日曜日, 1月 23, 2022
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Joi Murugavell – 喜びの迷路

オーストラリア出身のアーティスト、Joi Murugavellは、大胆で楽しく、ユニークなキャラクターがいっぱいのカラフルな作品を制作しています。オークランド工科大学でアートとデザインの修士号を取得し、アーティストとしての道を歩み始めました。

2009年に初個展を開催した後、世界各地の展覧会に積極的に参加しています。最近では、国際的に有名な現代アートフェア「アフォーダブル・アートフェア」や、日本最大級のオークションハウスである「シンワ・オークション」にも参加しています。オセアニア地域のみならず、ヨーロッパ、アジア、アメリカでも作品を発表しています。

彼女のアートは抽象的で、明るく、噛みつき、ユーモラスなものが多く、個性的なキャラクターがキャンバスの上で踊っています。彼女のキャラクターは、ただ楽しくて楽しい気分にさせてくれるだけではありません。それぞれのキャラクターは、人間の経験と流動する魂の美しさと痛みを捉えています。


And Our Friends Are All Aboard
H 90cm x W 75cm
Mixed media on canvas
Comical Plumbing And Pruning Services
H 90cm x W 75cm
Mixed media on canvas
Slippery Reserves
H 90cm x W 75cm
Mixed media on canvas
Connective Dissonance
(viewed from two angles)

H 64cm x W 51cm
Mixed media on canvas
Shinzo Okuokahttps://www.tricera.net/
1992年東京都出身。大学でインド哲学を学んだ後出版社に勤務し、アート雑誌と神社専門誌の副編集長として雑誌及び書籍の企画・編集に携わる。2019年にスタートアップ企業である株式会社TRiCERAに参加、日本初の現代アート専門の越境ECの開発及びアーティストのマネジメント、自社オウンドメディアの立ち上げを担当する。特技は速筆で、雑誌時代には1ヶ月で約150ページを1人で取材・執筆した。

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この国でしか出来ない造形を | 野田怜眞インタビュー

1995年愛知県一宮市出身、現在は東京藝術大学 大学院工芸科の漆芸専攻修士課程に在籍中の野田怜眞。昆虫や果実など自然物の造形性を実験的に、工芸の技術やコンテキストを駆使して作品化し、「この国で表現をすること」へ向き合う野田の制作と作品について話を聞いた。 昆虫とバナナをモチーフにした作品が多い印象ですが、まずはその辺りから話していただけますか。-僕の作品はカブトムシなど昆虫、あと最近はバナナをモチーフに漆を使って表現しています。表現したいのは、自然のそれぞれのストーリー。内容としてはごくごくシンプル。というのは基本的なスタンスとして自然を表現のターゲットにしているのと、あとは昆虫や自然を見ていて思うのんですけど、やっぱり人間の作り出す形では敵わないなと。圧倒的にすごいんですよ。自然が生み出した姿形、色の偉大さは僕らじゃ太刀打ちできない。だったら人間の自分には何が出来るだろうと考えた時、その自然の姿形を含め、その背景にあるストーリーを表現し、伝えることだと思って今の表現に至りました。 漆の使用もですが、技法的には工芸に負うところが多いですか。-僕自身が工芸の領域を学んでいるせいもありますけど、でもこの国で造形表現をしようと思った時には重要な素材だなと。気候にせよ、文化にせよ、漆が持っている特性や文脈はとても大きいと思います。あとは工芸自体もそうですね。このジャンルは良くも悪くも素材の制約が強い。マイナスもあるかもしれないけど、でも素材を突き詰めることが出来るし、それに表面処理の技術は卓越していると思う。手を掛ける部分が多いこともあって(工芸は)作品一つ一つへの責任感が強い気がするんですね。そこも好きなところです。 でもプレゼンスする先は現代アートにしている?-そうですね、あくまでもコンテンポラリーアートとして見せたいとは思ってはいます。現代アートを意識したのは、多分、学部4年くらいかな。もともとはジャンル云々ではなくて造形が好きだったんです。違う言い方をすると「目で完結できるもの」。言葉がなくても完結している傾向は、特に工芸の世界に強く見えたんですよ。 コンテンポラリーの作家で注目している人はいますか?-新しいことをやっている意味で感動したのは、やっぱりデミアン・ハーストとか。流行りとかはどうでも良いんですけど、ものとしての価値観が変えられる作品には影響されていると思う。ハーストの作品もそうだし、あとは《泉》とか。 それでいくと彫刻を学ぶ道もあったと思うんですが、それはさっきの素材の問題もありますか?-そうですね、それはある。正直、彫刻でもいいかなとは考えました。だけど、やはり工芸よりも素材的な束縛が少ないせいもあって(彫刻は)ジャンルとして広過ぎるなと。最初に身に着けるべき方法としては工芸が合っていると思ったんです。表現するにあたって手段として考えた時に工芸がよく見えた。今も現代アートを自分の畑にはしたいけど、でも工芸の文脈を捨てるつもりはないですね。 表現の方に話を戻しますけど、最近はバナナのシリーズを始めましたね。興味深いのは、どうしてこの果物がモチーフに選ばれたのかなと。-最初にやろうと思ったのは卒制ですね。きっかけは正直大したことはなくて、金色の大きいバナナがあったら面白いなと。だったら現物を見ようと思って、千葉の農園に。そこがけっこう転機なんですけど、というのは実物がすごくカッコ良かった。太腿くらいの幹に2〜300本ほどが重力に逆らうみたいに生えてて、本当に感動した。それで「これは自分で勝手にデフォルメしちゃ駄目だな」と。まだ自分には早いと思って持ち帰ったんです。最近になって着手してるって感じですね。 基準は自分が感動するかどうか?-もちろんそれもありますけど、でも…、そうですね、何というか少し飛躍するかもですが、美術にとって一番大事なことを考えた時に、それってポジティブさなんじゃないかと。格好いい文脈とかじゃなくてアレなんですけど(笑)。でも見ていてポジティブになれるものを創ることが一番のポイントなのかなと思っていて。マイナスな気持ちにさせるものじゃなくて、見る人にとっていい思い出とか勝利とか高揚感とか、前向きな気持ちを起させるものが大事なんじゃないかと。僕自身、そういう精神性を造形にしたいし。 そのスタンスのバックグラウンドが気になりますね。-多分、学部3年生の頃のカンボジア旅行がきっかけですね。漆のある地域へ行ける奨学金をもらったんですけど、やっぱり現地は日本と比べると貧富の差が激しい反面、でも寺院はめちゃくちゃ派手につくられていて、そこにかける彼らの宗教的な感覚に感動したんですよ。幸福の感じ方って人それぞれだと思うんですけど、お祈りをすることで何か物をもらえるわけじゃないし、物理的な変化はないかもしれない。それでも、少なくとも僕には彼らがそれによって自分の生活をポジティブにしているように見えて。自分の作品もそうありたいなと。 その考えが直に影響した作品は何でしょう。-《尋常に》というカブトムシの作品ですね。とにかく人間の等身大サイズがやりたかった。祈るべき存在としてイメージしたので、そのサイズ感が必要でした。でもこれは自分の化身というか、理想の存在を造形化したかった。それからこの国で表現するなら何が適切かと考えた時、日本には特有のカブトムシがいるし、それにしようと。金箔を使ったのは寺院とかの影響もありますね。やっぱり、金は人を魅了する色だし。 話を聞いていると、作品は象徴的な方向に進むように聞こえますね。-そうですね。例えばカブトムシだったら、ある種の強さの象徴。戦国武将の兜もそうですけど、威厳や強さを表象するものをモチーフには選んでますね。その意味ではバナナも同じ。「Vananaシリーズ」と呼んでいるのですけど、頭文字の「V」は「Victory」と同じでもあるし、あとはさっきの話の続きになりますけど、バナナの持っている力強い生命感はそのシンボルになると思う。 コンセプトがはっきりしている反面、表現に対してミニマルな考え方があると思うのですけど、それは自然の造形に対する気持ちが影響していますか?-どうでしょう…、でも確かに敬意はある。話は逸れるかもしれませんけど…、個人的にどの生物も生まれて来た意味を同じだと思っていて、それでバナナも昆虫も同等の生物として見たときにそれを人間独特の価値観で判断したり、人間と同じ時間感覚で捉えることに違和感があるんですよ、すごく。表現するにも、このままで、つまり人間サイドの尺度でやってしまって良いのかなと。 さっき話していた「人間としてできる表現とは」の話にも繋がりますね。-そう、そうですね。バナナについても、僕は本物から型取りするんですけど、それはバナナが生きたり成長した証をそのまま表現にしてあげたいから。あとは見たときに感じたエネルギーとかを汲み取って、それを色と形ですよね、あとは素材とか技法、そういうものに制約されながらどう表現していくかを考える。人によって見方は色々あると思いますけど、昆虫の姿形って、僕はカッコいいし綺麗だと思っていて。だから変に僕が茶々入れたりするべきじゃない。 今話していたような言葉と作品の距離が近いように思うのですけど、それは意識している?-しているし、そう思って頂けるのは嬉しい。モチーフへに対する気持ちもそうだけど、あとは今言って頂いたみたいにやっぱり目で完結したいし、だとしたら最初に見た時から僕の伝えたいことまでの距離は短くて良いと思っていて。…僕の苦手な作品というか、個人的に抽象画とか読み取るのがすごい苦手で(苦笑)。少しストレスなんですよね。全般的に見ることが好きなんですけど、見る方としても目で完結していたい。そういう意味で造形物とか、あとは虫ですね。虫は一番ストレスが少ない、鑑賞してて。 制作ではビジュアルが先行しますか。-しますね、断然。形自体も、最初にエスキースでやるんですけど、三次元に起こす時—つまり造形化する時に形としてないと把握できない。あとは僕自身、制作自体はぼんやりした言葉の元でしていて、終わった後でコンセプトをしっかり固めるタイプ。手で考えていくタイプですね。その逆はあまり得意じゃないかな。細かく設定するとズレてくるし「文章で良くない?」と思ってしまう。 ジャンルに話を戻しますけど、現代アートのフィールドでやろうとする時、工芸のバックグラウンドは邪魔になりますか?-邪魔にはならないですね。でも表現上、工芸の観点からいうと僕はけっこう無茶をしている。ハンダ付をしたり、技術的なところですね、主に。でも工芸の魅力は落としたくないし、その可能性は絶対あると思ってるので。…とはいえ、確かに(工芸は)良くも悪くも技法や素材に対して意識が傾きがちではあるとは思う。講評でも使用した技法のレベルを美術館にあるような伝統工芸品と比較されたりとか。「いや、もっとバナナのオーラ見てよ!」って感じなんですけど(笑)。でもそれはそれで良い。考え方の違いだし。違う考え方の人がいるのは、むしろ良いことだと思っていて。自分の表現したいことを語り合って、ぶつけ合うのってすごく大事だし。閉じ籠もっちゃダメだなって思いますね。 その姿勢が面白いですね。最後に、今後に挑戦したいことや計画していることはありますか?-今はブラッシュアップですね。新しいものというより、今やっているバナナとか今の表現を掘り下げたい。ちょうど修了制作の時期でもあるし、なので自分の言いたいことをより伝わりやすいように進化させるにはどうすればいいか、今はそこに磨きをかける時期かなと。出来るだけ多くの人に共有してもらいたいと思っているので、そうですね、より伝わるようにはしていきたい。今は「ここがなあ」とか思う点もあるので。あとは、そうだな…、カブトムシみたいに華美でやり過ぎなものは目指したいです(笑) 野田怜眞 / Ryoma Noda1995年愛知県一宮市出身。2014年に愛知県立起工業高等学校デザイン科を卒業し、2015年東京藝術大学工芸科に入学。昨年は東京藝術大学卒業展示にて取手市長賞を受賞。現在は同大学大学院工芸科の漆芸専攻修士課程に在籍中。作品ページ:https://www.tricera.net/artist/8100422Instagram:https://www.instagram.com/ryoma_noda/?hl=ja

