる中、でも彼女たちはいろいろな事情から作家をやめて、なぜか自分だけが残っている。すごく不思議な状況だと思うんですよ。だからこそ意地になっているのかもしれない。意地の一言ですね(笑)。「とにかく続けよう」と。ずっと絵が下手だったけど大学院まで行って続けているわけで、その先に何があるかわからないけど、描き続ける先に何かがあるかもしれない。描くこともそうですけど、描き続けることは、多分もっと孤独な戦いなんでしょうね。 プロフィール1988年神奈川県横浜市生まれ。2013年女子美術大学大学院美術研究領域美術専攻修士課程修了。美少女フィギュアや玩具をモチーフに、回転という動きを通し時間をキャンバスに閉じ込める制作を行う。2013年福沢一郎賞受賞。主な展示に「メークリヒカイト4」レントゲンヴェルケ(2013)、「未来展」日動画廊(2016)、「ICON」MASATAKA CONTEMPORARY(2019)など。その他、NYや香港など多数のアートフェアに出品。

「アーティストは作品とインスピレーションの間に立つ存在」浅間明日美インタビュー

アーティストの紹介はこちらから 刺繍の方法論で制作する浅間明日美は、自身のことを「器」と形容する。「インスピレーションを忠実に作品化することが大切」と話す彼女の制作スタイルは、自身でもシャーマン的と呼んでいるが、だからこそ混じり気のない純度を保っているのかもしれない。 刺繍をメインにした作品が多い印象ですが、元々刺繍は学ばれていたのでしょか? -いいえ、最初はドローイングから始めました。しかも独学でスタートしたんです。元々はイラストレーターとして活動していて、そこから自分の表現をやってみたいと思うようになり、クライアントワークではない、アートの方へ進みました。 刺繍へ移ったのは、子供の病気がきっかけ。その間は活動を休止していたのですが、でも制作はしたかったし、表現もしたかった。でも中々ペインティングの時間と場所の捻出は難しい。どうにか生活に地続な方法で制作が出来ないかと考えてたどり着いたのが刺繍だったんですね。 Honkadori Bacchus, 33×33cm 作品の詳細はこちらから 生活の中で無理なく出来る美術的表現が、つまり刺繍だったと。刺繍も独学ですか? -そうですね。だから、たまにワークショップを依頼されることもあるのですが、正直教えることが出来ない(笑)。自分なりのルールややり方はありますけど、特に体系化されているわけではないんです。あくまで自分の生活圏で出来る表現を探していった結果たどり着いた方法なので、いわゆる刺繍を学んだ人のやり方とは、きっと違うかもしれません。加えて、私の中では、あくまで美術の表現方法だということも大切で。だから工芸とか手芸になりたくはないと思っています。 「刺繍という方法を使ったアートワーク」である以上、美術家としての視点やスタンスがマストになりますよね。その辺りはどう考えていらっしゃいますか? -私の制作は、どちらかというとインスピレーション型なんですね。シャーマン的と言うとおかしいかもしれませんが、まさに「降ってくる」という感覚。モチーフが頭に降ってきて、それをどれだけ丹念に、作品として外に出すことが出来るか。それが私の制作のスタイルなんですね。 Honkadori Giuliano, 33×33cm 作品の詳細はこちらから つまり浅間さんにとってアーティストは、インスピレーションと作品の間に立つ存在なんですね。 -あくまで私の場合ですけど、そうですね。でも、だからこそ私自身の精神状態はすごく大事で。個人的に、作品は目に見えない部分、例えば作り手の精神状態による変化を受けてしまうと思っているので。だから、自分の精神状態が安定しない時には絶対に制作しない。必ず作品に反映されてしまうと思うので。朝も禊をしてから制作をするんですけど、そうしてインスピレーションをどれだけ純度の高い状態で受け取ることが出来るか、どれだけ純度の高い状態で作品化できるかが重要になってくるので。自我が入ってしまうと濁ってしまう。 昔は「アーティストじゃなくてシャーマンだね」と言われてコンプレックスに感じていましたけど、今は気にならない。むしろアイデンティティになっているのかなと。私の場合、自分の頭で考えるよりずっといい作品が出来ますから。 制作の流れとしては「思いつく」→「スケッチ」→「キャンバスに刺繍」といった感じなのですが、あまり気をてらったり、妙な意識は挟まないようにしています。 Enlightenment, 33×33cm 作品の詳細はこちらから 最後にお聞きしますが、これまで作品制作続けてきて、変わった部分や変えていきたい点はありますか? -基本的には無いかもしれません。私の作品には原型があるので、いかにそれを丁寧に掬い上げることができるかが勝負なので。だからずっと気をつけているし、大事にしている点は、やはり自分の心身ですね。具合悪かったり精神的に悪かったりすると、濁るじゃないですけど、良い作品は出来ない。いい器になっておくことが大事なんです。 アーティストのページはこちらから

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