木曜日, 5月 26, 2022
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星空を旅する時代のアートとは?

 星座の歴史は約5,000年前にさかのぼります。

メソポタミアの羊飼いたちが星空を見上げて星を繋いでいたという事実は、私たち人間が古代から漠然と宇宙に惹かれていたことの証拠です。

アポロ11号が月面着陸してから50年以上が経過した今、星空や星座を題材にした作品が数多く生まれています。科学の力で宇宙の秘密が少しずつ明らかになっていく中で、宇宙を題材にした作品も変わってきたのでしょうか。

内藤 博信

  日本人は昔から月に魅了されてきました。それは、現代まで続く月見の行事や、和歌に月が詠まれていることからも明らかです。内藤は、鉱物顔料を用いて月を叙情的に描いています。

Guide
76 x 57.7 cm

見上げて空に輝く月を見ると、自分の人生を振り返り、心の中に「静寂」を感じるという。目の粗い絵の具で描かれた青い月は、見る人の心に静けさを残してくれることでしょう。

Blue moon
116.7 x 91 cm

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椛田ちひろ

 インクジェット紙に黒のボールペンで不規則な形を描くことで知られる椛田。繊細で力強いボールペンの動きで、様々なものを描いています。

Unknown planet, aurora borealis
90 x 90 cm

宇宙に散らばる惑星は、観測されたものから人間の想像力を加工して生み出されてきた。しかし、蒲田の「惑星」は、その存在があり得ないと思われる抽象的な形をしている。しかし、概念的な表現の中に「未知」の魔法がある。

The unknown planet, Atlanta
90 x 90 cm

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前川奈緒美

前川は、星の性質を自らの創造物と同一視する精神的な観念で描いています。

I feel that the future of the universe, which we have not yet seen, resembles the human heart.
100 x 40 cm

星が終焉を迎えた時、自分の中心へと向かい、物質を破壊し、爆発し、元素を撒き散らし、存在から消えていくと言われています。私は自分を知るために、自分の中心、自分の心を描いてきました。すべてはつながっている。前川の作品はエネルギーに満ち溢れているように見える。

オイルバー(油絵具や蜜蝋で固めたもの)を使い、時には筆の代わりに自分の指でキャンバスと体を一体化させている。

I am in this square. The infinity of the universe. The story has begun.
53 x 53 cm

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言うまでもなく、宇宙は広大で、常に拡大し続けています。したがって、仮に人類の化学が究極の進化を遂げたとしても、その全てを知ることはできない。しかし、だからこそ、これからも人類の最大の廃棄物であり続けるであろう宇宙について考えずにはいられない。

Shinzo Okuokahttps://www.tricera.net/
1992年東京都出身。大学でインド哲学を学んだ後出版社に勤務し、アート雑誌と神社専門誌の副編集長として雑誌及び書籍の企画・編集に携わる。2019年にスタートアップ企業である株式会社TRiCERAに参加、日本初の現代アート専門の越境ECの開発及びアーティストのマネジメント、自社オウンドメディアの立ち上げを担当する。特技は速筆で、雑誌時代には1ヶ月で約150ページを1人で取材・執筆した。

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現代に残された「絵画を描く」こととは何か – 東麻奈美 インタビュー

