木曜日, 6月 24, 2021
Home News 人間にとっての動物、もしくは動物にとっての世界の話。

人間にとっての動物、もしくは動物にとっての世界の話。

レオナルド・ダ・ヴィンチの『小貂を抱く貴婦人』とは−言うまでもなく著名な作品ではあるけれど−上品そうな女性がオコジョを腕に抱いているにおける、54.8 cm × 40.3 cmのペインティングだ。オコジョは純潔性の象徴らしいが、一方で14-5世紀の貴族の間では著名なペットでもあったという。


人と動物の共生の歴史は長く古く、遡ればラスコーの時代から人々は動物を飼い慣らし、時に愛玩し、時に狩のパートナーとして生活を共にしてきた。
古代エジプトでは動物に名前を与えていたし、古代ギリシャでは亡くなった犬のために墓穴を掘り、墓石を建て、飼い主はその墓にメッセージを刻みつけて悲しみを形容する習慣があった。

Ray_Cervus
145.6cm x 103cm

作品の詳細はこちらから

かくも長い歴史だが、とはいえ、動物が絵画の題材となり始めたのは、動向としては、主に17-8世紀頃のことだった。
博物学の一環として動植物がイラストレーションされることは多々あった。けれど「動物画」として、つまり絵画の一ジャンルとしてフラン・スナイダーズやジョージ・スタッブスのように動物をメインをモチーフとした画家たちの登場はその時期を待たなくていけない。

では、なぜ人は動物の絵を描くのだろうか。
第一に、ダ・ヴィンチ のような象徴的用法もあるだろう。
実在する動物ではないが(少なくとも筆者は見たことがない)、例えばユニコーンは、少女の清らかさを指し示すモチーフとして15世紀の絵画界で使用された。

この象徴という見方は、絵画の中に動物がいることについて一種のストーリーを読み取ることを許すだろう。例えば少女と動物をモチーフにするSELUGI KIMの作品を見てみよう。

girl_4
40cm x 40cm

作品の詳細はこちらから

彼女の絵画の中の少女が一緒にいるのは友人でも家族でも、ましてや学校の先生でもミッキー・マウスでもなく、一匹のフラミンゴだ。
「文化と愛という名のもと、社会では偽装が多く行われている」と彼女は語るが、その言葉と共に鑑賞すると、フラミンゴと少女しかいない世界は社会の矛盾や清廉さとは反対の、ある種の理想郷的な世界を物語っている様を読み取りたくなる。

Girl sitting on a flamingo
72.7cm x 53cm

作品の詳細はこちらから

動物の「イメージ」という点ではどうだろう。
例えば狼は『赤ずきんちゃん』『三匹のこぶた』など物語の中では常に悪役だ。そして狼と聞けば、どうだろう、善良的なモラリストをイメージすることは少ないのではないか。この物語が作り出した狼の運命について、苅谷はそれとなく言及している。
人間によって紡がれ、語られて来た物語のおかげ嫌われ者になってしまった狼。ある種のイメージ操作の結果をを、そしてそのイメージを固定し続ける者たちの姿を、彼女は公平な視点から描き出している。

Wolf
50cm x 61cm 

作品の詳細はこちらから

ペットという視点ではどうだろうか?
人はペットを、自分たちの異種の家族を、どう描いてきただろう。そのストーリーはどうだろうか。

萩原のペインティングにおけるペットは、ある意味、現代の風俗が見て取れる。
〈we use botanical shampoo〉と名付けられた作品に描かれる犬たちは、思うに、普段からボタニカル・シャンプーで身を清めているに違いない。

We use botanical shampoo
90cm x 65cm

作品の詳細はこちらから

反面、ペットの視点から描かれた作品も存在する。久保俊太郎の絵画がそれだ。
彼は「ペットが受ける過剰な愛は、時として一方的になる」という視点から武装する動物たちを描き出す。
もちろん適量の愛情が注がれるケースがほとんどと信じたいが、しかしそうでない時、そしてもはや愛育とは反対のケースにすらなる時、ペットは近所の交番に電話一本を入れることも出来ない。
彼の作品のにおける猫やウサギたちは人間に反抗し、武装し、自分たちの自由を手に入れるためにレジスタンスを展開する。「もしも」の世界を描いたわけだが、普段は見えない世界を描き出した点で、久保の絵画は想像力の所産の代表と言っていいだろう。

Heavy Army (Scottish Fold)
31.5cm x 24.5cm
Oxytocin
170cm x 86cm

作品の詳細はこちらから

もちろん動物にも固有の世界があるし、そこに人間がいるとは限らない。長沼が描くライオンやリスが安らぐ画面世界は、完全に動物だけの世界だ。動物たちが彼らのルールで、彼らの世界を生きている。現実にはなかなか見ることはない。どこも人間が管理をしているからだ。
その意味では、どことなく切なく、そして憧憬を起こす清らかさがあるようにも見える。

Touch (tactile)
44.5cm x 36.5cm

作品の詳細はこちらから

動物たちを描いた絵画には、それこそジャングルのように、固有のストーリーを読むことができる。
自宅の壁の一画に、動物という、異世界を設けてみるのもいいかもしれない。