「アーティストは作品とインスピレーションの間に立つ存在」浅間明日美インタビュー

アーティストの紹介はこちらから 刺繍の方法論で制作する浅間明日美は、自身のことを「器」と形容する。「インスピレーションを忠実に作品化することが大切」と話す彼女の制作スタイルは、自身でもシャーマン的と呼んでいるが、だからこそ混じり気のない純度を保っているのかもしれない。 刺繍をメインにした作品が多い印象ですが、元々刺繍は学ばれていたのでしょか? -いいえ、最初はドローイングから始めました。しかも独学でスタートしたんです。元々はイラストレーターとして活動していて、そこから自分の表現をやってみたいと思うようになり、クライアントワークではない、アートの方へ進みました。 刺繍へ移ったのは、子供の病気がきっかけ。その間は活動を休止していたのですが、でも制作はしたかったし、表現もしたかった。でも中々ペインティングの時間と場所の捻出は難しい。どうにか生活に地続な方法で制作が出来ないかと考えてたどり着いたのが刺繍だったんですね。 Honkadori Bacchus, 33×33cm 作品の詳細はこちらから 生活の中で無理なく出来る美術的表現が、つまり刺繍だったと。刺繍も独学ですか? -そうですね。だから、たまにワークショップを依頼されることもあるのですが、正直教えることが出来ない(笑)。自分なりのルールややり方はありますけど、特に体系化されているわけではないんです。あくまで自分の生活圏で出来る表現を探していった結果たどり着いた方法なので、いわゆる刺繍を学んだ人のやり方とは、きっと違うかもしれません。加えて、私の中では、あくまで美術の表現方法だということも大切で。だから工芸とか手芸になりたくはないと思っています。 「刺繍という方法を使ったアートワーク」である以上、美術家としての視点やスタンスがマストになりますよね。その辺りはどう考えていらっしゃいますか? -私の制作は、どちらかというとインスピレーション型なんですね。シャーマン的と言うとおかしいかもしれませんが、まさに「降ってくる」という感覚。モチーフが頭に降ってきて、それをどれだけ丹念に、作品として外に出すことが出来るか。それが私の制作のスタイルなんですね。 Honkadori Giuliano, 33×33cm 作品の詳細はこちらから つまり浅間さんにとってアーティストは、インスピレーションと作品の間に立つ存在なんですね。 -あくまで私の場合ですけど、そうですね。でも、だからこそ私自身の精神状態はすごく大事で。個人的に、作品は目に見えない部分、例えば作り手の精神状態による変化を受けてしまうと思っているので。だから、自分の精神状態が安定しない時には絶対に制作しない。必ず作品に反映されてしまうと思うので。朝も禊をしてから制作をするんですけど、そうしてインスピレーションをどれだけ純度の高い状態で受け取ることが出来るか、どれだけ純度の高い状態で作品化できるかが重要になってくるので。自我が入ってしまうと濁ってしまう。 昔は「アーティストじゃなくてシャーマンだね」と言われてコンプレックスに感じていましたけど、今は気にならない。むしろアイデンティティになっているのかなと。私の場合、自分の頭で考えるよりずっといい作品が出来ますから。 制作の流れとしては「思いつく」→「スケッチ」→「キャンバスに刺繍」といった感じなのですが、あまり気をてらったり、妙な意識は挟まないようにしています。 Enlightenment, 33×33cm 作品の詳細はこちらから 最後にお聞きしますが、これまで作品制作続けてきて、変わった部分や変えていきたい点はありますか? -基本的には無いかもしれません。私の作品には原型があるので、いかにそれを丁寧に掬い上げることができるかが勝負なので。だからずっと気をつけているし、大事にしている点は、やはり自分の心身ですね。具合悪かったり精神的に悪かったりすると、濁るじゃないですけど、良い作品は出来ない。いい器になっておくことが大事なんです。 アーティストのページはこちらから