美少女フィギュアや玩具をモチーフに、回転という動きを通し時間をキャンバスに閉じ込める東麻奈美。時間というシンプルで古典的な絵画テーマ、油彩画という絵画技法、そして現代の日本文化の一端を象徴する美少女フィギュアを組み合わせる東の作品は、絵画というメディアのレパートリーの広さ、そして現代において絵画を描くことの可能性をストレートに物語る。今回は制作の背景、これまでのキャリアについて話を聞いた。 東さんはこれまでに回転させた美少女フィギュアをモチーフにしながら時間や運動性を示唆するペインティングを制作してきましたが、テーマとしては未来派など西洋的な流れも感じさせます。まずは現在の作品について伺えますか?  もともと学生の頃から絵画に動きを閉じ込めることをしたくて、最初はブレとか揺れ、そういうものを納めようと取り組んでいました。当時はフィギュアではなくおもちゃだったり、本物のメリーゴーランドを長時間露光で撮影したものをベースに描いていました。  ただ当時描いていたのはどちらかと言うと抽象絵画。考えていたコンセプトでは自分の技量のなさもありどうしても表現しきれなくてかなり迷走していました。その中で、コマ撮りアニメのようにして回転を表現したりする実験をしていたんですが、実は私がアニメや漫画好きと言うこともあり、「フィギュアを回転させ、それをモチーフにしたらどうか」と。そしたらこれがハマったんですね。目に見える物理的な回転だけじゃなく、キュビスムや未来派の人たちがやっていたことを現代のモチーフに変えてやることで過去から未来にかけての時間の流れとしての回転が表現できる、と思いました。 抽象絵画を描いていたというのは少し意外でした。 今の作風からは意外に思われるかもしれません(笑)。これは私自身の問題というか、どちらかと言えば自分のコンプレックスに根差していて。というのも、私は絵がものすごく下手(苦笑)。とにかく「描く」ということが苦手なんです。高校の予備校から大学の初期の頃は真面目に絵画をやってみようとしてたんですけど、やっぱり描けない。油絵の描き方がさっぱりわからないんです。周りは楽しんで描いているし、まっさらなキャンバスに楽しそうに向き合っている。でも私にはそれが出来なくて、ただ色を扱うのは好きだったのである意味では逃避する先として抽象を選んでいた風ふしもあるんですよね。結局それも難しかったんですけど(笑)。 MERRY GO ROUND (ツインテール) 29.7 × 42cm, Giclee Printing on paper, edition:50 作品はこちらから 今はフィギュラティブな絵画を制作されています。真反対の方向ですよね。  今の制作方法にたどり着いたことですね、転機としては。ある種の解放に近い感覚です。今はモチーフになるフィギュアをターンテーブルに乗せて回転させ、写真を撮り、パソコン上で合成しながら絵画に落とし込んでいくんですが、つまり最初に描くものを定めることで、そもそも「何を描いたらいいか?」のような疑問を生まないようにした。設計図を用意してから描けばいいんだ、と。その点に気づけたことは私のような人間が絵画をやっていくためには大きい発見でした。 コンセプトやモチーフをしっかり定めてから描くことは自分の趣味性や感情を隔てる意味もありますか? あるかもしれない…というより、ありますますね。そもそも自己表現がすごく苦手な人間なんですよ。無軌道に作品を描けるタイプではない。きっちりしていて、真面目すぎるくらいに真面目というか。自由奔放に出来ないからこそしっかり設計して描くんですね。最近はそれもいいなと思っていて。感情や内発的で物語的な作品の良さもありますけど、私の場合は極限まで自己性を無くして、極限まで純粋に造形性を追求していくことかな、と。使用するフィギュアも自分の趣味とは極力離れたものを使う。自分の趣味とか感情が混入することを防ぎたいからで、本当に、純粋な意味でフィギュアの造形性をテーマにしたい。作品も究極的には目で見て、面白いと思ってくれたらそれでいいと思っていて。 嫌な言い方になるかも分かりませんが、端正な造形性を持った東さんの作品の場合、デジタルとアクチュアルな絵画の境が難しくなりませんか?あくまでも油彩を使用した絵画であることが東さんの作品にとっての一つの生命線な気もしていますが。  確かに「CGでいいじゃん」と思われてしまうかもですが、でも実物を見たときの筆跡や手で描いていることの痕跡も面白さの要素だとは思うんですね。