Shinzo Okuokahttps://www.tricera.net/
1992年東京都出身。大学でインド哲学を学んだ後出版社に勤務し、アート雑誌と神社専門誌の副編集長として雑誌及び書籍の企画・編集に携わる。2019年にスタートアップ企業である株式会社TRiCERAに参加、日本初の現代アート専門の越境ECの開発及びアーティストのマネジメント、自社オウンドメディアの立ち上げを担当する。特技は速筆で、雑誌時代には1ヶ月で約150ページを1人で取材・執筆した。

Most Popular

You Might Like

永遠の創造のエネルギー、アーティストであることの鍵となる力

アートを通して光と時間を求める大平奨が個展を開催します。 TRiCERAの注目作家の一人である大平奨は、東京・京橋のギャラリーひのきにて個展を開催しています。今年で70歳になったが、彼は決して負けずに 芸術家であることのキーパワーである創造への情熱と永遠のエネルギー。 本展、大平奨の個展は、大平奨の創作意欲の状況証拠となる。大平奨は1949年山口県に生まれ、現在は日本とフランスを拠点に活動しています。 作品の印象は、若い作家が作ったかのようなどこかオシャレな感じ。日常の風景を淡々と描いているので、抽象画と具象画の中間のような作品になっています。 また、彼の作品の特徴の一つは、円の浮遊感です。彼の作品では、風景を描きながらたくさんの円を描いています。円を通して抽象的な概念である「時間」を視覚化し、それを大きさや色の異なる円を描くことで表現しています。晋にとって、自分の作品は光と時間を求める作品であると考えています。 今回の展覧会では、彼の絵画だけでなく、新作も展示します。長らくアクリル画を描いてきた作家ですが、現在はアクリル画から写真を使ったミクストメディア作品へとフィールドを広げています。写真のひび割れはすべて金色の線で覆われ、透明な円が浮かび上がっています。 同じ風景をベースにしながらも、素材によって表現が異なるものもあれば、絵画として表現されたもの、写真作品として表現されたものもあります。これらの作品では、素材の違いによる感覚の変化を楽しむことができます。 国内だけでなく、海外でも年に2、3回は展覧会に参加し続けている大平。これだけ精力的に活動していても、決して満足することはなく、今の頻度以上に海外での展覧会を開催したいと考えているそうです。アーティストとしての長いキャリアを経て70歳を迎えた大平氏だが、その創作へのエネルギーは今もなお強力だ。彼の仕事への感覚が年を取らないのは、作品作りへの飽くなき情熱と努力があるからなのかもしれません。 大平奨個展(ギャラリーひのき) 開催日:2019年10月7日(月)~10月12日(土) 2019年10月7日(月)~10月12日(土)時間。11:30~19:00 土(最終日):11:30~17:00 記事を書いた人:Jeongeun Jo韓国出身、日本在住。東京藝術大学大学院美術研究科を卒業したTRiCERAのメンバーの一人。彼女自身もアーティストとして活動している。 

日本のアートを買うべき理由」を他のアジアのアートマーケットの統計と比較してみる

世界の美術市場における統計の比較から見た日本美術の大きな価値 世界第3位のGDPを誇る日本のアート市場は、その規模が小さく、アートシーンでは意外と知られていない事実です。そのため、日本のアート市場は過小評価されています。しかし、株式市場と同じように、日本のアート市場に投資することには大きな価値があるということになります。 アート東京協会が発表したデータによると、2016年の日本からの美術品輸出額は約350億円で、世界の美術品市場に占めるシェアは米国が40%、中国が20%であるのに対し、日本は3.1%となっています。このことから、日本のアート市場の上昇の可能性が見えてきました。 では、どのような芸術、どのアーティストに投資すべきなのか、と悩むかもしれません。一般的には、リスクが低いという理由から、有名なアーティストだけに注目しがちです。しかし、有名な作品への投資は、若くてあまり知られていないアーティストの作品を購入するよりも、はるかにリスクが高くなります。例えば、アジアで最も人気のあるアートジャンルの一つである韓国式モノクロームムーブメント「淡彩華」については、以下の統計によると、最近の世界のアート市場での変動率を示しています。 上のデータチャートは、「淡彩華」を代表する6組のアーティスト、キム・ファンキ、イ・ウファン、チョン・サンファ、パク・ソボ、ユン・ヒョングン、ハ・チョンヒョンのデータを基にしています。 アート投資家が有名ジャンル・有名アーティストに投資する理由:トレード性 有名アーティストに「イズム」で投資する人が多い傾向の理由は、トレード性をベースにした安全性が一番の理由です。しかし、上記のチャートを見てもわかるように、有名なジャンルやアーティストに投資しても安全性が高いとは言えません。最近では、「流行」だけに注目しないように、美術史的価値をもっと掘り下げようとする試みが前面に出てきています。そのため、「この『イズム』は、私たちの社会やアイデンティティ、時代を本気で表しているのか」という声が高まっています。このような流れは、主流の作品の中にある「信頼に値する価値」が不安、無担保の資産に変わることを意味している。 しかし、比較的知名度の低いアーティストの作品は、アーティストとしてのキャリアを辞めない限り、価格が大幅に上昇する可能性が高く、芸術的価値が発掘される可能性があります。また、日本の美術市場が過小評価されていたことを考えれば、日本の若手アーティストや知名度の低いアーティストであっても、芸術的価値を持ったアイデンティティーを求めて活動しているアーティストに投資することは、楽観的に評価されてもおかしくない。 世界のアート市場で20%のシェアを占めていた中国のバブルは、韓国の「淡彩華」のようにゆっくりと崩壊していくだろう。すでに成長してきた他のアジア市場と比較して、日本の美術市場は成長の可能性があり、安全であることが示されています。 TRiCERA.netは、展覧会やアワードを通じ、日本から世界に名を馳せている新進気鋭の才能と世界をつなぐことを目的に設立されました。あなたのポートフォリオのために一点もののアートを手に入れたいとお考えの方は、100名を超えるアーティストの中から、将来的に大きなリターンをもたらす可能性のある作品を探してみてはいかがでしょうか。 記事を書いた人:Jeongeun Jo韓国出身、日本在住。東京藝術大学大学院美術研究科を卒業したTRiCERAのメンバーの一人。アーティストとしても活動しています。