魅惑のミャンマー・アート

「ミャンマー人アーティスト」と聞いて、思い浮かぶ画家がいるとするならば、あなたはよっぽどの美術オタクと言っていいだろう。  ミャンマーの現地新聞によると、国内のアーティストは正式に登録されているだけで10000人、非登録を含めても60000人しかいないという。さらに、現在ミャンマーには美術専門の大学はふたつしかない。加えて、国立博物館はあっても公立の美術館はまだ創設されていない。最新のアートに触れるには、民間なり個人運営の小規模アートギャラリーを歩いて回るしかない。アジアは世界各国に比べアートの構造化が遅れているとはいえ、日本からすれば考えられない状況である。 玉石混交なミャンマー人アーティストの中から本記事では、River Galleryの扱うアーティスト10名の作品を紹介しよう。 Aung Thiha 作家の詳細はこちらから Dawei Tu Tu 作家の詳細はこちらから Kyaw  Lin 作家の詳細はこちらから Kyee Myintt Saw 作家の詳細はこちらから Maung Aw 作家の詳細はこちらから Mor Mor 作家の詳細はこちらから Nann Nann 作家の詳細はこちらから Ni Po U 作家の詳細はこちらから Thar Gyi 作家の詳細はこちらから Zaw Win Pe 作家の詳細はこちらから  熱帯、多民族国家、日常生活への仏教の浸透、長きに渡る軍政などさまざまな歴史と顔をもつミャンマーには、とてもユニークな作品を創るアーティストが存在する。本記事を機に、注目していただきたい。

市野勝磯: 伝統から現代美術への一歩を踏み出す

"丹波焼ならではの素朴で自然な土を活かしたい" 市野勝磯 兵庫県にある「日本六古窯」の一つである丹波焼を作り続けている市野家の7代目、市野勝磯さん。今から約850年前の平安時代末期に発祥した陶器です。 1926年、日本の哲学者・柳宗悦とその仲間たちによって「民藝」と呼ばれる日本の民芸運動が始まりました。これまで美術史からほとんど無視されてきた日本の日常的な美術品や、無名の職人が作った陶器や織物、漆器などの工芸品を世界に紹介しようというもので、柳宗悦は「民藝」と呼ばれた。柳は300点の丹波焼を収集し、その美しさを伝える書物を執筆しました。柳宗悦の努力により、90年前、食器としての丹波焼の歴史がよみがえりました。丹波焼の技術を現代美術として取り入れた新しいスタイルの焼き物を発表する市野勝磯の取り組みは、柳宗悦の「民藝」運動を継続させるものとなるでしょう。 丹波焼の歴史-丹波焼職人の一族 粘土でアートを作る 丹波焼を通じた表現 シンプルな食器から現代アートまで 市野勝磯の作品を購入する場所 歴史-丹波焼職人の一族 炭酸化した「みずさし」 by 市野勝磯 丹波焼の長い歴史とは? 丹波焼の歴史は約850年前にさかのぼり、その起源は平安時代末期にまでさかのぼります。谷間の山間に窯を作り、実用的な食器を作っていました。常に時代が求める焼き物を作りながら、新しいことに挑戦し続けながら、家族に受け継がれてきました。この貴重な歴史を感じます。この時代にしか作れない、この時代にしか作れない、自分にしか作れない、自分だけの焼き物を作れるように努力しています。 20代で陶芸の修行を始める前は何をしていたのですか? 先生に洋画を習っていました。彫刻も1年間勉強していました。私が通っていた大学は美術学校ではなく、関西学院大学で経済学を専攻していました。 丹波焼の伝統的な職人の家系に生まれ、ご先祖様の跡を継いで丹波焼の作家になられたわけですが、なぜこの道を選ばれたのですか? 子供の頃は、焼き物はいつも身の回りにあったもので、あまり興味がありませんでした。しかし、20代の頃、東京で陶器を使った作品を作っている作家さんに師事しました。それに触発されて、故郷の丹波の窯で現代の焼き物を作ってみようと思いました。以来、制作を続けています。 粘土を使った作品制作 丹波焼の特徴は? 素朴な風合いの素朴な土が特徴です。丹波焼は、時代の流れとともに制約が少なく、自由に形を変えていきました。歴史的な丹波焼には、作られた時代のニーズが反映されています。丹波焼の特徴は、時代の流れを反映した焼き物であることです。 炭酸八角の「水無月」(茶道用の水入れ)市野勝磯作 丹波焼はなぜ焼き物の生産で栄えたのか?丹波焼の粘土は他の粘土とどう違うのでしょうか? この辺りは焼き物に適した粘土が豊富にあったからだと思います。鉄分の多い山間部の土です。 いつも使っている粘土はどんな感じですか? 私の作品に使っている粘土は、コップやお椀の仕上げにも使えるので、表面がとても滑らかで肌触りが良いです。 丹波焼を通しての表現 丹波焼で表現したいこと、丹波焼だからこそ表現できることを教えてください。 存在感のある、形にこだわった焼き物を作りたいです。丹波焼ならではの素朴で自然な土を活かしたいですね。もともと丹波は重厚感があり、丈夫で頑丈な焼き物という特徴がありました。丹波の土に白土を塗っています(鉄分の多い土はそのまま焼くと赤茶けた色になってしまいます)。 長年続けているのは、炭焼きという炭を使った焼き方にこだわっています。素朴で軽やかな感じがします。一言では言い表せませんが、ジャズの軽快な音にも負けない丹波焼を目指しています。 海外の美術愛好家に丹波焼を紹介する場合、国内のファンに紹介する場合と比べて、どのような点に力を入れていますか? 自然で素朴な土の丹波焼という日本のスタイルにこだわりたいですね。実用性よりも、丹波焼そのものの存在感を大切にして、際立たせたいですね。 食器や花器であれば、食べ物を載せた食器や、花を入れた花器を見せることで、焼き物の存在感をアピールしていきたいと思います。 しかし、形を重視した陶芸の場合(もちろん花器や茶道具も含まれます)は、作家の制作意図やアイデアが重要だと思います。時代の変化にも耐えうる、タイムレスな力が必要だと思います。 今回初めて海外に進出しました。これからは、このような陶器作りに力を入れていきたいと思っています。 丹波焼を買った人にはどう感じてもらいたいですか? 土のぬくもりを感じて、いつまでもそばに置いておきたいと思ってもらいたいですね。 市野勝磯氏による土のイメージ シンプルな食器から現代アートまで これまで日本では貴重な伝統工芸品とされてきた丹波焼。現代アートの存在によって、やきものの歴史はどのように変化していくのでしょうか。また、新たな挑戦とは何でしょうか。 実用的な用途ではなく、海外では家を飾るために使われている焼き物が、新たな需要を生み出しています。また、作品の扱い方も変わってきますし、技術やデザインも洗練されてくると思います。丹波のギャラリーにも丹波の作品が増えてくると思いますし、また違ったお客さんが来てくれると思います。 他の作家から影響を受けたことや、自分のモットーはありますか? 東京で師事した板橋弘美先生に影響を受けています。 陶芸の勉強だけでなく、美術展にも足を運んでインスピレーションを得ています。自分の心に忠実な焼き物を目指しています。完成した作品を分析してアイデアを得ることが多いです。改良点を探して、次の作品をイメージしています。 今後の予定はありますか? 丹波焼を海外に広めていきたいですね。海外の展示会で作品を発表する機会があればいいですね。 市野勝磯さんの作品を購入できる場所 TRiCERAでは、市野勝磯のユニークな作品を数多く展示しています。他の日本の若手アーティストの作品に興味がある方は、コンテンポラリーアートのページをご覧ください。