その点こそ私がわざわざ油絵を続けていることの意地というか。やっぱり絵画の物質感は好きだし、その物質に対するこだわりのあるなしがイラストレーションと絵画を区分するとは考えています。 Installation view from MASATAKA contemporary こだわりの点で言えば、もう一つはコンセプトですね。東さんは時間や動きを平面に落とし込もうとしている。その考えはいつ頃から?  もしかしたら個人的な性質に根差しているかもしれなくて、私はものが劣化していく様が耐えられないんですね。ものが古くなったり、汚くなったりすることが耐えられない。ひとによっては古いものに愛着が湧いたり、革製品なんかは使い込むことで愛着を感じることもあると思うんですが、私は袋から出した新品の状態がピークだし、そのままを保ちたい。傷ついたり汚れたりなんて辛すぎるというか。だからモチーフに使うフィギュアも必ず新品を使うんですけど、最近は絵画にすることで閉じ込めているふしがある。 絵に関するバックグラウンドを聞かせてください。絵画を見始めた、あとは描き始めたのは小さい頃から? 本格的にというか、美術の歴史を意識しながら見始めたのは大学に入ってからですが、描き始めたのはもっと前ですね。実は母が漫画家をしていて、と言っても高校生の頃から私を産むまでのごく短い時期ですが。そのせいか「いずれは私も漫画家にならなきゃいけない」とずっと思っていて。強要されたわけでもないし、他に理由があったわけでもないんですけど、漠然とそう思っていたんですね。で、小さい頃からはずっとを漫画を描き続けていて、でも投稿するとか、雑誌で発表するとかいうレベルでは全然なく、趣味の域を出ないものでしたね。でも途中で自然と「自分は漫画を描きたいわけじゃないな」と気づき、むしろやりたいのは一枚の絵だろうと。 フィギュアを絵画に引用する点では、そのままの形でないにせよ、サブカルチャーの背景を感じる点ではあります。当時の絵画シーンは意識していましたか? 確かに漫画とか、あとはアニメですよね、その辺りのカルチャーを引用した絵画の流れも認識はしていましたが、でも私の場合はもっと個人的なものだったように思います。まっさらのキャンバスに描けない、だから何か設計図を用意する、だったら自分にとって身近なフィギュアをモチーフにしよう、という流れ。だから現代アートの文脈云々を意識してここに至ったというよりは、自分の中にある絵画との自然なやりとりの延長線上にあると思います。 活動を重ねてきて感じること、自身の作品について考える部分はありますか? 作品に対してもそうですが、最近はよく活動そのものについて考えますね。特に活動を続けるということについて。というのも、大学を卒業してみんな描くことをやめてしまうから。続けていてもやめていく。それは個々人の事情から止むを得ないことだと思うんですけど、でも学生時代はみんな同じアトリエで描いて、一緒に切磋琢磨していたと思うんですよ。でも今は一人で描いているし、同級生の作家も少なくなってきた。さっきもお話ししましたけど、私は自分自身が作家に向いているとは思えないんですよね。真面目で、設計図を用意しないと絵を描けないし、普通の家庭に育って特に変わったバックグラウンドがあるわけでもない。周りにはもっと絵を楽しんで描いている、もっと作家というあり方に向いている人がたくさんいる中、でも彼女たちはいろいろな事情から作家をやめて、なぜか自分だけが残っている。すごく不思議な状況だと思うんですよ。だからこそ意地になっているのかもしれない。意地の一言ですね(笑)。「とにかく続けよう」と。ずっと絵が下手だったけど大学院まで行って続けているわけで、その先に何があるかわからないけど、描き続ける先に何かがあるかもしれない。描くこともそうですけど、描き続けることは、多分もっと孤独な戦いなんでしょうね。 プロフィール1988年神奈川県横浜市生まれ。2013年女子美術大学大学院美術研究領域美術専攻修士課程修了。美少女フィギュアや玩具をモチーフに、回転という動きを通し時間をキャンバスに閉じ込める制作を行う。2013年福沢一郎賞受賞。主な展示に「メークリヒカイト4」レントゲンヴェルケ(2013)、「未来展」日動画廊(2016)、「ICON」MASATAKA CONTEMPORARY(2019)など。その他、NYや香港など多数のアートフェアに出品。