ミレニアル世代の私たちがモダンアートを買うべき理由

 私たちは、より洗練された未来を形作っています。 私たちミレニアルズは 1988年生まれの私を含めて まるで「FRIENDS」のフィービーとレイチェルの ハイブリッドのようなものです どのようにして?私たちは、フリーマーケットで買った感傷的な愛着のあるアンティークが好きなPhoebeのように、独自性と信頼性を切望しています。しかし、Pottery Barnの新品のアンティーク調の家具を選ぶレイチェルのように、人気と安全性も求めています。 私たちのハイブリッドなライフスタイルを見てみましょう。私たちはファッションのセンスが抜群で、古着屋で買ったジャケットやグッチのバッグの着こなし方を熟知しています。私たちはアナログとデジタルの技術に精通しており、スマートフォン、YouTube、ジャスティン・ビーバーがどのように私たちの生活を形成してきたかを目の当たりにしてきました。旅行にも熱心で、SNSでは何百万人もの人が撮った写真を投稿して自己ブランディングをしています。プライドパレードに参加したり、グレタ・トゥンバーグと一緒に行進したりと、人権や環境問題のネガティブな継承に取り組んでいます。そして、そう、私たちは皮肉が好きなのです。それでも、私たちは、比較的、素晴らしいことをしていませんか?私たちは確かに新しい時代を形作る洗練された心を持っています。  オーガニックを選びますか?ウォールアートも選びましょう。 私は、アートを買うことは、あなたの食料品をどこで買うかを選ぶことと何ら異なるべきではないと信じています。私たちの世代は、前例よりも私たちが食べるものを気にしています。私たちは、有機野菜や人工香料の入っていない食品を買うためにホールフーズマーケットに行きます。または週末のファーマーズマーケットで、私たちは生産者から直接新鮮な食品を購入します。お金はかかるかもしれませんが、私たちは自分自身の健康だけでなく、地元の生産者の持続可能性を促進していることを知っています。美味しい食べ物は、私たちの日常生活を豊かにしてくれます。 では、アートはどうでしょうか?フリーマーケットでは、地元のアーティストが素晴らしい絵画や手工芸品を売っているのを目にします。なぜでしょうか?私たちは、ブランド名のついた工場で作られた複製品に同じ金額のお金を使う方がいいからです。自分たちを「教養人」と呼ぶために、私たちは美術館にお金を払って、より古い世代が確立した芸術を見ることにしています。それは残念なことで、自分たちの好みのものはあまり見ないので、「自分は芸術を理解していない」と自分に言い聞かせているのです。さらに悪いことに、気に入ったものがあっても、家に置くことができない。さらに悪いことに、気に入ったものがあっても、それを家に置く余裕はないし、気に入ったものがあっても、家に置いておく余裕もない。真実は、私たちは私たちの時代の芸術を理解しているということです。それはInstagramやPinterestだけでなく、私たちの壁に私たちの多様な味をマニフェストするためにいまいましい時間です。 あなたの地元のファーマーズマーケットであるTRiCERAで食料品を買いましょう。 TRiCERAのようなオンラインアートマーケットのプラットフォームは、あなたの地元のマーケットです。アーティストが直接アートを持ち寄り、キュレーターが品質が保証されたものをセレクトする場所です。Pheobe Buffayのオリジナル作品をお手頃な価格で手に入れることができるとしたら?お気に入りの作品を毎日壁に飾って鑑賞することができます。ファクトリーアートでは味わえない筆致と繊細なディテールに、あなたはエネルギーを得ることができます。アーティストを支えるだけでなく、年々豊かになっていくとしたら?現代のアート市場は、アメリカの株式市場よりも有望であることが証明されています。あなたは文字通り見せびらかすことができるクールな投資をしています。あなたがTRiCERAでサポートしたアートやアーティストは、数年後にはオークションや美術館で見つかるかもしれません。ほら、あなたはトレンドを形成している人なのです。これが、私たちミレニアル世代とX世代の人々が、現代の美術館を再構築する方法なのです。 アートコレクターであることが意味をなす5つの例 これはフィクションです。名前、キャラクター、場所...は完全に偶然のものです。] Tracy - 28歳 - スムージーとヨガと猫が大好き。彼女のアパートは普段は散らかっているが、出会い系アプリでの自撮りやビデオチャットのためのコーナーを用意している。彼女はちょっと前衛的で、一生懸命遊ぶのが好き。 AIKA TAKAHATA, IN THE END, 32cm × 41cm https://www.tricera.net/painting/id81003010004 Dave - 35歳 - 一人目の甥っ子に甘いところがあり、二人目を妊娠中の妹エイミーのことを気にかけている。子どもの脳の発達に役立つと信じて、子ども部屋にアートをプレゼントしている。 YAMAKAWA...