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 美術にまつわる言葉は膨大な上に、定義の境界が不明瞭である。  ドローイングやその周辺の言葉は特にその傾向を如実に表しているのではなかろうか。  ドローイングは「線画」と訳される。つまり、単色の鉛筆やペン、木炭などで線を引くという行為に重きをおいて描かれた絵を指す。フランス語ではデッサンに当たるドローイングであるが、異なる点を挙げるならばドローイング作品は歴とした作品でも捉えられるということだ。デッサンが対象を正確に描き写すことに念頭が置かれ、絵の練習的側面が前面に押し出されるのに対し、ドローイングは表現の要素が強い。  美術館でもアーティストの技術的・観念的創造プロセスの一旦が垣間見えることから展示されているドローイング。本記事ではドローイング作品10点を紹介し、是非アーティストの本性を探ってほしい。 MATSUMOTO SAYAKA 作家の詳細はこちら 沼田愛実/Aimi Numata 作家の詳細はこちら ボウル太郎/Bowl Taro 作家の詳細はこちら Takashi Fujita 作家の詳細はこちら マーティン・ゼイナー/Martin Zeihner 作家の詳細はこちら

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「画家という位置と、キャンバスという位置と、その向こう側という位置に向けていくつもの層を体感しながら、その向こう側に手を届かせたいというか、向こう側を見てみたい」 キャンバスを切り開き、ステンドグラスや鉱物などをコラージュ的に画面へと配置していく画家 佐々木成美。複数のマテリアルによって重層化した彼女の絵画世界は、本人曰く「あくまでもキャンバスを掘り進める作業」に近いという。 今回、代官山のLOKO GALLERYにて大学院卒業後初となる個展が開催されたことを機に話を聞いてみた。 Tulip, Night Oil on Canvas/Ceramics, 42× 33cm, 2018 まずは今回の個展と作品について簡単に説明して頂けますか? -構成としては、この1年半ほどやってきた中から選りすぐった作品を中心に並べました。大学を出たのが1年半ほど前で、そこからの個展も初めてだったこともあったので。 作品の方は、そもそも「これは彫刻なのか、立体なのか、絵画なのか」とよく言われるんですけど、私の中では絵画として描いてるし、発表していて。これまでずっと絵を描き続けてきて、絵画とは何なのかについて、もう一度自分の中で丁寧に探ってきた期間があって、あまり意識はしていなかったのですけれど、今回はそれが作品とか展示として外に出てきたのかな、という印象です。 編まれた芝 Oil on Canvas/Stone, 50 × 32.5cm, 2018 それは描くという行為そのものをですか? それとコラージュ的要素が目立つ作品だと思うのですが、これもその結果として出てきたものですか? えっと…、キャンバスを切ったりコラージュのように何か組み合わせたりする方向へ決定的に変わったのは2017年ぐらいです。そのタイミングで、実は半年ほどフランスに留学していた時期があって、そこが結構大きな起点になっていて。 そもそも近代の芸術を研究しにいったんですけど、中でも宗教施設にすごく興味が沸いて。向こうはキリスト教の教会もあればイスラムの寺院もあって、それからユダヤ教もあって、色んな情勢からミックスされた施設もあって。そういう所で装飾美術を見ることに興味があったんですけど、いくつか行くうちに何か強烈に、ひとが生きる上で求める、或いは求めざるを得ない精神構造とそれに伴ってくる産物っていうものが、それぞれは当たり前だけどイコールで…ということに夢中になって。描くことというのは、まだ上手く言葉には出来ないんですけど、もしかしたらそういう欲求に近いのかもしれないなと。でも、その欲求が達成されるにはそれだけじゃなくて、なにか違う、こう…自分の手に負えない大きな力が働くように、待たなければいけないというのは、本当によく感じました。それで作品が変わってきたかな。 その結果からキャンバスを切ったりが始まったということですか? -そうですね。具体的に因果関係みたいなのは言葉に出来ていないのですけど、最初は組み合わせることからはじめて、それこそある種の装飾のようにキャンバスを埋めるみたいな行為を、色んな素材で。 素材にもバリエーションがあるようで、それでいて共通項があるようですが。 そうですね、その素材も、一応は自然に近いものを選んでいます。木とか陶器とか、あとはガラスですね、ステンドガラス。そういうものが混ざった状態というか、それはいつもいいわけじゃなくて、全然よくないなと思うこともあるんですけど、その組み合わせをしながら自分で待っているということをしていて。キャンバスを切るようになったのはそれからなんですけど。 それは、その混ざった状態に対しての対処法として? -描いてて待てなくなるというか。どうしようもない、飽和した状態に絵を描いているとなることがあって。で、それをどうにか大きくひっくり返すようなことがしたい…というか、ひっくり返したい欲求を持つときにキャンバスを切るんですけど…。 でも、切るとめちゃくちゃ驚くんですよ、自分でも。自分で切ってるのに(笑)。あ、切っちゃったって。 それでも切ると強いというか、戻れない感じがして。一気に世界が変わってしまったような、それこそ天変地異が起こったなと思うんです。そうした一つの状況が壊れちゃうような、本当に丸きり変わってしまうようなことがあるけれど、でもそれが大きなきっかけになるというか。ゼロになるわけではなくて、こう…、ある形のあったものが壊れて現状回復されつつも違う要素が組み込まれていくし、それによって絵の中の組み換えが活性化してくる。でも、その天変地異的な状況を何とかしていく中で立ち現れてくる絵画というのが、もちろんそれは自分が求めているものだけれど、でも自分が求めている以上に美しかったりする。で、その状態自体が、私はすごくこの世界そのものに似ているなと思うところがあって。世界というのも色んな規模があって、すごく大きなところでいうと宇宙構造に似ていてと思うこともあれば、その問題を縮小して、いまこうして話している対人関係にも世界というものはあるなと。その関係とか在り方っていうのを、私は絵を描く時に分かっていきたいと思う。 コラージュに話が戻しますが、こうした重層性を持たせるのは、意識して? -制作中は意識しないんですけど、確かに私の作品はすごく重なっている、層になっていることが多いし、描いた結果を見てみると「あ、大事なんだな」と思うことは多いですね。というのも、キャンバスって絵を描く前に見ると、白くて壁みたいに見えるんですよ。何か幕というか、何かが隠してある幕のようにも見える。で、その描く時になにを求めているのかというと、多分、私の中ではキャンバスの奥に何かがあるんじゃないかと。 …描く時に触ることがあるんですけど、キャンバスを。白いし何もないし、でもその奥にその何かがあって、何かに繋がるかもしれないと感じる。その奥側に行きたいんだけれども、でもキャンバスっていう壁がすごく厚くて。 そこに行くためのアプローチを続けていくんですけど、そういう時に奥行きっていう構造はすごく重要で。 画家という位置と、キャンバスという位置と、その向こう側という位置に向けていくつもの層を体感しながら、その向こう側に手を届かせたいというか、向こう側を見たい。 だから、ちょっと掘り進めている感じに近い。このキャンバス材を突き破って向こう側に到達したいと思うので、だから結果として重層的にならざるを得ないところはあるかな。 掘りすすめる/重層化させるにあたって、自然に近い素材を選ぶのが重要? -単純に素材との相性もあるんですけど、石とか土にすごい興味があって。…凄く抽象的な言い方ですけど、石とか土のどうにもならない感じというか、どうにもならないけれど、石とかは時間が経っても変わらないようでありながら磨くと姿形を変える、石が石を産むっていうこともあるし、その沢山の可能性というか、意味というか、石にしても木にしても、それぞれが秘めている力がある気がして想像力が膨らみやすいなと。 ガラスについて言えば、使うようになったのも教会を見に行っていた影響なんですけれど、 ステンドグラスってキャンバスみたいに壁に設置されていて、空に向かって立っていて、ステンドグラスの奥側からくる光によって照らされて色彩がこちら側にやってくるっていう、それに何とも言えない情動が湧き上がる仕組みがあるなって思って。 かつ壁画の人に聞いたんですけど、ステンドグラスを切るのってシスターの修行にもなっているらしくて、何かの霊性を秘めながら切ったり貼ったりしていくっていう成り立ちも気になるところで。その機能もそうだし、その背景自体にも意味がある気がして、私の中では特別な素材ですね。 例えば《柔軟なコスモス》等はどこか風景画にも感じられるのですが、そこに先程のたどり着きたいとおっしゃっていた『キャンバスの向こう側』を想定することは可能ですか? -正直、まだ私の言葉ではうまく表現できていなくて。何か凄く…、タッチしたいんだけど何かは分からなくて、明確に私の言葉では言えなくて、便宜上ギャラリーの方から『形而上的なもの』と形容してもらったんですけど、私の中ではまだしっくり来ていなくて でも風景というのはひとつ、的を得ていて…、個展タイトルが「・/♯ La la la la la la...