人はなぜ顔を描くのか? ポートレートをめぐって。

肖像とは、特定の人間の外観を描写したものである。写真や彫刻など様々なアウトプットの仕方のうち絵画によるものを、特にポートレートと呼ぶ。 近世においては王侯貴族の姿を描いた「肖像画」という絵画ジャンルもあったが、けれどもカメラの台頭によって写実絵画は衰退し、今では美術館で見るような存在になった。 現代アートにも、例えばアンディー・ウォーホルによるマリリン・モンローの顔を描いた作品があるように、人(実際にいるいないは別として)の顔をモジュールにするケースは少なくない。モチーフとして、あるいはテーマとして、作家によって「顔」の使い方は様々だ。 坪山斉/Tsuboyama Hitoshi  坪山の肖像画シリーズ《Combine Portrait》には、一瞥で異質感や不安感を掻き立てられる。  1960〜70年代のミニマルアート等の後期モダニズムに強いインスピレーションを得ながらも、独自の空間概念を軸に色面による新たな表現を模索している坪山はその塗りの美しさに定評がある。  人が何かを識別・認識するということへの疑いや問いかけをテーマにしており、だからこその Conbine(組み合わせる)なのかもしれない。顔面を等高線のように区切り、美しい色面で塗りあげる様は、肖像の容姿とアイデンティティについて我々に何かを投げかけるようだ。 作品の紹介はこちらから チャニー・リー/Changhee Lee  リーの描く肖像もまた既視感のない作品である。モチーフとしては若い女性を一貫して選び、中世とファンタジックな世界が混合されたような画面を描く。  リーの作品はポートレートの名を冠しながらも、自身の内面的世界の表出を図った進歩的な作品であるといえるだろう。 作品の紹介はこちらから アントニオ・サラス・カブレラ/Antonio Salas Cabrera  既存のイメージを再構成する手法によって作品制作を行うアントニオ。既存のイメージをPCに取り込み、トリミングや色彩の変更などを経て出力されるイメージよく知る既存のモデルとはまた異なった表情を見せる。  アントニオの作品のモデルは、それもまた作品であり、その作品にはモデルとなった人物がいることから二重の透過を経た上で、我々は元の人物を見ているといえるだろう。しかし、二重の解釈は無意識下で中抜きされているのにもかかわらず、我々の意識は尚も直接的にモデルの姿を捉えていることを自覚する。シミュレーショニズムに通底する手法を以て、アントニオは認識について一つの解釈を与えているのだ。 作品の紹介はこちらから エージェントX/Agent X  アメリカンコミックなど既存のイメージに依拠しつつも、マルチメディアなコラージュを施すことによって独特の存在感を放つエージェントX。彼の実験的な作品の多くは、人物の多くは人間であるものの、そのアウトプットの多彩さには驚くばかりだ。  未来派の美学と哲学、ダダ運動の社会的批評、ポップアートからスーパーフラットまでの現代芸術運動の間のユニークな交差の中で描かれる <<Queen>>シリーズは16世紀のアーティスト、アルチンボルドのコラージュ的な人物描写を思わせる。しかし、そこに現代的な発想とデジタル世代ならではの技法が掛け合わさることで作品として調和がとれつつも、我々は混沌とした倒錯感を感じるだろう。 作品の詳細はこちら A.C.D.  直線を多用する画面からキュビズムを思わせるが、抽象の手法はA.C.D.独特であり、硬質的な印象を鑑賞者に与えつつも、彩度の高い彩りのある画面からは温かみが感じられる。  特に《Le Grand Prince》は顔の造形が単純な線分により的確に表現され、近代の顔面表現が為されている。 作品の詳細はこちら  画家とモデルの間のドラマが顕れやすいことなど他の分野とはまた異なった味があることから、肖像画はある種、玄人好みする分野である。しかし、誰しもが肖像を量産する時代に在って、あえて肖像画という手段で顔を描くのは人間の顔とアイデンティティは密接であると同時に、不安定な関係であるという証左であろう。