現代に残された「絵画を描く」こととは何か – 東麻奈美 インタビュー

美少女フィギュアや玩具をモチーフに、回転という動きを通し時間をキャンバスに閉じ込める東麻奈美。時間というシンプルで古典的な絵画テーマ、油彩画という絵画技法、そして現代の日本文化の一端を象徴する美少女フィギュアを組み合わせる東の作品は、絵画というメディアのレパートリーの広さ、そして現代において絵画を描くことの可能性をストレートに物語る。今回は制作の背景、これまでのキャリアについて話を聞いた。 東さんはこれまでに回転させた美少女フィギュアをモチーフにしながら時間や運動性を示唆するペインティングを制作してきましたが、テーマとしては未来派など西洋的な流れも感じさせます。まずは現在の作品について伺えますか?  もともと学生の頃から絵画に動きを閉じ込めることをしたくて、最初はブレとか揺れ、そういうものを納めようと取り組んでいました。当時はフィギュアではなくおもちゃだったり、本物のメリーゴーランドを長時間露光で撮影したものをベースに描いていました。  ただ当時描いていたのはどちらかと言うと抽象絵画。考えていたコンセプトでは自分の技量のなさもありどうしても表現しきれなくてかなり迷走していました。その中で、コマ撮りアニメのようにして回転を表現したりする実験をしていたんですが、実は私がアニメや漫画好きと言うこともあり、「フィギュアを回転させ、それをモチーフにしたらどうか」と。そしたらこれがハマったんですね。目に見える物理的な回転だけじゃなく、キュビスムや未来派の人たちがやっていたことを現代のモチーフに変えてやることで過去から未来にかけての時間の流れとしての回転が表現できる、と思いました。 抽象絵画を描いていたというのは少し意外でした。 今の作風からは意外に思われるかもしれません(笑)。これは私自身の問題というか、どちらかと言えば自分のコンプレックスに根差していて。というのも、私は絵がものすごく下手(苦笑)。とにかく「描く」ということが苦手なんです。高校の予備校から大学の初期の頃は真面目に絵画をやってみようとしてたんですけど、やっぱり描けない。油絵の描き方がさっぱりわからないんです。周りは楽しんで描いているし、まっさらなキャンバスに楽しそうに向き合っている。でも私にはそれが出来なくて、ただ色を扱うのは好きだったのである意味では逃避する先として抽象を選んでいた風ふしもあるんですよね。結局それも難しかったんですけど(笑)。 MERRY GO ROUND (ツインテール) 29.7 × 42cm, Giclee Printing on paper, edition:50 作品はこちらから 今はフィギュラティブな絵画を制作されています。真反対の方向ですよね。  今の制作方法にたどり着いたことですね、転機としては。ある種の解放に近い感覚です。今はモチーフになるフィギュアをターンテーブルに乗せて回転させ、写真を撮り、パソコン上で合成しながら絵画に落とし込んでいくんですが、つまり最初に描くものを定めることで、そもそも「何を描いたらいいか?」のような疑問を生まないようにした。設計図を用意してから描けばいいんだ、と。その点に気づけたことは私のような人間が絵画をやっていくためには大きい発見でした。 コンセプトやモチーフをしっかり定めてから描くことは自分の趣味性や感情を隔てる意味もありますか? あるかもしれない…というより、ありますますね。そもそも自己表現がすごく苦手な人間なんですよ。無軌道に作品を描けるタイプではない。きっちりしていて、真面目すぎるくらいに真面目というか。自由奔放に出来ないからこそしっかり設計して描くんですね。最近はそれもいいなと思っていて。感情や内発的で物語的な作品の良さもありますけど、私の場合は極限まで自己性を無くして、極限まで純粋に造形性を追求していくことかな、と。使用するフィギュアも自分の趣味とは極力離れたものを使う。自分の趣味とか感情が混入することを防ぎたいからで、本当に、純粋な意味でフィギュアの造形性をテーマにしたい。作品も究極的には目で見て、面白いと思ってくれたらそれでいいと思っていて。 嫌な言い方になるかも分かりませんが、端正な造形性を持った東さんの作品の場合、デジタルとアクチュアルな絵画の境が難しくなりませんか?あくまでも油彩を使用した絵画であることが東さんの作品にとっての一つの生命線な気もしていますが。  確かに「CGでいいじゃん」と思われてしまうかもですが、でも実物を見たときの筆跡や手で描いていることの痕跡も面白さの要素だとは思うんですね。その点こそ私がわざわざ油絵を続けていることの意地というか。やっぱり絵画の物質感は好きだし、その物質に対するこだわりのあるなしがイラストレーションと絵画を区分するとは考えています。 Installation view from MASATAKA contemporary こだわりの点で言えば、もう一つはコンセプトですね。東さんは時間や動きを平面に落とし込もうとしている。その考えはいつ頃から?  もしかしたら個人的な性質に根差しているかもしれなくて、私はものが劣化していく様が耐えられないんですね。ものが古くなったり、汚くなったりすることが耐えられない。ひとによっては古いものに愛着が湧いたり、革製品なんかは使い込むことで愛着を感じることもあると思うんですが、私は袋から出した新品の状態がピークだし、そのままを保ちたい。傷ついたり汚れたりなんて辛すぎるというか。だからモチーフに使うフィギュアも必ず新品を使うんですけど、最近は絵画にすることで閉じ込めているふしがある。 絵に関するバックグラウンドを聞かせてください。絵画を見始めた、あとは描き始めたのは小さい頃から? 本格的にというか、美術の歴史を意識しながら見始めたのは大学に入ってからですが、描き始めたのはもっと前ですね。実は母が漫画家をしていて、と言っても高校生の頃から私を産むまでのごく短い時期ですが。そのせいか「いずれは私も漫画家にならなきゃいけない」とずっと思っていて。強要されたわけでもないし、他に理由があったわけでもないんですけど、漠然とそう思っていたんですね。で、小さい頃からはずっとを漫画を描き続けていて、でも投稿するとか、雑誌で発表するとかいうレベルでは全然なく、趣味の域を出ないものでしたね。でも途中で自然と「自分は漫画を描きたいわけじゃないな」と気づき、むしろやりたいのは一枚の絵だろうと。 フィギュアを絵画に引用する点では、そのままの形でないにせよ、サブカルチャーの背景を感じる点ではあります。当時の絵画シーンは意識していましたか? 確かに漫画とか、あとはアニメですよね、その辺りのカルチャーを引用した絵画の流れも認識はしていましたが、でも私の場合はもっと個人的なものだったように思います。まっさらのキャンバスに描けない、だから何か設計図を用意する、だったら自分にとって身近なフィギュアをモチーフにしよう、という流れ。だから現代アートの文脈云々を意識してここに至ったというよりは、自分の中にある絵画との自然なやりとりの延長線上にあると思います。 活動を重ねてきて感じること、自身の作品について考える部分はありますか? 作品に対してもそうですが、最近はよく活動そのものについて考えますね。特に活動を続けるということについて。というのも、大学を卒業してみんな描くことをやめてしまうから。続けていてもやめていく。それは個々人の事情から止むを得ないことだと思うんですけど、でも学生時代はみんな同じアトリエで描いて、一緒に切磋琢磨していたと思うんですよ。でも今は一人で描いているし、同級生の作家も少なくなってきた。さっきもお話ししましたけど、私は自分自身が作家に向いているとは思えないんですよね。真面目で、設計図を用意しないと絵を描けないし、普通の家庭に育って特に変わったバックグラウンドがあるわけでもない。周りにはもっと絵を楽しんで描いている、もっと作家というあり方に向いている人がたくさんいる中、でも彼女たちはいろいろな事情から作家をやめて、なぜか自分だけが残っている。すごく不思議な状況だと思うんですよ。だからこそ意地になっているのかもしれない。意地の一言ですね(笑)。「とにかく続けよう」と。ずっと絵が下手だったけど大学院まで行って続けているわけで、その先に何があるかわからないけど、描き続ける先に何かがあるかもしれない。描くこともそうですけど、描き続けることは、多分もっと孤独な戦いなんでしょうね。 プロフィール1988年神奈川県横浜市生まれ。2013年女子美術大学大学院美術研究領域美術専攻修士課程修了。美少女フィギュアや玩具をモチーフに、回転という動きを通し時間をキャンバスに閉じ込める制作を行う。2013年福沢一郎賞受賞。主な展示に「メークリヒカイト4」レントゲンヴェルケ(2013)、「未来展」日動画廊(2016)、「ICON」MASATAKA CONTEMPORARY(2019)など。その他、NYや香港など多数のアートフェアに出品。