この国でしか出来ない造形を | 野田怜眞インタビュー

1995年愛知県一宮市出身、現在は東京藝術大学 大学院工芸科の漆芸専攻修士課程に在籍中の野田怜眞。昆虫や果実など自然物の造形性を実験的に、工芸の技術やコンテキストを駆使して作品化し、「この国で表現をすること」へ向き合う野田の制作と作品について話を聞いた。 昆虫とバナナをモチーフにした作品が多い印象ですが、まずはその辺りから話していただけますか。-僕の作品はカブトムシなど昆虫、あと最近はバナナをモチーフに漆を使って表現しています。表現したいのは、自然のそれぞれのストーリー。内容としてはごくごくシンプル。というのは基本的なスタンスとして自然を表現のターゲットにしているのと、あとは昆虫や自然を見ていて思うのんですけど、やっぱり人間の作り出す形では敵わないなと。圧倒的にすごいんですよ。自然が生み出した姿形、色の偉大さは僕らじゃ太刀打ちできない。だったら人間の自分には何が出来るだろうと考えた時、その自然の姿形を含め、その背景にあるストーリーを表現し、伝えることだと思って今の表現に至りました。 漆の使用もですが、技法的には工芸に負うところが多いですか。-僕自身が工芸の領域を学んでいるせいもありますけど、でもこの国で造形表現をしようと思った時には重要な素材だなと。気候にせよ、文化にせよ、漆が持っている特性や文脈はとても大きいと思います。あとは工芸自体もそうですね。このジャンルは良くも悪くも素材の制約が強い。マイナスもあるかもしれないけど、でも素材を突き詰めることが出来るし、それに表面処理の技術は卓越していると思う。手を掛ける部分が多いこともあって(工芸は)作品一つ一つへの責任感が強い気がするんですね。そこも好きなところです。 でもプレゼンスする先は現代アートにしている?-そうですね、あくまでもコンテンポラリーアートとして見せたいとは思ってはいます。現代アートを意識したのは、多分、学部4年くらいかな。もともとはジャンル云々ではなくて造形が好きだったんです。違う言い方をすると「目で完結できるもの」。言葉がなくても完結している傾向は、特に工芸の世界に強く見えたんですよ。 コンテンポラリーの作家で注目している人はいますか?-新しいことをやっている意味で感動したのは、やっぱりデミアン・ハーストとか。流行りとかはどうでも良いんですけど、ものとしての価値観が変えられる作品には影響されていると思う。ハーストの作品もそうだし、あとは《泉》とか。 それでいくと彫刻を学ぶ道もあったと思うんですが、それはさっきの素材の問題もありますか?-そうですね、それはある。正直、彫刻でもいいかなとは考えました。だけど、やはり工芸よりも素材的な束縛が少ないせいもあって(彫刻は)ジャンルとして広過ぎるなと。最初に身に着けるべき方法としては工芸が合っていると思ったんです。表現するにあたって手段として考えた時に工芸がよく見えた。今も現代アートを自分の畑にはしたいけど、でも工芸の文脈を捨てるつもりはないですね。 表現の方に話を戻しますけど、最近はバナナのシリーズを始めましたね。興味深いのは、どうしてこの果物がモチーフに選ばれたのかなと。-最初にやろうと思ったのは卒制ですね。きっかけは正直大したことはなくて、金色の大きいバナナがあったら面白いなと。だったら現物を見ようと思って、千葉の農園に。そこがけっこう転機なんですけど、というのは実物がすごくカッコ良かった。太腿くらいの幹に2〜300本ほどが重力に逆らうみたいに生えてて、本当に感動した。それで「これは自分で勝手にデフォルメしちゃ駄目だな」と。まだ自分には早いと思って持ち帰ったんです。最近になって着手してるって感じですね。 基準は自分が感動するかどうか?-もちろんそれもありますけど、でも…、そうですね、何というか少し飛躍するかもですが、美術にとって一番大事なことを考えた時に、それってポジティブさなんじゃないかと。格好いい文脈とかじゃなくてアレなんですけど(笑)。でも見ていてポジティブになれるものを創ることが一番のポイントなのかなと思っていて。マイナスな気持ちにさせるものじゃなくて、見る人にとっていい思い出とか勝利とか高揚感とか、前向きな気持ちを起させるものが大事なんじゃないかと。僕自身、そういう精神性を造形にしたいし。 そのスタンスのバックグラウンドが気になりますね。-多分、学部3年生の頃のカンボジア旅行がきっかけですね。漆のある地域へ行ける奨学金をもらったんですけど、やっぱり現地は日本と比べると貧富の差が激しい反面、でも寺院はめちゃくちゃ派手につくられていて、そこにかける彼らの宗教的な感覚に感動したんですよ。幸福の感じ方って人それぞれだと思うんですけど、お祈りをすることで何か物をもらえるわけじゃないし、物理的な変化はないかもしれない。それでも、少なくとも僕には彼らがそれによって自分の生活をポジティブにしているように見えて。自分の作品もそうありたいなと。 その考えが直に影響した作品は何でしょう。-《尋常に》というカブトムシの作品ですね。とにかく人間の等身大サイズがやりたかった。祈るべき存在としてイメージしたので、そのサイズ感が必要でした。でもこれは自分の化身というか、理想の存在を造形化したかった。それからこの国で表現するなら何が適切かと考えた時、日本には特有のカブトムシがいるし、それにしようと。金箔を使ったのは寺院とかの影響もありますね。やっぱり、金は人を魅了する色だし。 話を聞いていると、作品は象徴的な方向に進むように聞こえますね。-そうですね。例えばカブトムシだったら、ある種の強さの象徴。戦国武将の兜もそうですけど、威厳や強さを表象するものをモチーフには選んでますね。その意味ではバナナも同じ。「Vananaシリーズ」と呼んでいるのですけど、頭文字の「V」は「Victory」と同じでもあるし、あとはさっきの話の続きになりますけど、バナナの持っている力強い生命感はそのシンボルになると思う。 コンセプトがはっきりしている反面、表現に対してミニマルな考え方があると思うのですけど、それは自然の造形に対する気持ちが影響していますか?-どうでしょう…、でも確かに敬意はある。話は逸れるかもしれませんけど…、個人的にどの生物も生まれて来た意味を同じだと思っていて、それでバナナも昆虫も同等の生物として見たときにそれを人間独特の価値観で判断したり、人間と同じ時間感覚で捉えることに違和感があるんですよ、すごく。表現するにも、このままで、つまり人間サイドの尺度でやってしまって良いのかなと。 さっき話していた「人間としてできる表現とは」の話にも繋がりますね。-そう、そうですね。バナナについても、僕は本物から型取りするんですけど、それはバナナが生きたり成長した証をそのまま表現にしてあげたいから。あとは見たときに感じたエネルギーとかを汲み取って、それを色と形ですよね、あとは素材とか技法、そういうものに制約されながらどう表現していくかを考える。人によって見方は色々あると思いますけど、昆虫の姿形って、僕はカッコいいし綺麗だと思っていて。だから変に僕が茶々入れたりするべきじゃない。 今話していたような言葉と作品の距離が近いように思うのですけど、それは意識している?-しているし、そう思って頂けるのは嬉しい。モチーフへに対する気持ちもそうだけど、あとは今言って頂いたみたいにやっぱり目で完結したいし、だとしたら最初に見た時から僕の伝えたいことまでの距離は短くて良いと思っていて。…僕の苦手な作品というか、個人的に抽象画とか読み取るのがすごい苦手で(苦笑)。少しストレスなんですよね。全般的に見ることが好きなんですけど、見る方としても目で完結していたい。そういう意味で造形物とか、あとは虫ですね。虫は一番ストレスが少ない、鑑賞してて。 制作ではビジュアルが先行しますか。-しますね、断然。形自体も、最初にエスキースでやるんですけど、三次元に起こす時—つまり造形化する時に形としてないと把握できない。あとは僕自身、制作自体はぼんやりした言葉の元でしていて、終わった後でコンセプトをしっかり固めるタイプ。手で考えていくタイプですね。その逆はあまり得意じゃないかな。細かく設定するとズレてくるし「文章で良くない?」と思ってしまう。 ジャンルに話を戻しますけど、現代アートのフィールドでやろうとする時、工芸のバックグラウンドは邪魔になりますか?-邪魔にはならないですね。でも表現上、工芸の観点からいうと僕はけっこう無茶をしている。ハンダ付をしたり、技術的なところですね、主に。でも工芸の魅力は落としたくないし、その可能性は絶対あると思ってるので。…とはいえ、確かに(工芸は)良くも悪くも技法や素材に対して意識が傾きがちではあるとは思う。講評でも使用した技法のレベルを美術館にあるような伝統工芸品と比較されたりとか。「いや、もっとバナナのオーラ見てよ!」って感じなんですけど(笑)。でもそれはそれで良い。考え方の違いだし。違う考え方の人がいるのは、むしろ良いことだと思っていて。自分の表現したいことを語り合って、ぶつけ合うのってすごく大事だし。閉じ籠もっちゃダメだなって思いますね。 その姿勢が面白いですね。最後に、今後に挑戦したいことや計画していることはありますか?-今はブラッシュアップですね。新しいものというより、今やっているバナナとか今の表現を掘り下げたい。ちょうど修了制作の時期でもあるし、なので自分の言いたいことをより伝わりやすいように進化させるにはどうすればいいか、今はそこに磨きをかける時期かなと。出来るだけ多くの人に共有してもらいたいと思っているので、そうですね、より伝わるようにはしていきたい。今は「ここがなあ」とか思う点もあるので。あとは、そうだな…、カブトムシみたいに華美でやり過ぎなものは目指したいです(笑) 野田怜眞 / Ryoma Noda1995年愛知県一宮市出身。2014年に愛知県立起工業高等学校デザイン科を卒業し、2015年東京藝術大学工芸科に入学。昨年は東京藝術大学卒業展示にて取手市長賞を受賞。現在は同大学大学院工芸科の漆芸専攻修士課程に在籍中。作品ページ:https://www.tricera.net/artist/8100422Instagram:https://www.instagram.com/ryoma_noda/?hl=ja

魅惑のミャンマー・アート

「ミャンマー人アーティスト」と聞いて、思い浮かぶ画家がいるとするならば、あなたはよっぽどの美術オタクと言っていいだろう。  ミャンマーの現地新聞によると、国内のアーティストは正式に登録されているだけで10000人、非登録を含めても60000人しかいないという。さらに、現在ミャンマーには美術専門の大学はふたつしかない。加えて、国立博物館はあっても公立の美術館はまだ創設されていない。最新のアートに触れるには、民間なり個人運営の小規模アートギャラリーを歩いて回るしかない。アジアは世界各国に比べアートの構造化が遅れているとはいえ、日本からすれば考えられない状況である。 玉石混交なミャンマー人アーティストの中から本記事では、River Galleryの扱うアーティスト10名の作品を紹介しよう。 Aung Thiha 作家の詳細はこちらから Dawei Tu Tu 作家の詳細はこちらから Kyaw  Lin 作家の詳細はこちらから Kyee Myintt Saw 作家の詳細はこちらから Maung Aw 作家の詳細はこちらから Mor Mor 作家の詳細はこちらから Nann Nann 作家の詳細はこちらから Ni Po U 作家の詳細はこちらから Thar Gyi 作家の詳細はこちらから Zaw Win Pe 作家の詳細はこちらから  熱帯、多民族国家、日常生活への仏教の浸透、長きに渡る軍政などさまざまな歴史と顔をもつミャンマーには、とてもユニークな作品を創るアーティストが存在する。本記事を機に、注目していただきたい。

Feature Post

“window”Shimizu Jio(MISA SHIN GALLERYにて)