アートと食の甘いマリアージュ − 渡辺おさむの作品をめぐって

食への愛とは世界に不変の物であろう。 どうやらアメリカでは7月は料理月間であるらしい。様式は違えども料理は芸術であるし、両者とも私たちの生活を豊かにするという点は世界共通の認識だ。 海外では寿司やラーメンしか知られていないが、日本は食の伝統や文化が比類無いほど豊かな国である。また、レストランで見る「食品サンプル」のディスプレイは、よだれが垂れる程のリアルさとその珍発想で人気を博す。今回は、アートに食べ物(スイーツ)を取り入れた個性的な日本人作家の作品をお届けする。人前で愛を表現することが敬遠されている日本だが、食への愛については過剰な程に公にされていると見える。海外在住の筆者は、日本の友人らがインスタグラムで食べ物の写真をお披露目しているのを頻繁に見かける。自宅であろうがレストランであろうが関係ない。私としては彼らの胃袋事情には興味がなく、近況を知りたいだけなのだ。残念ながら、今さらフォロー解除はできないし、どうしたものか。 海外で大人気のデート相手を探すTinder系のアプリでも、日本では顔写真の代わりに食べ物の写真が溢れていて、もはやUberEatsのメニューよりも充実している。今日のデートはオムライスさん、明日は焼肉さん、と選ぶのが楽しみなのだろうか。そんな私の戸惑いはさておき、スイーツデコレーションアートのパイオニア、渡辺おさむの紹介に戻るとしよう。 作品の詳細はこちらから 渡辺は自身の作品を「フェイク・クリーム・アート」と呼ぶのだが、確かに例のお菓子づくりで使う、袋から絞られたクリームで出来ているのだから納得だ。ただ、ケーキの上にクリーム製の聖母マリア像を優雅に建立するなんて、誰が想像したろうか。お釈迦様なんて、甘い誘惑を纏いつつも、世俗的な考えに邪魔されることなく涼しげに禅に浸っている。クリームは実際は樹脂で出来ているが、レストランの食品サンプルのように、彼の再現力(美味しそうな偽のキャンディー、果物、カップケーキ)には、抗いがたい魅力がある。筆者もこの記事を書くだけで口がヨダレで溢れそうだ。 作品の詳細はこちらから 芸術とパティシエの才能を用いたスイーツアートを通して人々に幸せをもたらすことを使命とする彼曰く、「インスピレーションの源は、パティシエであり製菓学校の教師である母」であるという。印象派の大家であり、仕立て屋の息子でもあったピエール・オーギュスト・ルノワールが服を描くことに長けていた事実を鑑みても、親からの影響には合点がいく。そのルノワールの著名な肖像画「レースの帽子をかぶった少女」を、渡辺が味わい深いオマージュ作品としたのも偶然ではないと思えてくる。味覚では理解できないとしても、視覚で楽しませる料理の達人による逸品であることは疑いの余地がない。 作品の詳細はこちらから アジアと西洋文化が融合する土地、日本。歴史的にも日本人は、火縄銃やカメラ、自動車など高品質に改善された製品を産出している。文化や芸術も例外なく融合し変質し輸出してきている。渡辺おさむのユニークなキッチンで、西洋のアートと製菓術が日本の独創性とカワイイムーブメントとの幸せな出会いを果たしたのだ。 作品の詳細はこちらから もっと芸術と食の至福のマリージュ、渡辺おさむの作品を見たい読者の方々についてはTRiCERA.NETでメニューをお手に取られてみてはいかがだろうか。また、この記事が舌に合う様であれば是非、ニュースレターへの登録をお薦めする。 渡辺おさむの詳細はこちら