本橋孝祐によるレンチキュラー限定エディションプリントを150部限定で発売。

THE KING OF SILENCE ¥ 15,000(税抜) エディション:150サイズ:H420 × W297mm技法:アクリルレンズにレンチキュラープリント額装:オリジナルアクリルフレーム(+ ¥10,000) ※写真のフレームは参考であり、現物ではありません。©︎KOSUKE MOTOHASI/TRiCERA, inc. All Rights Resaved この度TRiCERAは本橋孝祐による限定エディションプリント《THE KING OF SILENCE》 を150部限定で発売致します。本橋は1989年兵庫県出身。2013年頃からアートワークを開始し、これまで東京やNYで活動を行ってきました。一貫して「現代において生死の問題に取り組むとはどういうことか」と問いを立てる本橋は、制作を通して作品と鑑賞者の対峙によって起こるリレーショナルな化学反応とその意味について探求して来ました。今回はレンチキュラー仕様のプリンティングを行い、三方向から異なる見え方がする工夫を施し、あたかも移ろいやすい現象世界のように常に変化する作品に仕上げました。生と死を直向きに突き詰める本橋の作品に流れる鼓動の一端を、この機会にぜひお楽しみ下さい。 【販売に関する諸注意】 (1) 作品はサイン/エディションナンバー入り証明書が付属します。 (2) エディションナンバーは選択出来ません。 (3) 作品発送は購入より約2週間から1ヶ月のお時間を頂きます。 (4)お客様の受取拒否等による再配達に必要な料金はお客様のご負担となります。...