目に見えないものを感じさせる現象をもたらす作品 東京のミサシンギャラリーにて、日本のアーティストShimizu Jioの個展「window」が開催されています。本展は、1966年生まれ、広島・埼玉を拠点に活動している清水慈夫の3度目の個展となります。 Shimizuは、アートと自然科学の関係性を探る実験的な作品を制作しています。彼の作品は、音、動き、光、振動などの要素で構成された現象を生み出しています。 本展では、数点の作品の中からShimizuの作品"window"に焦点を当てて展示します。"window"は、ビッグデータの原理を利用した作品です。2台のモニターが更新され、リアルタイムでTwitterのフィードを表示しています。7ヶ国語で書かれた「光」と「闇」という言葉を含むツイートが出てくると、2つの発光パネルが点滅します。あなたはどちらのパネルがより多くの光のちらつきを期待しますか?どちらの言語の方がモニターによく映ると思いますか?そう思う理由は何でしょうか?作品を見る前に、自分に問いかけ、自分なりの仮説を立ててみると、展示をより気持ちよく感じることができるでしょう。 実用的な部分では、ビッグデータとTweeterをベースにしながらも、人間界の間にある天国と地獄を描いたヒエロニムス・ボスの「地上の喜びの庭」の影響も受けています。歓喜の庭』のように、"window"の左側が "光 "に、右側が地獄としての "闇 "を意味し、中央が監視された愚かな人間世界に対応する空虚さを暗示していることに気づくかもしれません。 また、"window"とともに、Iida Hiroyukiとのコラボレーション作品"decay music"も発表します。"decay music"は、室内に設置されたシンチレーターを用いてガンマ線の放射線を検知し、それに応じて放射線の音を再生するミクストメディア・インスタレーション作品です。「decay music」は、室内に設置されたシンチレーターでガンマ線を検出し、展覧会期間中に美佐新ギャラリー内で放出される放射線の音色を再生する。作家はまだ福島やチェルノブイリなどの放射能の高い場所で「崩壊音楽」を演奏したことはありませんが、もちろんそのような都市ではエネルギーの高さから高い音を奏でるでしょう。その点、本作品は放射線量に応じて様々な音を生み出す可能性を持っており、近々どこかで次の場所で"decay music"が見られることが期待されています。 それらの時間軸の作品では、現象が起こる。目に見えないものを目に見えるものに変換するのではない。作品がもたらす現象から、私たちは目に見えないものを感じることができるのです。清水慈夫の "windows "展は6月28日よりスタートし、2019年8月10日までミサシンギャラリーにて開催されています。 記事を書いた人:Jeongeun Jo韓国出身、日本在住。東京藝術大学大学院美術研究科を卒業したTRiCERAのメンバーの一人。アーティストとしても活動しています。

絵画が引き起こす化学反応が見たい – 林香苗武 インタビュー –

2011年から平面表現における速度を主題とし、制作・発表してきた林香苗武。2015年には未来派のように「速度主義宣言」を出すなど美術史をオマージュするような活動を展開してきた彼女に、今回はこれまでの経歴や作品、制作について話を聞いた。 ダンス 42 × 29.7cm, Giclee Printing on paper, edition:50 作品はこちらから 林さんは速度をテーマに制作を続けてきました。平面における速さを造形的に追求する姿勢は未来派を思わせますが、一方ではそこから独立している様子も感じられます。まずは現在の作品の成り立ちから伺えますか。  速度についてはこれまでもずっと考えてきたことではあるんですが、ただ未来派との関係について言えば意識し始めたのは2015年くらいです。2015年というと、自分の中では作品が変わってきた時期なんですけど、それまでの作品は構図的には人物を中心にそえていたんですが、ただ人物が中心にいる構図はたくさん描いてくるうちにどうしても打ち止めになっていった。人物は顔と手と足、あとは胴体の5つのパートに分解できるんですけど、それを線に置き換えて考えると、極端な話をすれば要するに5本の線をどう動かすかという話になる。シンプルですけど、だからこそその作風を続けていくことに限界を感じていたんです。変わっていかなきゃいけないなとは考え始めたのが2013年頃でした。もっと実験的なことを作品でしなくては、と。そしたら2015年頃から周りから「未来派っぽい」と言われることが多くなってきて、あとはロシア・アヴァンギャルドとか、その辺りの美術史の流れと比べてみられることが多くなった。当時はあまり興味がなかったし、「何か言われてるな」程度で、詳しくは知らなかったんですね。だけど「よく言われるけど自分はそれを知らない」という状況が段々と嫌になってきた。じゃあひとつ調べてみようと。日本には文献が乏しかったのですけど、でも調べる中で「どうやら速度をテーマにしている人たちらしい」と知り、彼らの世界観も好きになっていったんです。  そして2015年に『速度主義宣言』を出すに至るわけですね。『未来派宣言』にも通じるアクションですが、当時はどういう意図があったんですか。  宣言そのままというか、「しばらくこういう運動をやっていきます」という意思表示をするためでした。あれはマニュフェストなので、未来派の人たち同様、宣言をチラシにして配ったりして。それを当時、周囲がけっこう面白がってくれたかたちになったんですね。「今後どうやっていくのか」みたいな。 私としては戦闘態勢に入った心持ちでした。「こういうことをやっていくぞ」と。当時はずっと絵を描いていたんですけど、でも私としては絵なんて描いている場合じゃないんだという精神状態になっていて。まっすぐにコンセプチュアル・アートをやらないといけないと。空間でアプローチすることをしないと勝てないんじゃないかと。 未来派の流れを引用しながらインスタレーションにシフトしていった。林さんは比較的早期にキャリアをスタートさせましたと思いますが、当初からペインティングがメインでしたよね。  2010年に大学へ入って、翌年から少しずつ動き出したので、確かに早い方だったかもしれません。公募展で賞を頂いて、それをきっかけにして。ただインスタレーションをしていた時期は自分の絵に対してすごい嫌悪感があったんですね。周りからは「格好良い」と言って頂くことが多かったんですけど、でも自分の中では「どうしてこんなに考えて描いてるのにイラストみたいに扱うんだ!」という気持ちがあって。格好良いとかなんとか言われても、結局のところそれは消費されているだけじゃなんじゃないかって。もっと消費されない方法でアートをしなくちゃならないと考えていた時期でした。  