Quick Insight vol.1 – yuta okuda-

日本や台湾などアジアのアートシーンを舞台に活動しているyuta okudaは、生き物や花を通し、自然の摂理にある美しさの描き出し、その姿を肯定しようと試みる。『TAKEO KIKUCHI』のファッションデザイナーからアーティストへ転身した彼の活動とその背景について話を聞いた。 まずは作品について簡単にご説明願えますか?作品は無意識の自己投影と自己解釈がベースになっています。無意識のレベルで生き物たちを思い浮かべ、それを意識レベルで般若やマリリンや狛犬などにしていきます。 無意識で描きたい題材は、常に花や生きもので、そこから美と醜、愛と嫉妬、生と死など相反する二つのテーマを1枚の中に表現しています。モチーフは常に生き物なんですが、食物連鎖をコンセプトに、自然の摂理の美しさを描いています。 wisdom 743×607, 2019, pigment ink /Kent Paper 作品はこちらから もともとはファッションデザイナーだったそうですが、アーティストになったきっかけは?きっとアーティストになりたい気持ちが強かったからだと思います。デザイナーとアーティストとでは、全く性質が違いますから。商業デザイナーに個性は求められない。決まったデザインを、決まった通りに、決まったスケジュールでこなしていくことが必要なんです。でも、それがストレスだった。だからスタートは「ただ自分の描きたい絵を描きたい」という、本当にそれだけだったと思います。 そうして、すぐに絵を描き始めたのですか?いいえ、最初は自宅でひたすら描いているだけでした。今見返すと、その頃の絵は、すごく密度が高く見える。負の感情を吐き出している感じでしたね。人に見せることなんか考えても見ませんでしたね。全く、これっぽちも。言わば毒素ですから、自分の(笑)。 Purple Rose (Pink x Purple) 33.3×24.2cm, アクリル・顔料インク・キャンバス 作品はこちら プロとしてスタートしたきっかけは何でしたか?認めてくれた人たちがいたんです、私の絵を。自分のネガティブが丸出しになった絵を「いいね」と言ってくれる人たちがいた。驚きだったし、有り体に言えば、気持ちが良かった。商業デザイナーではそんなこと絶対に有り得ない。ファッションでは取り繕いをしていたけど、絵画は裸です。その部分を見せて、評価してもらえたことが嬉しかった。そんな時期に友人のアーティストを見たりして、その姿に嫉妬し、「自分も」と考えました。でもやるならプロとして、趣味ではなく、生半可な気持ちは捨てようと思っていました。やるなら、徹底的にやろうと。 作品は自己投影的と仰っていましたね。当初から同じスタンスですか?最初の頃は「ひたすら描く」に尽きますね。平均したら1日15時間くらいかな。3日間描いて半日寝るとか、とにかく吐き出そうと思って。溜まっていたもの、湧いてくるものを全部吐き出したら、ようやくコンセプトが見えてきた。それが「自己投影」。 ファッションとは正反対です。そっちではコンセプトメークが先にあって、そこから組み立てていましたけど、私がアートでやっているのは自分自身を発見していくこと、つまり一番正直な自分を出すこと。どれだけ裸になれるか、どうやってその部分を引き出すかが重要になってくる。自分の経験がどういった形でアウトプットされるか、それを見てみたいんです。 Abstract Bouquet (Navy x Purple) 33.3×24.2cm, アクリル・顔料インク・キャンバス 作品はこちら ご自身の経験をベースにしているとインプットが大変じゃありませんか?最初の3年で尽きましたね(笑)。30年の人生が、3年で底を突いた。でも、それは上澄の30年だと思っています。もっと掘り下げられると思うんです。自分の本質が何か、自分のベースが何か、この3年で自分の30年を振り返ることが出来た。3年かけて、ようやく自分が分かってきた気がするんです。だから、これから色んなものを取り入れ、新しくつくっていく。 最近では墨を使用した作品も増えました。その変化は意図的なものですか?私の作品は、やはり、私自身と連動しているから変わりはするんです。物質的にも精神的にも、昔と全く同じような絵を描けと言われても、それはすごく難しい。変わりはするけど、でも言えることは、今自分がやっていることに嘘がないということ。本当に疑問が湧かないんですね。さっきも話に出ましたけど、私の絵はいかに裸になれるか、自分に正直になれるかが重要。だから、それを基準に考えるのであれば、今やっていることに間違いがないことは断言できると思います。一方で素材については常にアップデートを心がけていますね。水彩も試したし、銅版も油彩も、日本画も、あとは粘土など色々と試した。その結果、自分の性質に合うのが墨だなと。 Abstract Single Flower (Sax x...

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デジタルはリアルの対義語か?平田尚也が目指す新しい彫刻の「場所」をめぐって。