Don't Miss

アートにおける「青」の物語

私たちの目にうつる生活は、とてつもなく鮮やかだ。 ただ、普段の生活の中、色彩に意識的であるのはアーティストやデザイナーくらいではないか。 ここで一旦、色が我々に与える影響を考えてみよう。 例えば赤はアドレナリンの分泌を促進し、黄色はリンパ機能に影響を与えるという。真偽のほどはともかく、色彩がもたらす生理的もしくは心理的機能への影響は、例えば広告などで積極的に応用されている。広告の用途にしたがって、つまりその狙いの違いによって色を使い分けるのだ。 ではアートの世界ではどうだろう? 中でも青は特別と言われ、心理学的には「鎮静」を促すとされるこの色は、例えば印象派の作品では青がよく使われていたし、中世では王族を表す色でもあった。かのイブ・クラインも青に魅せられ、自分だけの色「インターナショナル・クライン・ブルー(IKB)」をも作りだした。青は落ち着きの色であり、高貴の色であるのだ。 もちろんアートにとって色彩は無くてはならないガジェットの一つ。明るさや暗さ、豪華さや清らかさ、特定の色はそれぞれに暗喩するイメージがあり、画家が思い描く世界をアプトプットする重要な手段だ。 日南田の作品もまさにそうだろう。クレヨンとアクリル絵の具、ジェッソをベースに塗り重ねる彼女の作品は、壮大なスケールであることが多く、使用される色は青系統が多い。 作品の詳細はこちらから  ロサンゼルス、トリノ、マイアミ、モンテカルロ、パリなど世界を旅しながら作品を発表してきたアーティストユニット Delta N.Aの作品は、現代人が抱える二項対立がメインのテーマだ。明度の低い青の利用は、うっすらと幻想的な色調、そして思考を促すようなゆったりとした時間へ誘ってくれる。 作品の詳細はこちらから  高橋浩規は日本のデリケートな四季を細やかに描き出すアーティストだ。岩絵具の素材としての美しさを出来るだけ活かすように、色彩の透明感や鮮度を保つことに細心の注意を払っている。岩絵具由来の色彩から紡がれる情緒溢れる画面は、どっしりとした深みのある、けれども決して野暮ったくない仕上がりである。  深みのある青で描かれるもっとも日本的なモチーフの一つ、富士山、そして天の川を自宅の椅子に腰をかけてゆっくりじっくりと、時間をかけて眺めてみるのもいいだろう。 作品の詳細はこちらから アートはモチーフや素材、筆致やコンテクストなど無数の構成要素から成る。しかし、生活と密接な作品を選ぶ際には、色を意識してみることだ。

英国にて新しい現代アートのコンペが誕生

この4月27日、イギリスで新しい現代アートの公募賞が始まった。名前は「Sequested Prize(Sequestedは隔離されたの意味)」で、新型コロナウイルス(COVID-19)の災禍を被っている現代社会を意識したネーミングになっている。 アーティストのW. K. Lyhne、アートキュレーター兼アドバイザーのFru Tholstrupを発起人とするこの賞は、新型コロナウイルスに苛まれる現状に抗うプラットフォームの創生を意図し、既存のアーティスト及び新人アーティストのための公募として創設された。応募規定は以下のようになる。 ・現役の美大生あるいは過去20年間にアート系の学位を取得・卒業した者 ・作品は自画像に限定する ・サイズは縦横1.5m以内 ・締切は2020年6月30日 ・作品提出はオンライン 受賞者は最大で15名に絞られ、受賞作品は1週間の会期でトリスタン・ホア・ギャラリーにて展示・販売される。売上の10%は公式慈善団体への寄付に、10%は展覧会の費用に充当される予定だ。 「アート市場は苦しんでいるが、同時に、アーティストは自己反省の機会を育むことができる」とアナウンスする創設者。この取り組みが果たして業界のモチベーション維持や市場沈滞にコミットするかどうか、それは定点観測してみなければ分からない。だが現状では、少なくとも現代アートの市場や業界を支える立場にあるプレイヤーは、改善を求めて行動しなくてはならないのだ。 また「誰にでも開かれた賞」を公言しているこのコンペだが、参加資格は十八歳以上及び英国在住の者に限られる。何事も「とは言え」はつきものということか。 段落 参照元:https://www.thesequestedprize.com/