ある意味では周囲の評価や認識に対するアンチテーゼとしてのアプローチが空間芸術だったし、その理論的な裏付けが未来派でもあった。でもそういう気持ちは時間が経つにつれて大人しくなっていくんですよね。天邪鬼なことかもしれませんけれど、でも段々と絵がやりたいと思うになってきた。というより、そう思えるようになれた。時間のおかげもありますね。絵画でやっていないことは何かについて考えてみたくなったし、今も続いていますけど、絵をやってみたいという気持ちが強くなっていったんですね。それに、そもそも私は絵に対して真摯な姿勢ってものがなかったんじゃないかと。キャンバスの中で一つの作品をつくろうっていう姿勢自体が私の中で根付いていなかったんですよ。油絵具を手に取って何かを描くとか、初歩的なところからもう一度学び直した方がいいのではと考えて。そう考えた時に未来派という流れは私にとって後付けに近かったし、当時の感覚としてはやっぱり「これはもうやられていることだよな」という疑問が頭のどこかにはあった。それに私一人が速度云々と言っていても果たして先があるのか、とか。それで去年の4月にイタリアに行ったんですけど、そこでお別れをして来たんですね。未来派の人たちが活動していた場所で、未来派に対して。「今までありがとうございました」と。「私はこれからやりたいことをやります」という意味を込めて。  絵画に戻って来た。絵画の領域で何がやりたいのかは今もまだはっきりしていないんですけど、でも絵画とイラストについてはずっと考えていて。一方ではそれが障害でもあるんですよ。絵画とイラストの断絶みたいなものが永遠に埋まらないんですね。イラストとして見られていた頃は反発心とか苛立ちを感じていて、速度主義と言ってた頃は美術史や絵画の歴史に組み込まれた錯覚をしていた。絵画とイラストを融合させようという試みは美術史の中で行われて来たことですけど、でも今や断絶っていう言葉さえ薄れて来ている気がする。それにその感覚って本当に重要か?と。「いやどうでもいいでしょう」と。もっとやりたいことやればいいでしょうという感覚になって来た。 そもそも私が描いていること、描くことにおいて重要なのは線なんですけど、それはすごくイラストとの境を曖昧にしている理由でもある。最近はデジタルのドローイングもしていて、そうすると、つまりデジタルだとテクスチャーがほとんど関係なくなるわけなんですけど、それによってますます線描の特性が明確になってくる。色だとか絵具の重なりだとかがあまり重要視されない世界で、それよりは何か強い形を生み出すことにどんどん執着をしていくんですね。やり方を変えても行き着くところは線で、その線をどうするか。ある意味で形を叩き込むことに似ているんですよ。  そもそも林さんにとって描くという行為がどういう位置にあるか伺いたいんですが、絵を描き始めたきっかけは何でしたか。  ごくごく普通というか、よくある話で絵を描くと人が喜でくれて、それを面白がっていた感じです。実家がワイン農家で、売店の2階に住んでいたんですけど、親がよく売店につれていってくれて。お客さんに似顔絵を描くと喜んでくれて。それが楽しかったし、今もそれを面白がっているところはありますね。  林さんにとって絵画あるいは絵を描くことは装置に似た意味合いがありますか? あると思いますね。何かを描きたい…というよりは私の描いた何かによって何かが起こることが一番良いとは思っていて。だからこそインスタレーションのアプローチも出来たのかもしれませんけど。  背景について話を伸ばしたいのですが、触れていたカルチャーも絵が多かったですか。  その点で言うと漫画ですね。漫画は大切だし、私の人生にとって絶対になくてはならないものかもしれない。漫画とか、あとアニメーション。線が動いていることが重要なのかなと思いますけど。 あとは音楽…というより音ですね。生活の中では基本的に音が流れてる。好きな歌手とかよりも曲というか、音ですね。音そのもの。音楽って私の中では一番速いメディアなんです。もはや音楽とか音は私にとって「速いモノ」だと思っていて。  速度の話が出て来ましたが、林さんの作品でも速度は重要な要素でもあります。  やっぱり私は速度っていうものがすごく好きなんですね。motoGPというバイクレースがあるんですけど、そのレースに出ているバイクってものすごい速度が出るんですよ。300キロ以上かな。もうレースを見るっていう感覚ではない。ものすごい速度の物体が目の前を通り過ぎていく感覚で、はっきり感じられるのはエンジンの音だけ。「あ、これが速さなんだ」っていうことが体感的に理解できるんですね。私の絵では速さのフォルムを追求しているふしがあると思うんですけど、一方では「速さとは何か」って命題もあって。例えば光の速度と言われたりしますけど、でもその速度を見た人は誰もいない。速度が速くなったり、反対に遅くなったりすることは知っているし、日々感じることではある。でもそもそも速度とは何か。誰も速度を見ている人はいないんじゃないかって。それってすごく神秘的だし、ドラマチックだと思うんですよ。  速度という概念は物理以外にも応用されますよね。例えば都市部とそれ以外では流れている時間が違っていると言われたり。現代と100年前では都市生活者の時速は違うと思いますが、そのことについて考えることはありますか? 私の感覚として「ひとが密集していると速度は速いし、逆にスカスカだと速度は遅い」というのがあって。私が東京に出て来た10年前はそれこそ神秘的な感じでした。東京の速さが凄まじかった。速度的な神話の世界にきて、それを享受している、みたいな。でも10年も経つとその速さが鬱陶しくなってきて、それを楽しむ余裕がなくなってくる。単純に疲れてきているのかな、と。人間というハード自体が速度に追いついてないのかもしれない。ゲームなんかしていても今はロードタイムってほとんどない。すごく安価にテクノロジーが楽しめて、すごく色々なことが簡略化されている。家にいても外にいても、もうあらゆるところで、あらゆることがシームレスになっている。でも脳味噌がそれに疲れてるんじゃないかなって。でも、ある程度の速度がないと人間はもうイライラしてしまいますよね。そこが面白いところでもあるんですけど。 自然の現象としても、社会や生活のシステムとしても、速度はあらゆる場面で私達にか関わっている。 しかもそれとは分からない姿で。誰にも見えないわけですよね。だから速度はいつまでも神秘でいてくれるんだと思いますね。 プロフィール長野県生まれ。2011年より平面表現における速度を主題とし、制作活動を続けている。 2015年に速度主義宣言を発表。 主な個展に「大木と巨大キツツキ」(Clear Edition & Gallery/2015)、「速度の神」(WISH LESS gallery /2019)など。 林香苗武によるエディション作品はこちらから