ネット上から収集した素材を、仮想空間上にアッサンブラージュして制作される平田尚也の作品は、彼曰く「彫刻」として成立している。「あくまでもトラディショナルな彫刻をやっている」という彼の、厚さも重さもない、空間上に固定されることが存在要件でもあった彫刻をアップデートするその方法論や作品について話してもらった。 平田さんは仮想空間における彫刻作品を制作していますね。厚みや重さの無い、従来の空間的な尺度が無い彫刻作品です。ご自身の活動は、あくまで「彫刻家」という認識なんですよね。 -意識的なことで言えば、自分のことは彫刻家であり美術家と呼んでいます。主眼を置いているのは”形”を追求し彫刻史の現代的な見解を考察することです。実際にやっていることは、少なくとも私の中では、これまで彫刻をやって来た人たちと変わらないと思っています。形はつくっているけれど、でもそのアプローチが仮想空間の世界であるという点しか違いがない。 預言者 33 × 27.5cm 彫刻というと物質や空間の制限を受けるジャンルと連想しますが、そのフィルターは邪魔にならなかったのですか? -現在のスタイルのように映像でアウトプットする理由は、正直、最初は定まっていなかった。定まっていない時は、大方いつも情報量の不足から来る。色々と本を読んだり、あとは教わった先生が「彫刻とは時間と空間を伴うもの」と仰っていて。その時間化と空間化を彫刻の要素とするならば、私のやっていることは彫刻の条件を満たしているなと。現在の作品のアウトプットは映像や平面としてやっているのですが、その映像という出力の仕方が、自身の彫刻表現を考える時には合っていると思いますね。 ですが、その仮想空間における彫刻というアイディアはどこから出たんでしょうか。 -デジタルでやり始めたのは、だいたい学部4年ごろから。当時のちょっとグレた先輩が3DCGソフトで遊んでいるのを見かけ、すぐさま「これだ」と思いました。当時の自分が抱えていたものを解決できると思ったし、何よりこれは彫刻がつくれると直感しました。 でも、実はそれに先行して実写映像でやっていた時期があるんですよ。通っていた学校では3年生になると自由な制作期間が与えられるんですが、その時に困ったのが素材の問題で。つまり素材を入手する資金がなかった。彫刻はお金がかかるし、その問題に直面した時、自分が扱いたい素材はほとんど除外されてしまったんです。 DINER 33 × 36.6cm その打開策が、映像だった? -そう、まさに。少しうろ覚えですが、当時影響を受けたマシュー・バーニーが自分の映像作品を彫刻と呼んでいて「なるほど」と。つまり彫刻性さえ保てればアウトプットに制限することはなかったんです。それで試してはみたんですが、しかしクオリティが低かった。失望しましたね、自分に。同時にこれではダメだと思った。もともと海外のアーティストに憧れていたし、自分もそのレベルの作品をつくっていきたかったので。そうこうしている中で出会ったのが件の3DCGソフトだったので、まさに「これだ」でしたね。 平田さんの作品はオンライン上から素材集め、つまりデジタルな既製品をコラージュ的に構成使用して制作されますね。その点は、ご自身の何の意図と結びついていますか。 -意図というより、最初は方法の問題だったんですよ。自分としては従来の彫刻家とやっていることは変わらないつもりでいますが、でもデジタルで彫刻を制作すると、あくまで見え方や見せ方の話ですが、既存の映画やゲームとの線引きが難しくなってくる。つまり、どうやって現代アートの文脈上で作品を成立させていくかが課題でした。 Ouija #2 (The Grantham Tomb) 118.9 × W 84.1cm しかも彫刻作品として。 -そう、その方法が既製品を寄せ集める、つまりアッサンブラージュだった。実際の場合、使用した素材は物質として元の場所からなくなってしまうけれど、でもデジタルの場合は基本コピーだから無くならない。使用した素材が、この世界のどこかでは残っている。それが面白い。私の作品は、つまり世界のどこかで、いつ誰が作成したのか分からないものの寄せ集めなんですよ。ある意味で、それは現代の情報の結晶のように思えるんです。そこに気がついてからはコンテキストの構築は難しくなくなりましたね。 平田さんがデジタルにリアリティを感じられるのは世代的に、ネットの成長が並走的だったこともあるでしょうか。 -確かに私にとっては石とか木材の方が距離があるかもしれない。自分自身を含めて私の世代は、ネットと同時に育ってきた。ある時代の人たちにとっては自然や都市がそうであったように。生まれた頃からテレビゲームがあるし、インターネットがあって、オンラインの世界が構築されている世代だった。だからバーチャルには親しみが持てるし、それは並列的な存在として扱える。鉄や石と同じ列で見ることが出来る素材なんです。 Ouija #5 (Penelope) 118.9 × 84.1cm その素材が存在する場所が、つまり鉄などとは違うだけで。 -まさにその通り。私が扱う素材は、木材などとは違う場所、違う次元に存在している。情報として世界中のネットという場所に所在している。その点だけなんです。作品へのアプローチやそれ自体の成り立ちは、あくまで伝統に沿っているつもりですが、でも仮想空間やその他デジタルな用語や方法はけっこう時事的だし、そこだけ切り取られてしまう傾向にはありますけど。 実際の空間と仮想空間では、存在する情報が違いますよね。重さや手触りなどがそうですが、その点から見た場合の平田さんの彫刻作品のアップデートはどこにありますか。 -アップデートかどうかはともかく、私の作品には厚みが全くない。私の彫刻は内側が虚無なんですよ。これは今までにはあり得なかったこと。厚みを伴わない彫刻なんて無かった。その分というか、彫刻にとって重要なポイントである表面性にフォーカスする必要もありますが、存在の仕方として新しい局面に立つことは出来ると思うし、そうしたいと思いますね。私の作品の本体は仮想空間にあって、展示されているアウトプットされた平面や映像はそのアバターであり、プラトン的に言えばイデアの投影。複数要素を抑えた上で、形をつくる人として何が追求できるかが、つまり今後の課題になるでしょうね。 アーティストページはこちらから:https://www.tricera.net/artist/8100587