人はなぜ顔を描くのか? ポートレートをめぐって。

肖像とは、特定の人間の外観を描写したものである。写真や彫刻など様々なアウトプットの仕方のうち絵画によるものを、特にポートレートと呼ぶ。 近世においては王侯貴族の姿を描いた「肖像画」という絵画ジャンルもあったが、けれどもカメラの台頭によって写実絵画は衰退し、今では美術館で見るような存在になった。 現代アートにも、例えばアンディー・ウォーホルによるマリリン・モンローの顔を描いた作品があるように、人(実際にいるいないは別として)の顔をモジュールにするケースは少なくない。モチーフとして、あるいはテーマとして、作家によって「顔」の使い方は様々だ。 坪山斉/Tsuboyama Hitoshi  坪山の肖像画シリーズ《Combine Portrait》には、一瞥で異質感や不安感を掻き立てられる。  1960〜70年代のミニマルアート等の後期モダニズムに強いインスピレーションを得ながらも、独自の空間概念を軸に色面による新たな表現を模索している坪山はその塗りの美しさに定評がある。  人が何かを識別・認識するということへの疑いや問いかけをテーマにしており、だからこその Conbine(組み合わせる)なのかもしれない。顔面を等高線のように区切り、美しい色面で塗りあげる様は、肖像の容姿とアイデンティティについて我々に何かを投げかけるようだ。 作品の紹介はこちらから チャニー・リー/Changhee Lee  リーの描く肖像もまた既視感のない作品である。モチーフとしては若い女性を一貫して選び、中世とファンタジックな世界が混合されたような画面を描く。  リーの作品はポートレートの名を冠しながらも、自身の内面的世界の表出を図った進歩的な作品であるといえるだろう。 作品の紹介はこちらから アントニオ・サラス・カブレラ/Antonio Salas Cabrera  既存のイメージを再構成する手法によって作品制作を行うアントニオ。既存のイメージをPCに取り込み、トリミングや色彩の変更などを経て出力されるイメージよく知る既存のモデルとはまた異なった表情を見せる。  アントニオの作品のモデルは、それもまた作品であり、その作品にはモデルとなった人物がいることから二重の透過を経た上で、我々は元の人物を見ているといえるだろう。しかし、二重の解釈は無意識下で中抜きされているのにもかかわらず、我々の意識は尚も直接的にモデルの姿を捉えていることを自覚する。シミュレーショニズムに通底する手法を以て、アントニオは認識について一つの解釈を与えているのだ。 作品の紹介はこちらから エージェントX/Agent X  アメリカンコミックなど既存のイメージに依拠しつつも、マルチメディアなコラージュを施すことによって独特の存在感を放つエージェントX。彼の実験的な作品の多くは、人物の多くは人間であるものの、そのアウトプットの多彩さには驚くばかりだ。  未来派の美学と哲学、ダダ運動の社会的批評、ポップアートからスーパーフラットまでの現代芸術運動の間のユニークな交差の中で描かれる <<Queen>>シリーズは16世紀のアーティスト、アルチンボルドのコラージュ的な人物描写を思わせる。しかし、そこに現代的な発想とデジタル世代ならではの技法が掛け合わさることで作品として調和がとれつつも、我々は混沌とした倒錯感を感じるだろう。 作品の詳細はこちら A.C.D.  直線を多用する画面からキュビズムを思わせるが、抽象の手法はA.C.D.独特であり、硬質的な印象を鑑賞者に与えつつも、彩度の高い彩りのある画面からは温かみが感じられる。  特に《Le Grand Prince》は顔の造形が単純な線分により的確に表現され、近代の顔面表現が為されている。 作品の詳細はこちら  画家とモデルの間のドラマが顕れやすいことなど他の分野とはまた異なった味があることから、肖像画はある種、玄人好みする分野である。しかし、誰しもが肖像を量産する時代に在って、あえて肖像画という手段で顔を描くのは人間の顔とアイデンティティは密接であると同時に、不安定な関係であるという証左であろう。

“window”Shimizu Jio(MISA SHIN GALLERYにて)

目に見えないものを感じさせる現象をもたらす作品 東京のミサシンギャラリーにて、日本のアーティストShimizu Jioの個展「window」が開催されています。本展は、1966年生まれ、広島・埼玉を拠点に活動している清水慈夫の3度目の個展となります。 Shimizuは、アートと自然科学の関係性を探る実験的な作品を制作しています。彼の作品は、音、動き、光、振動などの要素で構成された現象を生み出しています。 本展では、数点の作品の中からShimizuの作品"window"に焦点を当てて展示します。"window"は、ビッグデータの原理を利用した作品です。2台のモニターが更新され、リアルタイムでTwitterのフィードを表示しています。7ヶ国語で書かれた「光」と「闇」という言葉を含むツイートが出てくると、2つの発光パネルが点滅します。あなたはどちらのパネルがより多くの光のちらつきを期待しますか?どちらの言語の方がモニターによく映ると思いますか?そう思う理由は何でしょうか?作品を見る前に、自分に問いかけ、自分なりの仮説を立ててみると、展示をより気持ちよく感じることができるでしょう。 実用的な部分では、ビッグデータとTweeterをベースにしながらも、人間界の間にある天国と地獄を描いたヒエロニムス・ボスの「地上の喜びの庭」の影響も受けています。歓喜の庭』のように、"window"の左側が "光 "に、右側が地獄としての "闇 "を意味し、中央が監視された愚かな人間世界に対応する空虚さを暗示していることに気づくかもしれません。 また、"window"とともに、Iida Hiroyukiとのコラボレーション作品"decay music"も発表します。"decay music"は、室内に設置されたシンチレーターを用いてガンマ線の放射線を検知し、それに応じて放射線の音を再生するミクストメディア・インスタレーション作品です。「decay music」は、室内に設置されたシンチレーターでガンマ線を検出し、展覧会期間中に美佐新ギャラリー内で放出される放射線の音色を再生する。作家はまだ福島やチェルノブイリなどの放射能の高い場所で「崩壊音楽」を演奏したことはありませんが、もちろんそのような都市ではエネルギーの高さから高い音を奏でるでしょう。その点、本作品は放射線量に応じて様々な音を生み出す可能性を持っており、近々どこかで次の場所で"decay music"が見られることが期待されています。 それらの時間軸の作品では、現象が起こる。目に見えないものを目に見えるものに変換するのではない。作品がもたらす現象から、私たちは目に見えないものを感じることができるのです。清水慈夫の "windows "展は6月28日よりスタートし、2019年8月10日までミサシンギャラリーにて開催されています。 記事を書いた人:Jeongeun Jo韓国出身、日本在住。東京藝術大学大学院美術研究科を卒業したTRiCERAのメンバーの一人。アーティストとしても活動しています。