東京で情熱的な若手アーティストを応援する展覧会

The 21st “1_WALL” Graphics Exhibition Installation View, “The 21st “1_WALL” Graphics Exhibition”, 2019 ©️Guardian Garden Courtesy of Guardian Garden. 若いアーティストは、自分の作品を作るだけでなく、世界に向けて作品を発表する機会を持ちたいと常に切望しています。グループ展、個展、助成金などの機会を提供するアートコンペは、若いアーティストの作品を発表する方法の一つです。東京では、数あるアートコンペの中でも、35歳以下の才能あるアーティストを発掘する「1_WALL」グラフィック展という面白いコンペが毎年開催されています。 第21回「1_WALL」グラフィック展は、東京のガーディアンガーデンで開催されます。同ギャラリーは、総合人材サービスを提供する株式会社リクルートホールディングスが運営している。本展では、2次審査を通過したファイナリストの作品6点を展示。一次審査では参加者全員のポートフォリオを中心に、二次審査では一次審査を通過したグラフィックデザイナーと審査員との1対1のディスカッションが行われました。第21回目となる今回のグループ展では、ファイナリスト6名にそれぞれ壁の片面を割り当てた「1_WALL」を開催しました。 Installation View, “The 21st “1_WALL”...

自然現象の可視化、人間の感覚への刺激

赤松 音呂「メテオン」(ミヅマアートギャラリー) 'メテオン'は5月29日から6月29日まで開催中。神奈川を拠点に活動する赤松ネロの作品が、東京・市ヶ谷田町のミヅマアートギャラリーで展示されます。 目に見えない自然現象である地磁気の効果を主に研究している赤松。しかし、この目に見えない現象を、独自の方法論で表現しています。 自然現象を具現化することで、彼の作品は視覚、音、時間、体験を中心とした作品となり、現象学的な体験となる。 本展では、熱気化の原理を利用した「メテオン」と、地磁気の存在によって流動的に回転するインスタレーション作品「チジキグモ」の新作2点を発表します。 赤松 音呂とミヅマアートギャラリーの声明によると、人間は第六感として磁気を感じる可能性があることが近年の研究で明らかになっています。赤松はこの「地磁気」というテーマを作品に取り入れています。 熱の気化の原理や地磁気の影響を可視化した作品でありながら、五感で自由に作品や展示を感じてほしいと考えています。私たちの第六感とは何なのかはわからないかもしれませんが、本能的に何かの現象を感じることがあり、それを第六感としたいと考えています。赤松が扱うテーマを押し付けることはありません。 赤松の自動で動くインスタレーション作品は、微妙な音を出しながら動作します。目や耳といった人間の五感を刺激する作品は、私たちを目覚めさせてくれます。赤松が探求する自然現象を感じることができるかどうかは別として、慌ただしい生活の中ではなかなか感じることのできない「五感で覚醒する」という体験をしてみるのもいいかもしれません。 記事を書いた人:Jeongeun Jo韓国出身、日本在住。東京藝術大学大学院美術研究科を卒業したTRiCERAのメンバーの一人。アーティストとしても活動しています。

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