森に舞う儚げな芸術

 花火、ガラス、桜、、、世の中は儚いコトやモノに溢れている。それに美を見出すのは根源的な人間の性なのだろう。  そんな儚げな存在のうち、蝶はその筆頭ではなかろうか。  今にもどこかにいってしまいそうな不規則な羽ばたき、触れれば壊れてしまいそうな華奢なフォルム。そしてなんといっても数々の人間を幻惑させたその羽の模様など、蝶はまさに儚げな芸術のよう。  その美しさゆえに、日本でいえば花札の図柄に「牡丹に蝶」があったりと、画題や意匠としてもチョウは使用選ばれてきたわけだが、さて現代のアーティストはいかに蝶を描きだすのか。本記事では、キャンバスに舞う蝶を紹介したい。 Aira 作家の詳細はこちらから 山田久美子/Kumiko Yamada 作家の詳細はこちらから Anna Koshal 作家の詳細はこちらから

Michael Toenges, “Paintings on Paper 1995-2019”

8月24日から10月12日までタグチファインアート主催。 タグチファインアートでは、この夏から秋にかけて、ドイツ人画家ミヒャエル・テンゲスの個展を開催いたします。テンゲスはレヴァークーゼンを拠点に活動する1952年ドイツ生まれの画家です。作品の一部はケルンのコロンバ美術館やスイスのアーラウ美術館に収蔵されています。ヨーロッパを中心に活動している彼の作品をアジアで見ることができるのは、今回の個展「紙に描かれた絵画 1995-2019」がきっかけです。本展の特徴は、展示されている作品がすべてダンボールに描かれた小品であること。ギャラリーによれば、これらの小さな作品は、他の大きなスケールの作品やキャンバスに描かれた絵画に比べて、あまり注目されていないとのことです。段ボールに描かれた小品は、これまで準備的で断片的な作品とされてきましたが、その小品は、彼の色との実験と葛藤の証拠ともいえるものであり、注目に値するものです。今回の展示では、1995年に制作された旧作から今回の展覧会のために準備された最新作までを紹介します。 テンゲスは、木の板やキャンバスに油絵の具を重ねることで、色の多様性を追求しています。テンゲスは、イメージや形にとらわれることなく、色の配置、コントラスト、構築に主眼を置いていると言います。絵画の基本的な要素とされる色彩や絵の具の物質性の探求に力を注いでいます。 テンゲスは通常、事前にスケッチを用意することはなく、参考となるイメージや計画を持たずに絵を描いています。テンゲスは、ある特定のイメージを持たずに自発的に絵を描きますが、同時にジョット、フラ・アンジェリコ、ボッティチェリ、ゴヤなど、歴史上の他の画家たちが使った色の構成を研究しています。絶え間ない研究から得た知識の蓄積が、躊躇することなく絵を描くことを可能にしているようです。 実際、彼の作品は無計画に作られているというだけで、一気に作られているように見えますが、技術的には、板に色をつけて、乾燥させて、それを何度も繰り返すというプロセスを経ています。このように、彼の絵は美術史における色の使い方の研究としても長い時間をかけて描かれていると考えられます。 彼の作品は高速と低速の両方の特徴を持っているので、私たちはまた、2種類の魅力を感じることができます。第一に、テンゲが躊躇なく絵を描く瞬間のように、私たちの注意を一気に惹きつける。二つ目は、その努力の過程と同じように、私たちを作品の前に長く滞在させてくれること。10月12日までタグチファインアートにて、ゆっくりと作品を楽しむことができます。 Michael Toenges, “Paintings on Paper 1995-2019” 開催日:2019年8月24日(土)~10月12日(土) 2019年8月24日(土)~10月12日(土)営業時間。午後1時~7時日曜・月曜・祝日は休館> 記事を書いた人:Jeongeun Jo韓国出身、日本在住。東京藝術大学大学院美術研究科を卒業したTRiCERAのメンバーの一人。彼女自身もアーティストとして活動している。 

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