Feature Post

コラージュをめぐる錬金術

 アートの世界では「錬金術」ともいわれる手法、コラージュ。  その方法論的な歴史は深く(本や新聞の切り抜き、身の周りの雑多な物体などを組み合わせる方法)、紀元前200年ごろの中国まで遡ることができるという。  ファインアートの一ジャンルとして確立することとなったのは、20世紀にシュールレアリストを中心に劇的なムーブメントを起こし、同時期に”コラージュ"という言葉がジョルジュ・ブラックとパブロ・ピカソによって作られたことによるだろう。  その後、現在まで途切れることなくアッサンブラージュ、フォト・モンタージュとコラージュ的手法は様々に展開されてきたわけだが、近年ではテクノロジーの発達により新たな分野も産まれた。それがデジタルコラージュだ。本記事では、デジタルコラージュを制作する作家を紹介していく。 上田タカヨシ/Takayoshi Ueda 作家の詳細はこちらから WELCOME BOY 2ND 作家の詳細はこちらから IL VENTO Nakajima 作家の詳細はこちらから 平田尚也/Naoya Hirata 作家の詳細はこちらから soryo 作家の詳細はこちらから

花の言葉、花の絵画-ものの意味を描く絵画について-

 植物に象徴的な意味を担わせる伝統は世界の多くの文化が持っている。  なにかめでたいことがあれば花束を渡して祝福をし、人が亡くなれば花を供えて見送る。そうやって人は花をただの植物以上のものとして共に歩んできた。  人が花に意味を見出した例として、花言葉は恰好の例であろう。その起源については不明な点が多いが、現在行われているような花言葉の慣行は、19世紀の西欧社会で盛んになったという。こうした流行を背景に、1819年頃には最初期の花言葉辞典、シャルロット・ド・ラトゥール著《花言葉》が出版。  ラトゥールは《花言葉》の中で、色の違いのほか本数ごとに花言葉を考案・紹介するなど、とりわけバラは特別に扱われた。それは「花の中の花」と称されるほど西欧文化において重視されてきた花の一つで、伝承や神話に由来する意味づけが既になされていたことがある。  本記事では、古今東西で多くの人々の心を惹きつける「花の中の花」、薔薇のペインティング作品を花言葉と合わせて紹介したい。 浜浦敦子/Atsuko Hamaura 黄色い薔薇の花言葉:「友情」「平和」「愛の告白」 作家の詳細はこちら 山田久美子/Kumiko Yamada 3本の薔薇の花言葉: 「愛しています」「告白」 作家の詳細はこちらから Jessica Veilleux ピンク色の薔薇の花言葉:「しとやか」「上品」「可愛い人」「美しい少女」「愛の誓い」 作家の詳細はこちらから 中村公紀/Koki Nakamura 白色の薔薇の花言葉:「純潔」「清純」「私はあなたにふさわしい」「深い尊敬」 作家の詳細はこちらから Tatiana Alive 1本の薔薇の花言葉: 「一目ぼれ」「あなたしかいない」 作家の詳細はこちらから 広田稔/Minoru Hirota 青い薔薇の花言葉:「夢かなう」「奇跡」「神の祝福」 作家の詳細はこちらから

Delta N.A – 芸術の自由の中の二つの魂

1つのキャンバスに2つの異なる魂をマージ - また、Delta N.Aとして知られているデュオアーティストネバエポックとアレッサンドロ-ヴィニョーラは、同じキャンバスに一緒に彼らの感情的な融合を表現する能力を開発しました。 心理学者としてのキャリアをスタートさせた時に、アートは自分たちに喜びを与えてくれるものだと気付いたという。それ以来、肖像画や具象作品を制作し、2008年には初の個展を開催し、世界に向けて作品を発表する勇気を与えてくれました。国際的な現代アートシーンに自分たちの作品を持ち込み、ヨーロッパ、アメリカ、アジアのギャラリーや美術館でグループ展や個展を多数開催。以来、彼らの作品は多くのプライベート・パブリック・コレクションに収蔵されています。 Delta N.Aの表現は、人間や自然の象徴的な構造物に幾何学的なサインが重なったユニークなものです。彼らのアーティスティックなインスピレーションは、現代人の内なる二項対立から解き明かされます。 See More Of Delta N.A's Artworks

クリップしておくべき展覧会:Rina Mizuno.

Photography by MIYAJIMA Kei About Mizuma Art Gallery 1994年にSueo Mizumaによって東京に設立され、流行にとらわれない独自の視点で、日本とその周辺地域のアーティストをグローバルな舞台で紹介してきました。 よりグローバルな視点でアーティストを紹介するため、2012年にシンガポールにスペースを開設し、インドネシアやニューヨークにもスペースを持ち、アートバーゼルや国際見本市への出展も意欲的に行っている。 MIZUNO Rina, A Tile Flower, 2019, Oil on canvas, 53 × 53...

Editor's Choice